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王宮の本殿にある大広間では、軍務長官であるファンゴ・ギハード公爵を中心に各騎士団の団長と副団長が顔を並べて着席していた。皆が一様に険しい顔をして腕を組み、口を噤んでいる。時折囁くような声が聞こえてくるがそのどれもが溜息交じりで、それがさらに場を暗くしていた。
その中で第五騎士団副団長の席だけが空いており、会議の進行役である補佐官のニスカ・ルッソがジロリとニックスを睨みつけた。
「ニックス・ドラルナー団長、貴殿のところの副団長はどうした?」
「申し訳ございません。リベリオ・デガートは急用で出ておりまして、本日は私のみ出席させていただきました。」
「事前に知らせておいたはずだろう。全く…副団長ともあろう者が大事な会議に出席せんとは何事か!」
「…申し訳ございません。以後、このような事は無いように致します。」
ニックスが頭を下げると、ニスカはフンと鼻を鳴らして顔を背けた。そのまま媚を浮かべた表情でファンゴに視線を送る。ファンゴはそれを視界の端に留めるだけにして、全員の方を向いたまま小さく頷いた。
「では、これより対マルフィーロ王国について協議する。彼の国とは長年小競り合いが続いている事は皆も知っておろう。ここにいる者の中には昨年帰還した者もいるだろうから、ヴァンケットでの戦いはまだ記憶に新しいと思う。あの戦では互いに大きな傷を負ったが、我がリヴィニス王国が勝利を収めた。しかし!」
ニスカが興奮に目を大きく見開き、唾を飛ばす。静まった空気の中、男の声がこだました。
「まだマルフィーロ王国は我が国への侵略を諦めてはおらん!ならば!戦の痛手から立ち直らぬ今のうちに彼の国を叩き潰す他に、我が国が進むべき道は無い!!」
「お待ち下さい!!」
誰もが目を伏せ険しい表情を固めたまま口を噤む中、一人の男が大声を出して立ち上がった。皆が一斉に視線を向け、ニスカも再びジロリと睨み据える。
「何だ、ドラルナー団長。何か異論でもあるのか?」
「異論などございません。閣下の仰ることは我々も常々懸念しているところでございます。早急にマルフィーロ王国との決着をつけねばならぬことも、重々承知致しております。」
「ならば何を待てと言うのか。ハッキリ申せ!」
「…先の戦いで我が国が負った傷は深く、一年と半年を経た今もなお、その復旧が進んでいない領地も多くございます。辺境に行けば行くほどその程度も酷く、特に主を失い王領となった後、統治の手が回らぬ地域では盗賊やならず者、傭兵団が横行し、略奪が繰り返され、治安も悪化の一途を辿っているとの報告も入っております。」
ニックスの言葉に、その場にいる団員たちは眉間に皺を寄せて机上に視線を落とした。実際にこの一年半の間は戦が無く、戦時の雇用口や各地の領主や旅団・商業団との雇用契約も結べない傭兵団が、糊口を凌ぐ為に各地の農村を片端から襲い略奪を繰り返していた。
「それがどうした!そんなもの、戦にあっては当たり前の事だろう!」
「その通りでございます。しかし悲惨な地域では民が飢え、蔓延する病や略奪、暴行、人さらいに日々怯えながら暮らしているのです。今このような状態で開戦などしてしまったら、ますます状況が悪化するのは火を見るよりも明らかで…」
「何を言うか!民が飢えや暴力に苦しんでいることは私も胸を痛めておる!しかし、だからと言ってこの機会を逃して先手を打たれ、この国ごと取られては元も子も無かろうが!!」
「しかし、内政が不安定で足元が固まらぬうちに戦など!目の前のマルフィーロ王国を相手にしている隙に他国に侵略されたりなどしたら…!たとえ戦に勝ったとしても、自国の民がより悲惨な目に遭うだけです!ようやく回復の兆しが見えてきた今こそ国力を蓄え、戦の準備を進めねば…」
「貴様…!!誉ある王宮騎士団長ともあろう者が、何という腑抜けた事を!!貴様など即刻…」
「双方、控えよ。」
白熱する口論に皆が固唾を飲んで見守る中、ファンゴが低く重い声を発した。一気に場が静まり返り、視線を向ける。ニスカが目を伏せ頭を下げると、ファンゴはチラとニックスに視線を送った。
「ドラルナー団長。」
「はい。」
「そなたの言いたいことはわかっておる。しかし、すでに両国は一歩前に進めば衝突するところまできておるのだ。」
「それはもちろん、承知しております…。」
「…こちらが国内に目を向けている間に背を切られれば、その背に守られている者たちが敵の手によって次々と蹂躙されよう。今までもすでに何度か衝突の危機はあったが何とか避けられた。しかし、今回ばかりはそうはいかん。」
「それは、一体…。」
「マルフィーロ王国がプロモント王国との接触を図っているという情報が入った。」
ファンゴの言葉に、場が一斉にどよめき立った。皆が目を見開き、口から出る言葉の端々に動揺が滲んでいる。ニックスも驚愕のあまり開いた口が塞がらなかった。
「なっ…プロモント王国は、我が国の同盟国ではありませんか!」
「そうだ。三年程前、彼の国からの援軍要請に応じたのは覚えているだろう。…しかしまだ確証がない為、下手に動くこともできん。もし両国が密かに裏で繋がり我が国に攻め込めば、それこそ我が国になすすべはない。」
「そんな…それでは…。」
「両国とも今のところ目立った動きは見せていないが、万が一の事を考え先に手を打たねばならん。」
「…承知いたしました。差し出がましい事を申しました事、お許し下さい。」
ニックスが頭を下げて着席する。その様子を、ニスカは瞳に蔑みの色を浮かべ、フンと鼻を鳴らして横目に見下ろした。
*
ルミオはカップを乗せたトレイを持って、扉の取っ手に手をかけた。その横顔を見れば、先ほどまでの怒りに歪んだ顔がすっかり元に戻っている。
リベリオはポカンとしながらルミオが出て行くのを見届けると、ドサリとソファにもたれた。
----ルミオの奴、何だったんだ今のは。俺の実家からの呼び出しなんて、どうせナリーとの婚約が白紙に戻ったぞとか言われるだけだろ。これ以上何が起こるって言うんだよ。
ソファに仰向けにもたれかかりフゥ、と息を吐く。ふと、実家という言葉が頭に浮かんだ途端、何かを忘れているような気がした。キュリオの突然の訪問と衝撃の出来事で、ここしばらくの記憶が曖昧になっている。
実家がらみだというだけで気分が重くなるが、渋々今までの行動を逆再生して記憶を遡らせる。そして自分宛てに届いた手紙がナリアからのものではなかった、というところで、急に思い出して立ち上がった。
----そうだ、あの時の手紙!確か…
机に向かい、今朝その上に放り投げた手紙を拾う。封に押された印を見ると、デガート家からのものだった。
----うわ…まさかこのタイミングでかよ。やっぱ開けなきゃいけねぇよな…。
封を開け、文章に目を走らせる。殆ど白紙に近い手紙を机に放り投げ、舌打ちをした。
----話があるから帰って来い、か。相変わらずだな…他に何か言う事は無ぇのかよ。
手紙が視界に入っているのも鬱陶しい。忌々しさを込めるようにぐしゃぐしゃに丸めているところに、ルミオが鼻歌を歌いながら帰ってきた。
「あれ?それって先ほど届いたお手紙ですか?」
「あぁ、そうだ。まさに父親からの手紙だったよ。話があるから帰って来いだとさ。」
「それは…早速ですね。そうだ、今日大広間で会議があった事を失念しておりまして、申し訳ございませんでした。」
ペコリと頭を下げるルミオに、リベリオは眉間に皺を寄せたまま固まった。ルミオの言葉がじわじわと脳に染み込んでくる。言葉の意味を理解するに至ると、一気に体温が下がり口を大きく開けた。
「そうだった!今日、会議があるって言われてたんだった!!」
リベリオが青い顔をしたまま慌てて立ち上がる。仕事は真面目に取り組むリベリオにとって、予定の時間を大分過ぎている上に、軍務長官が出席する程の重要な会議を忘れるなどあり得ない失態だった。
急いで髪を撫でつけ身支度を整えていると、ルミオが手で制しながら真剣な顔で声を潜ませた。
「お待ち下さい、副団長。実は会議の前に、団長がこちらに来られたのです。」
「団長が?」
「はい。副団長をお探しのようでしたが、ちょうど副団長がグラナード侯爵様の元へ行かれたのと入れ違いだったのです。」
「うわぁー…まずいな、早く行かないと。」
「いいえ、それが…団長が、今日はわざわざ出席しなくて良いと仰っておりました。」
リベリオの手がピタリと止まる。ルミオの視線に合わせると、僅かな沈黙が落ちた。
「団長が本当にそう仰ったのか?なぜだ?何か他に仰っていた事は?」
「今日は自分一人で良いと。それから、今日はもうこちらにはお戻りになられないそうです。」
ルミオの言葉に、リベリオは首を傾げた。何があっても軍務会議には必ず出席するようにと、口が酸っぱくなるまで言い続けたニックスの言葉とは到底思えない。
リベリオが黙り込んだまま空を睨んでいると、ルミオは机の上に転がっている紙をチラと見た。
「副団長はその分お時間が空きましたが、本日はどうなさいますか?もうすぐ午後の訓練のお時間ですが、そちらに出られますか?」
「いや、今日はもう別の者に指南役の代理を頼んである。そうだな…折角だからこの時間を有効に使わせてもらおう。これから実家に行ってくる。」
「承知致しました。こちらにはお戻りになられますか?」
「あぁ、そのつもりだ。長居をするつもりは無いからな。」
リベリオは大きく溜息を吐いて外套を羽織った。これ程帰るのが億劫に感じたことは無い。想像がつく会話の内容が、より一層リベリオの足を重くさせた。
「それじゃあ行ってくる。すぐ戻るから、後は頼んだぞ。」
「はい。お気を付けて、いってらっしゃいませ。」
リベリオが再び団長室を後にすると、ルミオはその背を見送ってからもう一度丸まった紙を見た。
「今日は一日中…いや、しばらくは荒れる事になりそうだな。」
*
デガート家の玄関の前で馬から降り、リベリオは馬番の男に馬を渡した。男にはすぐ帰るからと言い残して玄関へ向かうと、母親のカレイラが出迎えに出てきた。
「お帰りなさい、リベリオ。忙しいのに急に呼び出したりしてごめんなさいね。身体は…」
「母上、ただいま戻りました。父上はどちらにおられますか?」
リベリオの機械的な言葉に遮られ、言葉を詰まらせる。世間話など一切する気はないという無言の圧力に、カレイラは目を伏せ、笑顔を浮かべた。
「…お父様は広間にいらっしゃいますよ。すぐにお茶を運ばせるから、先に行っていてちょうだい。」
「わかりました。あぁ、それから私はすぐに王宮に戻りますので茶はいりません。」
「あら、今日はゆっくりできないの?折角帰って来たのだもの、一緒に…」
「母上。」
リベリオの刃のような声音が再びカレイラの言葉を分断する。カレイラが肩を小さく震わせると、心の中で舌打ちをしながら声が柔らかくなるよう意識した。
「母上、私はまだ仕事中なのです。遊びに来たわけではありません。」
「え?えぇ、そうね。ごめんなさい、何も考えずに勝手な事を言ってしまって。さ、早く入って。」
カレイラがニコリと微笑むと、リベリオはサッと視線を逸らせて屋敷の中へと足を向けた。昔から、母親が無理をして作る笑顔を見るのが苦手だった。
悪いことをしていても、していなくても、その取り繕った笑顔を見るととてつもなく悪い事をしてしまった気がして息苦しくなる。そうなりたくなくて、もう見たくなくて、無意識に母親の顔を見ないよう顔を背けるのが癖になっていた。
----結局何も変わっちゃいないな…。
広間に入ると、ソファにもたれかかっている父親が目に入った。相変わらずの顰め面を張り付け足を組んで座っている様子に、早くも帰りたい衝動に駆られる。それでも話を聞くまではと、なんとか気を持ち直してゆっくりと近付いた。
すでに空気がピリピリと張り詰めている。リベリオは胸に手を当て、軽く頭を下げた。
「父上、ただいま戻りました。今朝お手紙をいただきましたが…私に何か御用でしょうか。」
「うむ…よく戻った。とりあえず座りなさい。」
「はい。」
テーブルを挟み、対面するように腰を下ろす。互いに視線を合わせないまま向き合うと、カレイラが入ってきた。
すでに漂っている緊張感に目を伏せながら、ゆっくりとリスターの隣に腰を下ろす。その遠慮が過ぎる程の様子に、リベリオは深呼吸で苛立ちを逃した。
「お前をここに呼んだのは他でもない。お前とナリア嬢の婚約についてだ。」
「はい。その事でしたら、私も存知上げております。ナリア嬢がルミゴン・グラナード侯爵様の娘になった為に婚約が一旦白紙に戻ったと。」
リスターがピクリと片眉を上げ、初めてリベリオの目を見た。その視線にはなぜか秘めた怒りが込められている。
「そうだ。誰から聞いた?」
「ご子息のキュリオ殿からです。今朝私のいる団長室へ来られまして、その時に。」
「…お前、あの男の息子といつの間に懇意になったんだ?」
リスターは目を見開き、歪めた唇を震わせた。




