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行き交う人の壁に遮られ、走り去るナリアとアセロの姿が見えなくなった。ふらつくナリアに寄り添い、ナリアの身体に触れるアセロの睨みつけるような瞳。リベリオは呆然としたまま、つい先ほど見た光景に立ち尽くした。
----なぜ…なぜアイツと一緒にいたんだ!?いや、それよりナリーのあの様子…
「ねぇ、もしかしてまた誤解されたんじゃない!?早く追いかけて!今ならまだ間に合うから!!」
ルマリナの言葉にギクリと肩を揺らす。声をかけられるまで、地面に足が貼り付いていた事にすら気が付かなかなかった。二人の姿が見えなくなってから、もう随分時間が経っている。
「すまない、俺の荷物預かってくれるか!?」
「いいから!わかったから、早く行って!!」
「くっ…!!」
リベリオは振り向き、受け取ったばかりの手土産を渡して宿屋を飛びだした。すでに馬車に乗り込んでいるかもしれない。それでも女の足の遅さに賭けるように、リベリオは走り続けた。
角を曲がり、走り続けたところで立ち止まる。肩で息をしながら、注意深く辺りを見回した。
----クソッ!どこだ!いや、落ち着け…アマティスタ家の屋敷から街に来る時、いつもどの辺りに馬車を停めていた?
探す目を休ませずに頭の中を回転させる。まだ数える程しかしていないデートの少なさに愕然としながら、なんとか記憶を手繰り寄せた。
----そうだ、確か広場から少し離れた停車所。いくつかあるが…きっとここから一番近い所だ!
リベリオが身を翻して走りだす。祈る思いで人をかき分け突き進むと、人垣の奥にナリアの頭を見つけた。
「ナリー!待て!!」
リベリオの叫びに、ナリアが咄嗟に振り返る。溢れる涙で頬を濡らし、顔を顰めて再び走り出した。
「待ってくれ!誤解なんだ!!ちょ…ちょっとどいてくれ!!ナリー!!」
人にぶつかり、足を取られながら走り続ける。首を伸ばし、ナリアが進む先を見てハッとした。見慣れた馬車の側に立つ御者が、主人の姿を見つけて扉を開けて待っていた。
----マズイ!馬車に乗られたら終わりだ!!
「クソッ!」と悪態を吐きながら全力で駆け抜ける。ナリアが馬車に辿り着く前に、リベリオはすぐ後ろにまで追いついた。
「ナリー!!ナ…!」
腕を伸ばし、ナリアの腕を掴む直前で身体がビタリと止まった。視線を下げれば、アセロの漆黒の瞳が睨み上げている。リベリオの動きを止めるように両腕を回して立ちはだかると、目の前の男に視線を刺したまま声を上げた。
「ナリア嬢!早く馬車にお乗り下さい!!」
「何だと!?お前、どういうつもりだ!!」
「あ、あの…。」
「いいから、早く!!」
「ナリー!乗るな!誤解だ!!ちゃんと説明するから!!」
「今更何を説明すると言うのです!?貴方が隠れて他の女性にキスをしていたのは紛れも無い事実でしょう!!」
「だから、あれは…ナリー!違うんだ!!彼女は…!!」
ナリアが再び顔を背ける。そのまま急いで馬車に乗り込むと、扉を閉めて鍵を掛けた。それを確認すると、アセロはリベリオの身体を押しのけ、反対の扉から乗り込み鍵を掛けた。
「ナリー!待ってくれ!!誤解だってば!!ナリー!!」
小さな窓の外からナリアに向かって叫び、扉を叩く。ナリアは両手で耳を塞ぎながら、俯いて肩を震わせた。
「ナリー!降りろ!話を聞いてくれ!」
「出してくれ。すぐにだ。」
アセロの冷えた声が御者に届く。御者がオロオロとリベリオに気を取られていると、アセロはギロリと睨みつけ声を張り上げた。
「何をしている!!早く出せと言ったんだ!!」
「は、はいっ!!申し訳ございません!!」
アセロの怒声に、ナリアの身体がビクッと跳ねた。御者が慌てて手綱を捌き馬車を走らせる。
ナリアの耳に触れるリベリオの叫ぶ声が、だんだんと遠のいていった。
*
ナリアとアセロを乗せた馬車が、アマティスタ子爵邸の玄関の前に停まった。アセロは荷物を持って先に降り立ち、出迎えに出ていた侍女に手渡した。馬車に戻って、そっと中を覗き込む。虚ろな目で外を見ているナリアの姿を認めると、隣に座って肩に手を添え優しく声をかけた。
「ナリア嬢…大丈夫ですか?」
「はっ!?あ…はい、大丈夫です。」
アセロの声と手の感触に飛び跳ねて身を捩る。息を呑んで自分を見つめるアセロの瞳と目が合い、ハッと我に返った。
「あ…申し訳ありません。少し、驚いてしまって…。」
「いえ、こちらこそ急に声をかけてしまいましたから。配慮が足りませんでした。お許しください。」
「そんな!アセロ様がお謝りになる必要はございませんわ。私が…」
俯き、声が消えていく。ナリアが無意識に唇を噛み締めていると、アセロが顎に手を添え、唇をそっと外した。
「そのように噛んでしまっては美しい唇に傷が付きますよ。さ、降りましょう。」
アセロが微笑みを浮かべて手を差し伸べると、ナリアはその手をじっと見つめた後、そっと手を乗せて馬車から降りた。
「ナリアお嬢様、いかがなさいましたか!?そのように御髪を乱されて!!まぁ、ドレスまで…!」
ナリアの乱れた姿に、ナリア付き侍女のサフィが目を見開き声を上げた。反射的にアセロへと怒りの視線をぶつける。その視線の意味を察したナリアが慌てて間に入った。
「サフィ、違うのよ、何も無いの。私が思いきり走ったからこうなっただけなの!」
「お嬢様が?思いきり走った?お買い物にお出かけになって、どうしてそのような事になるのです!」
「サフィ殿、ナリア嬢は今とても気が動転しておられるのだ。先に部屋へ連れて行って差し上げてくれないだろうか。」
サフィがナリアの顔に視線を移す。幼い頃から見てきた不安な時の表情になっている事に気付き、サフィは小さく頷いた。
「アセロ様…。畏まりました、後は私にお任せ下さい。」
「あぁ、よろしく頼む。ナリア嬢、どうか気をしっかりとお持ち下さい。私はこれからグラナード侯爵様のお屋敷へ戻りますし、しばらくこちらに来ることはありませんから…。」
「ありがとうございます。私はもう大丈夫ですので…はしたないところをお見せして、申し訳ございませんでした。」
ナリアが深々と頭を下げる。アセロはすぐに身体を起こさせると、ナリアの手を両手でそっと包み込んだ。
「私は気にしておりませんよ。あんなものを見てしまったんだ…貴女が取り乱すのは当然です。今日はゆっくりとお休みになって下さい。では、私はこれで。」
アセロはグラナード家の馬車に乗り込み、そのまま門へと向かって走っていった。その影をぼんやりと眺めていると、サフィが静かに声をかけた。
「さ、ナリアお嬢様。中へお入り下さい。すぐに清め用のお湯と、温かいお飲み物をお持ちします。」
「えぇ、…ありがとう。そうだ、後でお父様とお母様にお話がありますと伝えてくれる?」
そう言って扉に向かうナリアの冷えた横顔に、サフィは息を呑んだ。
*
今にも倒れそうな足取りで団長室の扉を開ける。ぼやけた視界の中、背を向けていたルミオが振り向き様に仰け反り、持っていた書類を落としそうになっていた。
「ふ、副団長!?どうなさったのですか、その顔色!」
「…何だ…?何かおかしいのか…?」
「おかしいとか、そんな可愛いものじゃありませんよ。そのような状態でよくここまで来れましたね。」
ルミオの声を無視するようにターニオから貰った土産を手渡し、リベリオはふらつく足取りのまま椅子に倒れ込んだ。両手両足に力が入らず、ダラリと前に放り投げる。そのまま崩れるように項垂れ、目を閉じた。
「これ、我々へのお土産ですか?こんなに大量のお土産…どこか遠方にでも行かれたのですか?」
「…貰った。」
「頂き物なのですか?どなた様からですか?」
「…ターニオだ。」
「はい?ターニオってもしかして…ルマリナさんのご主人の?」
「…そうだ。その、ターニオだ。昨夜泊まった。」
ルミオが土産を持ったまま固まるのを気にも留めず、リベリオは眉間に指を当てて顔を顰めた。リベリオの重い溜息にハッと我に返り、ルミオは土産をテーブルに置いてリベリオの机に歩み寄った。
「泊まった?昨日はナリア嬢とデートだったはずでは?」
「あぁ、そうだ。だが…ちょっといろいろあってな。彼女を早めに送り届けてから宿屋に向かったんだ。」
「そんな、どうしてまた昨日みたいな日に…。」
ルミオが向ける困惑の表情から目を逸らし、リベリオは大きく息を吸った。が、吸ったものの、胸につかえて上手く吐き出せない。息苦しさに思わずむせ込み、収まるのを待ってから口を開いた。
「ルマリナに、ナリーの事を相談しに行ったんだ。女の気持ちは女にしかわからないと思ってな。だが他に相談できる相手もいないし、彼女ならナリーの事を何度も話した事があるから…。」
「それで、宿屋に向かったのですか?」
「そうだ。そうしたら、今日宿屋から出るところをナリーに見られた。」
ルミオが目を剥き絶句する。項垂れたままのリベリオにどう声をかけて良いのか考えあぐねていると、突然リベリオが身体を起こし、力の限り拳を叩きつけた。
「あの野郎ッ!!今度会ったらただじゃおかねぇっ!!」
「ヒッ!!」
机の軋む音が部屋中に響き渡る。噛み付かんばかりに空を睨み付け、込み上げる怒りで顔を歪めた。その尋常ではない殺気の暴発にルミオが小さく悲鳴を上げると、「クソッたれ!」と悪態を吐きながら椅子にもたれて両手で顔を覆った。
沈黙が落ち、室内が静まり返る。ルミオはゴクリと唾を飲み込み、タイミングを間違えないよう恐る恐る口を開いた。
「副団長…その…『あの野郎』というのは?」
追い打ちの沈黙が落ちる。ルミオが冷や汗を流して「間違えたか」と後悔していると、リベリオが重い口を開いた。
「…グラナード侯爵の屋敷で働いている、アセロ・ルシージアという男だ。奴のせいで、ナリーに誤解されたままになってしまった。」
「アセロ・ルシージア…?」
ルミオの眉がピクリと動く。リベリオはそれに気が付かないまま、再燃する怒りに声を荒げた。
「そうだ!あの野郎、ナリーに気があるのか知らねぇが、わざと俺の邪魔をしやがったんだ!あと少しでナリーを捕まえてきちんと説明できたのに、本当に…アイツのせいで…!」
奥歯を噛み締め、拳を握り締める。ルミオはリベリオから視線を外してしばらく考え込むと、確認するように聞いた。
「副団長、アセロ・ルシージアと仰いましたよね。彼がナリア嬢に付き纏っているのですか?」
「そうだ、それがどうした。お前まさか知り合いなのか?」
「いえ、知り合いという程ではありませんよ。彼はルシージア伯爵家の三男で、確か26歳だったと思います。頭脳明晰で品行方正な方だと聞いたことがありますが…。」
ルミオの持つ情報網に、リベリオは唖然として目を丸くした。一体どこまでの情報を持っているのか、逆に恐ろしくなる。
それでも今この時はその希少な能力にも勝てそうな程、リベリオはきっぱりと言い放った。
「お前やけに詳しいな。フン、まぁいい。俺からしたら、奴は品行方正な狡猾詐欺師だ。社交界じゃ笑顔の無駄遣いと乱れ打ちなんざ日常茶飯事だが、奴の笑顔は違う。大体、俺相手ならまだしも、ナリーに対しても目が笑ってねーんだよ!今だから分かるが、本当にナリーに惚れてたらそうはならない。」
自分を見下すような視線を思い返すだけで腹が立つ。机に肘をつき、ポカンとした顔のまま見つめるルミオの顔を訝しげに見上げた。
「何見てんだよ。」
「いえ、さすがは副団長です。」
「は?何の事だ。」
ルミオがニコリと微笑む。嬉しそうに土産の包みを解き、中のものを見て更に嬉しそうな顔をした。部屋中に甘い匂いが広がる。早速個数を数えると、団員一人当たりの個数を計算した。
先に団長室の三人分を抜き取り、それぞれの机に配る。余った一つをこっそり自分の取り分と一緒によけながらルミオは明るい声を出した。
「ご明察ですよ。彼は表向きはとても人当たりの良い方です。それに、頭脳明晰で品行方正で真面目なのも、本当の事なんですよ。ただ、彼には徹底していることがあります。それは、得になる相手にしか近寄らない、という事です。」
証拠を隠滅するように余った一つをさっさと口に入れてしまう。姿勢を正し、リベリオの真正面に立って堂々とモグモグと口を動かす部下の姿に、リベリオは上司としての威厳の無さに絶望した。
「お前、せめて隠せよ…。」
「何の事です?それよりそのアセロ・ルシージアですが、そんな計算高い彼がなぜナリア嬢に近寄るのか。私としては、そこが気になりますね。それとも以前から狙っていたのでしょうか。」
「さぁな。ナリーの話だと、彼女が父親の仕事を手伝っていた頃からの知り合いだ。たまに会うぐらいだったが、会った時は仕事の仕方なんかをよく聞いていたそうだ。あとは雑談ぐらいだと。」
ナリアの話を思い返した途端、腸が煮えくり返った。その頃自分は国を離れていたとはいえ、他の男が自分の知らないナリアの花の時代を知っているというだけで罪に問えそうな気さえする。それが他でもないアセロであるなら、尚更腹立たしかった。
「だが、アセロの距離の詰め方にはナリーも動揺していた。もしその頃からナリーに気があるなら、遠回しにでもとっくに口説いているはずだ。余程の奥手なのか、それとも最近自覚したのか。」
「それとも、ナリア嬢を手に入れようとする程の何かが、彼女にあるのか…。」
「ナリーに?まさか。」
ルミオの含むような言い方に、リベリオは首を傾げた。一時は多くの男に求婚されていたとはいえ、家柄も普通の一貴族である。世間一般的な結婚適齢期もやや過ぎているし、他の多くの貴族令嬢の中にいて特に目立つような後ろ盾があるわけでも無い。
「俺が言うのも何だが、ナリーは超が付く程の内気な性格なくせに割とキッパリとものを言うキツさがあるし、俺には絶世の美女だがこれと言って特徴の無い顔立ちで、素晴らしい身体つきをしているが俯き癖があるせいか気を抜くとすぐ猫背になってるような女だぞ。それから踊りは得意だが刺繍は大の苦手だ。あと、俺以外の男に全く興味が無い。」
リベリオの滑らかな悪口と最後の部分の強めの主張を半目で聞きながら、ルミオはある事がふと思い浮かんだ。
「そういえば、グラナード侯爵様とナリア嬢の養子縁組の話が出ていると仰っていましたね。あれが関係しているのでしょうか。何かお聞きになられましたか?」
「…あぁ、あれか。」
リベリオは苦虫を嚙み潰したような顔で返事をした。そもそもその話を聞いてからややこしくなったのだ。忌々しい気持ちをできるだけ前に出さないよう、リベリオは椅子にもたれた。
「キュリオから聞いた時は、養子縁組の話はグラナード侯爵の個人的な願望だと思っていたんだ。」
「あの『自分の娘にしたい』というお話ですね?」
「そうだ。でも違った。いや、正確には半分正しかったと言うべきだな。」
「と、言いますと?」
「ナリーが言うには、彼は自分の領地で仕事を続けて欲しいと言ったらしい。父親の仕事を手伝っていた時のようにな。」
「何ですって!?」
「そして、女のナリーが仕事をすることを周りに受け入れてもらうために娘にしたいと言い出したらしい。」
「なっ…!まさか、本当にそんな事を仰ったのですか!?」
「あぁ。…うん?でも、それっておかしくないか?いくらなんでも仕事だけの為に、わざわざ養子縁組までするか?」
「副団長…。アセロ・ルシージアがナリア嬢に近付いたのって、もしかして…。」
リベリオとルミオが視線を交わす。互いに無言のまま、息を呑んだ。




