23
アマティスタ子爵邸に向かう馬車の中で、リベリオは頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。九の月に入ってもまだ陽の光は容赦なく照り付けているが、幾分か涼しくなった風が時の移ろいを告げてくる。
ナリアと会えないまま、一月以上が経っていた。久しぶりに見せる自分の姿を完璧にしておきたくて、今日の日の為に服も靴も新調し、髪も整えた。
----やっとナリーに会える!
自然に口元が綻び、頬が緩む。キュリオから婚約を白紙に戻した経緯を聞いてから、ますますナリアへの愛情が深くなったことに言いようのないくすぐったさを感じた。かつてこれほど想い焦がれた女がいただろうか。
それにしても、と陽の眩しさに目を細めて遠くを見た。
----ルミオの奴、なんであんなに必死なんだ?
*
八の月の末頃。
王宮の訓練場で馬上稽古の後の休憩中、井戸の水を浴びているリベリオの元へルミオが歩み寄った。暑さに殊更弱いのか、まだ朝だというのに陽の下に出ただけでげんなりとした顔をしている。水で濡らした身体をノロノロと拭きながら、そのまま溶けて崩れそうになっていた。
----コイツ、よくこれで騎士になろうとか思ったよな。まぁこれで腕が立つんだから、人は見かけによらないもんだよなぁ。
リベリオが身体を拭きながらルミオが来るのを横目で見ていると、ルミオは「ふぅ」と息を吐いて部下の様子を眺めてからリベリオの方を向いた。
「副隊長、少しよろしいでしょうか。」
「あぁ、構わない。どうした?」
「例の宿屋の件ですが、そろそろ落ち着き始めました。」
「は?ちょっと待て。ついこの前お前に任せたところじゃなかったか?」
リベリオが目を剥いて距離を詰めると、「暑苦しい」と言わんばかりに顔を顰めて仰け反った。たとえ相手が上司でも不愉快な気持ちは遠慮なく表現するルミオに、愛しい女の面影が被る。
「ですから、早急に解決してみせますと申し上げたじゃないですか。」
「そうかもしれないが、いくら何でも早すぎないか?何やったんだよ。」
「別に特別な事はしていませんよ。ちょうど父の知り合いが仕事で常駐できる宿屋を探していたので、紹介しただけです。」
ルミオがシレッとした顔で答える。馬を厩舎に連れて行っていた団員が戻ってくるのを遠目に確認すると、リベリオは視線を戻して訝し気に覗き込んだ。
「お前のお父上は確か、貿易業をされていたよな。」
「そうです。父の事業の傘下にある商業旅団と、彼らが雇用している傭兵団が使用する宿に、ルマリナさんのところの宿屋を紹介したのです。結構な人数ですからそこそこ大きな宿屋が必要でしたので、逆に感謝されましたよ。」
「だが、それだってずっといるわけじゃ無いだろう?」
「そうでもないですよ。父が抱えている商業旅団はいくつもありますし、時期をずらして往来してます。それに傭兵団も拠点にできる場所があれば活動しやすいでしょうし、彼らがいるだけで宿屋自体の防衛にもなります。宿屋には月単位でまとまった賃料も渡していますし、一般人も泊まれるようにしてますから潰れることも無いでしょう。」
ルミオが表情を変えないままスラスラと答える姿に、リベリオは唖然として開いた口が塞がらなかった。普段からどんな事も器用にこなす印象があったが、今ほど頼もしく感じたことはない。
休憩の終わりを告げる合図が鳴ると、リベリオはハッと我に返り、訓練用の剣を持って並ぶように指示を出した。
「お前って実は凄い奴なんだな。腕も立つし、行動力もある。俺よりも副団長に向いてるんじゃないか?」
「嫌ですよ。私は人の上に立つ器じゃないですし、補佐という立ち位置が一番動きやすいのです。部下にも適度に指示を出せる立場でもありますし、こっちの方が気楽でいいですよ。無用な面倒は御免です。」
「そうかなぁ。俺は向いてると思うけどな。」
全員が並び終えるのを確認した後、その言葉を最後にリベリオは団員の前へと足を踏み出した。
*
「副団長、そろそろ教えて下さいよ。キュリオ殿と何があったのですか?」
朝の訓練を終え、団長室で書類に目を通していると、ルミオが痺れを切らしたように詰め寄った。リベリオの机の前で仁王立ちする姿には、どちらが上司かわからない程の気迫がある。
再び感じた謎の圧力を跳ね返すように、リベリオはジロリと睨み上げた。
「別に何も無いと言っているだろう。どうしてそんなに気になるんだ?」
「明らかにご様子がおかしいからですよ。」
「…お前には関係の無いことだ。」
「なるほど、そういう事を仰るおつもりですか。」
リベリオの顔を背けた態度に片眉をピクリと動かし、ルミオは冷え切った眼差しを真正面から突き刺した。
「…宿屋の件、誰が解決したとお思いですか…?」
「うっ…。」
「元々私には関係の無いお話しでしたのにねぇ…。やはり彼らには別の宿屋を紹介することにいたしましょう。」
ルミオが「どうだ」と言わんばかりに冷たく見下ろす。視線だけで意思を表現させたら右に出る者はいない。
「ぐっ…、分かったよ!言えばいいんだろうが!」
「良かった!副団長でしたら、私の気持ちを分かって下さると信じておりました。」
ルミオが両手を合わせてパッと表情を明るくすると、リベリオは半目で視線を逸らせた。
「で、何があったのです?」
「まぁ、なんだ。お前の言った通りだったよ。ナリーがキュリオとの婚約を白紙に戻したのは、奥方のお腹に子がいたからだ。それを庇って、自分から白紙に戻すという方法を取った。」
「ちょっとお待ちください。『キュリオ』って何です?どうして急に呼び捨てなのですか!?」
「知らねぇよ。奴がそう呼べって言ったんだから。話すときも敬語はやめてくれって言われたから、今みたいな話し方してたんだ。」
「キュリオ殿も副団長に対して同じ様になさっているのですか?」
「いや、キュリオは敬語だ。俺の事も『リベリオさん』と呼んでる。」
ルミオが唖然としたままリベリオの真顔をまじまじと見つめると、リベリオは訝し気に見返した。
「何だよ。」
「いや、さすが天然タラシ…。」
「は?何だ?なんか言ったか?」
「いえ、何でもありません。では、婚約破棄に至った経緯のみをお聞きになったのですね?」
ルミオが確認するように聞くと、途端にリベリオは視線を泳がせ口を噤んだ。明らかに動揺している上司の様子を見て取り、ルミオは容赦なく追い打ちをかける。
「今更隠すことも無いじゃないですか。パッと仰って下さい。パッと。」
「グラナード侯爵とナリーの養子縁組の話が出ている。」
瞬時に沈黙が訪れる。時間が止まったかのような静寂の中、ルミオはみるみる目を大きく見開かせた。
「え…、な、何ですって!?養子縁組!?それは本当ですか!?」
「あぁ、キュリオが言ってたから嘘じゃない。」
「そんな大事、何あっさり言ってのけてるんですか!!」
「お前がパッと言えって言ったんだろうが!つーか、何でお前がそんなに驚いてんだよ!!」
「驚きもしますよ!親が息子の元婚約者と養子縁組だなんて、聞いたことありませんよ!!」
互いに唾を飛ばす勢いで捲し立てる。荒くなる呼吸に肩を上下に揺らせながら睨み合うと、リベリオが溜息を吐いて椅子にもたれた。
「はぁ、そうかもしれん。だが、元々二人の縁組はグラナード侯爵の望みだったそうだからな。彼がナリーを娘にしたかったんだ。」
「はい?何ですかそれは。」
ルミオがなおも食いつこうとすると、リベリオはやや牽制するように声を低くした。たとえ親しい仲でも他人の過去について軽く言いふらして良いものではない。
「まぁ…その辺りの事は人の心に関する事だからいいとして、とにかくナリーを娘にすることを望んでいるらしい。」
「どうしてそう次から次へと…。」
「何か言ったか?」
「いえ、何でもありません。それで、キュリオ殿は何と仰ってるのですか?」
「キュリオは喜んでいたな。妻には考えられないが、妹には大歓迎らしい。」
----うん?それって父親と考えてる事、ほぼ一緒じゃないのか?親子で何考えてんだよ…。
「まぁ、キュリオ自身いろいろと経験して、世間体とか今更もうどうでもいいのかもしれないな。それよりも自分がどうしたいかを優先させたんだろう。」
「いや、それでもですね…!」
「でもも何も、お前には関係の無い話だと言っただろうが。」
リベリオがジロリと窘めるようにルミオを見据える。ルミオはグッと詰まらせると、視線を逸らして胸に手を当て頭を下げた。
「申し訳ございません。出過ぎた真似をいたしました。」
「いや、別に構わんが…。そんな興奮する事か?」
「いえ。そうだ、あと一つ伺ってもよろしいでしょうか。」
ルミオが大人しく引き下がる様子にどこか居心地の悪さを感じ、視線で「何だ?」と答えると、ルミオは静かに続けた。
「ナリア嬢からは未だに何も連絡が無いのですよね?」
「…そうだ。」
----くっ…コイツ、わざと棘のある言い方しやがって!何不貞腐れてんだよ!
「つまり、ご本人はどのようにお考えなのか、まだわからないということですよね。では、早急にお会いする必要がありますね。」
*
ルミオとの会話から三日後、ナリアから王宮にいるリベリオ宛てに手紙が届いた。相変わらず涼しい顔で手紙を差し出すルミオの行動力に、リベリオはまたもや唖然として手元の手紙を見つめた。
チラとルミオの顔に視線を移す。改めて『この男だけは敵に回してはいけない』と心に誓った。
「どうかなさいましたか?」
「いや…何でもない。どうして急にナリーから手紙が来るんだ?お前何かしたのか?」
「別に特別な事はしておりません。もうすぐ副団長のお誕生日ですから、そろそろ連絡して差し上げて下さいとお伝えしただけです。」
ルミオの言葉がリベリオの胸にグサリと刺さる。手を震わせ、顔を真っ赤にして目を見開いた。
「お前…!それじゃあ俺が子供みたいにイジけてるみたいじゃないか!」
「違うのですか?このままでは、あっという間に九の月が終わってしまいますよ。それにナリア嬢はお優しいお方ですから、正直にそう言えば手を差し伸べて下さると判断したのですが…。とりあえず、中をご覧になってはいかがです?」
図星過ぎて何も言えない。
シレッとした顔のままこちらを見下ろすルミオの顔を恨みがましく睨んだまま、リベリオは手紙を開けた。読み進めるにつれ、手が震えだす。ルミオがその様子に首を傾げつつ静かに見守っていると、リベリオは突然立ち上がりルミオの手を取った。
「ナリーからデートの誘いだ!!俺の誕生日を祝いましょうと書いてある!!」
「はい?えぇ、そうでしょうね。良かったじゃないですか。」
「ありがとう!ルミオ、今度美味い酒奢ってやる!!」
リベリオがルミオの元へと大股に歩み寄り、強く抱き締める。そのあまりの気色の悪さに顔を引きつらせて抵抗していると、突然扉がガチャリと開いた。
「…お前ら、何やってんだ?」
「ひっ…団長。ちょっ、ちょっと、副団長!離れて下さい!!」
「ククッ、邪魔しちまったか?」
「違います!お願いですからそのまま部屋にお入り下さい!!身体をそちらに向けないで下さいってば!!」
ルミオの悲痛な叫び声にクツクツと笑いながら、ニックスは腕を伸ばしてリベリオを引き剥がした。
「おいリベリオ、いい加減コイツを解放してやれ。見ている方にとってもたまらん絵面だ。」
「あ、団長お戻りですか。ちょうど良かった。」
「うん?何だ?俺は参加せんぞ。」
リベリオの暑苦しい抱擁から解放されたルミオが身だしなみを整えていると、ニックスはそれを横目にきっぱりと拒否した。
「何のお話しですか。それより、一日休みをいただきたいのです。」
「休み?それは構わんが、何か嬉しい事でもあったのか?」
「もうすぐ私の誕生日なのですが、ナリア嬢が祝ってくれるというので昼間から出かけたいと思いまして。よろしいでしょうか。」
「あぁ、それだったら翌日は午後からの出勤にすればいい。手は出せんだろうが、少し夜更かしするぐらいなら許してもらえるだろう。お前には試練だろうがな。」
ニックスがニヤニヤと笑って言うと、リベリオはまたもや図星を突かれて項垂れた。ただでさえ会う機会が少ない上に、毎回軽いキスまでで止めている。
ナリアへの気持ちを自覚して以来きっぱりと女関係を断ち切ったリベリオにとって、男の生理現象は常に頭をもたげる問題だった。
「大丈夫です。きちんと妻に迎えてからしか、彼女には手を出さないと誓っていますので。」
「ほぉ、お前の口からそんな言葉が出てくるとはなぁ。」
ニックスの言葉に苦笑しながら、リベリオは最後に見たナリアの俯いた横顔を思い出す。リベリオの吐いた嘘に触れないように口を噤み、約束を違えたことを悟られないように目を伏せ、他の女と抱き合う姿を見ても我慢していた。
これ以上ナリアを悲しませるわけにはいかない。
「えぇ。私にはナリア嬢しかいません。彼女だけは大切にしたいのです。」




