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内気令嬢に花束を  作者: みのり
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 「領主権…一部代行委任状?それは、一体…。」


 ルミゴンに差し出された紙に視線を落とし、ナリアは聞き慣れない言葉に首を傾げた。養子縁組の願書を見れば、ルミゴンとナリアの名前がすでに記されている。クレトンの名前を記入する箇所は空欄のままになっていた。

 ナリアが目を丸くしながら二枚の紙を交互に見ていると、ルミゴンが口を開いた。


 「私が治めている領地の一つアンバルシアは、この王都の街から馬車で一日の距離にある。自然が豊かで気候の影響も受けにくい穏やかな土地なのだが、なんせ私の手が回らなくてな。もちろん諸々のことは家令たちに任せてはいるが、ナリア嬢には主に領土管理を担当している者たちへの指示を任せたいのだ。」

 「あの…どうして私なのですか?キュリオ様や弟君のアルゾン様に任せられては…。」

 「本来ならばそうだ。まぁとにかく、最後まで聞きなさい。もちろん最初から彼らに指示を出せと言うのではない。私の下で領地運営について学び、ゆくゆくは指示を出す立場になってもらいたいと言っているのだ。つまりこの委任状は、渡すべき時が来るまでは私の手元に置いておく。」


 ナリアの表情の僅かな変化も見逃さないように、ルミゴンは言葉を選びながら続けた。


 「ナリア嬢はずっと、私とアマティスタ子爵殿との事業の手伝いをしてくれていただろう。その時のそなたの事務処理能力は素晴らしかった。また、一度領地に連れて行った時にも思った事だが、改善すべき点や新たに取り入れるべき点、排除する点など、そなたの着眼点には目を見張るものがある。その腕を、ぜひ彼の地で発揮してもらいたい。だが家令たちから見ればそなたはよそ者であり、女の身だ。そこで、これだ。」


 ルミゴンがナリアを見つめたまま養子縁組の願書に手を添える。ナリアは得心したようにハッとして顔を上げた。


 「私がグラナード侯爵様の娘になれば…たとえ女でも誰にも何も言われないと、そういう事でしょうか。」

 「そうだ。そなたの才能を女だというだけで埋もれさせるにはあまりに惜しい。キュリオもアルゾンもそれぞれに能力があるのは分かっているが、私はそなたの能力も認めている。細部への配慮というのは誰にでもできそうで、実はとても難しい事なのだ。そしてただ気を配るだけでもいけない。上に立つ者には、それらをいかに改善するかを考え、最善の指示を出す事を求められる。私の息子たちはその辺りが甘い。」


 ルミゴンの言葉に、ナリアは胸が高鳴るのを自覚した。ルミゴンが薄く目を光らせる。


 ----またお仕事ができるの?


 元々は勢いで言い出した事だった。それでも毎日のように書類に目を通していると、いつの間にか一枚の報告書から多くの事が透けて見えるようになった。人や物の出入り、気候の変化、他の領地の情報、ズラリと並べられた数字。そこから先を想像し、備え、先手を打つ。予想したことがピタリと当たった時の爽快感は何物にも代えがたかった。

 言葉が見つからないままルミゴンを見つめていると、「ですが…」と横からクレトンが口を挟んだ。


 「ナリアには婚約者がおります。グラナード侯爵様はそれでもよろしいのですか?」


 クレトンの言葉に、ナリアは冷水を浴びせられたように身を強張らせた。


 ----そうだった。私がグラナード侯爵様の養女になってお仕事を続けるとして…リブとの縁談はどうなるの?


 咄嗟にルミゴンから視線を外す。俯くナリアの様子を視界の端に置いたままクレトンに視線を移した。


 「その件については心配せずともよい。ナリア嬢がリベリオ・デガートとの婚姻を望むのであれば、このまま縁談を進めようと思って…」


 ナリアの肩がピクリと動く。その微かな動きをルミゴンは見逃さなかった。


 「…ナリア嬢、どうした?」

 「いえ、なんでもありません…お続け下さい。」


 ルミゴンがチラとエドラを見る。エドラは一瞬視線を合わせると、小さく溜息を吐いて俯いた。


 「うむ…。ナリア嬢が彼との婚姻を望むのであれば、このまま縁談を進めようと思っている。ただ、その為には一度婚約を白紙に戻さねばならん。」


 ナリアの心臓がドクリと動く。目を見開いてルミゴンを見ると、ルミゴンはソファにもたれながらじっとナリアを見据えた。


 「今進めているのは、デガート家とアマティスタ家の婚約だ。しかし、ナリア嬢が私の娘になるのならば、グラナード家とデガート家の婚約の手続きをせねばならん。」


 「どうだ?」と言うルミゴンの視線から逃げるように目を伏せ唇を動かすが、言葉が見つからない。ルミゴンは再びエドラを見ると、未だに俯いたままの表情に片眉を上げた。


 「…何かあったのか?」

 「どうしたのだ、ナリア。彼と何かあったのか?」


 ----どうしよう、何か言わないと…。何を言うの?何て言えばいい?


 ナリアは目を伏せたまま、息を呑んだ。


 ----どうして『縁談を進めたいです』と言えないの…?


 クレトンの言葉を最後に沈黙が落ちる。エドラがナリアの肩に手を添えると、ナリアがピクリと肩を震わせた。


 「…ふむ。まぁどちらにせよ、今日は話をしに来ただけだ。この話を受けるも良し、断るも良し。断ったからと言って我々の関係に何か支障が出るのではと思うのであれば、いらぬ気使いだ。それに、もし受けるというのならば、先にリベリオ・デガートにも相談せねばなるまい。」


 ナリアが顔を上げる。視線の先にはルミゴンの優しい眼差しがあった。


 「返事はいつでも良い。落ち着いて、ゆっくり考えてくれ。」


*


 ルミゴンを見送った後、ナリアはエドラに連れられティールームへと向かった。外は相変わらず薄暗いが、光を取り込みやすいように造られたこの部屋は灯りが必要ないほどには明るさを保っている。

 エドラは侍女に軽い口当たりのお茶を用意させると、部屋から出るように伝えた。


 「ナリー、大丈夫?」

 「はい。少し…いいえ、とても驚きました。今でも、グラナード侯爵様が何を仰っていたのかを思い出すだけで倒れそうです。」

 「フフ、そうね。まさかそんな話がでるなんて、思いも寄らないわよね。」

 「お母様はご存知だったのですか?」

 「私も最近お話を伺ったところよ。お父様もね。私もお父様も、本当に驚いたわ。クレトンなんて、固まってしまって動かなくなったのよ。」


 エドラがクスクスと笑うと、ナリアもつられて笑った。波風を立てるという言葉とは縁の無い男が受けた衝撃は、想像するだけで可笑しい。


 「でも、どうしてそこまでして私を娘にしようと?本当にお仕事の為でしょうか。」

 「そうね…。ルミゴン様は昔から何を考えてらっしゃるのかわからないと、社交界では有名だったから。ただキュリオ様との縁談の時の様に、『せめて娘に』といった感じでは無かったわ。まぁあの時もそんな単純なお気持ちでは無かったとは思うけれど。」


 エドラはふと、ルミゴンの言葉を思い出した。


 ----『何も心配しなくていい。俺を信じろ。』


 エドラが微笑みながらお茶を啜る。その様子をまじまじと眺めながら、ナリアはあの夜の事を思い出していた。


 ----グラナード侯爵様は、昔お母様に求婚したのよね。あの方が求婚するぐらいだもの、余程お母様の事がお好きだったのかもしれない。では、リブは?私とこのまま結婚しても、あの人を気にかけ続けるの?私はこれからも、あの日のような辛い思いをするの?


 ナリアの胸の奥を、暗い影が腕を伸ばして絡みつく。嫉妬をするなどみっともないとわかっている。それでも自然に湧く泉のように、次から次へと溢れ出てくる負の感情がナリアの疑心を助長していった。


 「ねぇ、ナリー。」


 突然エドラに声をかけられ、我に返って顔を上げた。無意識に顔を顰めていたせいか、眉間に違和感が残っている。そんな些細な事にすら嫌気を感じていると、エドラがお茶を一口飲むように促し、ナリアはカップに手を伸ばした。


 「リブ様には、相談するのでしょう?」

 「どうしてですか?お受けしないのならば、わざわざ相談する必要はありません。」

 「あら、そんな風に言い切っても良いのかしら。あなたの心はすでに揺らいでいるのではなくて?」

 「…。」


 ナリアの視線がカップから外れる。世間の常識から外れてはいけないという枷をはめて、無理矢理蓋をした心の欲求。それを見透かしたようなエドラの言葉に、ナリアは口を噤んだ。


 「私も最初は女の身でとは思ったけれど、書斎で机に向かうあなたの姿を見ていたら、父の若い頃にそっくりだと気付いたの。」

 「おじい様にですか?私が?」


 ナリアが目を丸くしていると、エドラは懐かしい光景を眺めるように空を見つめた。


 「えぇ。私は幼い頃、よく父の書斎に行っていたの。お仕事の邪魔をしないように部屋の隅っこに座ってね。父が机に向かって書類を眺めながら考え込んでいる姿がとても格好良くて、素敵で。それを眺めているのが大好きだったの。まさかその雰囲気を、自分の娘から感じる日が来るとは思わなかったわ。」


 エドラはフフフ、と肩を震わせて笑い、椅子にもたれて息を吐いた。窓の外に視線を移せば、つい先ほどまで小粒だった雨がいつの間にか地面を叩きつけている。雨の音に耳を澄ませながら、窓に描かれた水玉模様を眺めていた。


 「…養子縁組のお話、受けてもいいのよ?」

 「お母様!?何を…」

 「ナリーは幼い頃から周りに気を使って、自分の気持ちを後回しにしてきたでしょう?言いたい事も言えず、いつも俯いてばかりで、何か言おうとすると口籠って、口で言えない苛立ちを踊りで発散させる節があって、周りの反応を窺ってばかりで、すぐ物陰に隠れて、受け入れてもらえそうな言葉ばかりを選んで…。」

 「…お母様?」


 ナリアが半目になって見据えると、エドラは口元に手を当ててクスクスと笑いながら身を捩った。


 「でも、私もお父様も、あなたのそういう部分に甘えていたのよね。『聞き分けの良い子』だって。でもそんなあなたが…お仕事をしている時は、本当に生き生きとしていた。表情を見ていればわかるもの。あぁ、今回は上手くいったんだな、今回は成果が出なかったのかしらって。…楽しかったのでしょう?」


 エドラがナリアの瞳を捕らえるように見つめる。今この瞬間だけは心の枷を外しても良いと言われているような眼差しに、ナリアは躊躇いがちに口を開いた。


 「はい。お仕事を通じて多くの人とやり取りをするのがとても楽しくて…。私が提案したことが現地で成果を出し、それに対してお礼のお手紙を頂いた時は、私自身を認めてもらえたような気がして嬉しくてたまりませんでした。」


 ナリアは苦笑しながら窓の外へ視線を移した。長年抱えていた心の欲求を吐き出すには、これぐらいの空模様がちょうど良い。

 閉じていた蓋を外すと決めた途端、その解放感にナリアは胸がすく思いがした。


 「先ほどお母様が仰ったように、この性格のせいで、今まで人とのお付き合いが上手くいかなかった事はわかっています。だからこそもっと私を認めてほしくて、もっとお役に立ちたくて、もっと頼ってほしくて、もっと自分の意見を出したくて。気が付けばダンスを踊っていた頃よりものめり込んでいました。」


 ナリアはふと、右手の指輪に視線を落とした。つい先ほどまで胸を締め付けていた辛い気持ちが、いつの間にか消えている。

 これまで自分の心に正直でいたいと思っていたのに、本当はずっと心を偽っていたのかもしれない。

 左手を右手の上に重ね、ギュッと握り締めた。


*


 街の富裕地の一角に、ルミオの実家であるラントン伯爵邸がある。代々貿易商で富を築いてきた一族らしい豪奢な建物は様々な建築様式をそこかしこに取り入れており、その独特の外観は見る者の目を楽しませた。

 その屋敷の広間で、ルミオは両親と向かい合うようにソファに座っていた。


 「父上、ご相談したいことがあるのですが。」

 「急にどうした?」

 「父上の傘下にいる商業旅団…。彼らをお借りしたいのです。」


 ルミオが一枚の紙を渡す。ラントン伯爵が手に取り内容に目を通すと、チラリと息子に目をやった。


 「ふむ…。別段大したことではないが、ここに何かあるのか?」

 「はい。ですが、私と直接何かあるわけでは無いのでご心配なく。ただ、あまりに下らない内容すぎて父上のお耳汚しになるだけですので、そっとしておいて下さると私も口を汚さずに済みますし、上(・)司(・)のメンツも保てます。」


 ルミオが苦々しい顔でおどけると、ラントン伯爵は隣にいる妻に紙を渡してクツクツと笑って頷いた。


 「お前も大変だな。彼は相変わらずか?」

 「自分の気持ちを自覚して以来、人が変わったように大人しいですよ。むしろ彼女に振り回されている姿を見ると胸がスカッとします。」

 「あら、ルミオちゃんったら。そんな風に言うものじゃないわよ。」

 「母上、『ルミオちゃん』はお止めくださいと何度もお願いしております。」


 ルミオの素早い抗議をサラリと流し、ラントン夫人は腕を組んでソファにもたれた。


 「うーん、やっとここまで来たのにじれったいわねぇ。さっさと結婚しちゃえばいいのに。」

 「それがなかなか上手くいかないんですよね。どうもあの人、無自覚の優柔不断というか、天然タラシというか。どうして数ある男の中からあの人を選んだのか、本当に理解に苦しみます。とにかく私も早くお役御免になりたいので、こうして駆け回っているのですよ。」


 ルミオが溜息を吐きながらお茶を啜っていると、その様子を見ていたラントン夫人がニッコリと微笑んだ。


 「あら、でもルミオちゃんは彼の事好きでしょう?この前も可愛い豚さんの置物を嬉しそうに眺めていたじゃない。あれ、どこに飾ったの?」

 「あぁ、あれですか?あれなら私のベッドの横に置いてますよ。見ているだけで癒される表情をしてますので。」

 「相当気に入ってるじゃないの。」


 呆れ顔の母を無視し、ルミオはカップのお茶を飲み干してソファから立ち上がり一礼した。


 「では、私はこれから王宮に戻りますので失礼します。父上、申し訳ありませんが彼らへのご対応をよろしくお願いいたします。」

 「うむ、早急に手配させよう。お前もほどほどにするんだぞ。ま、もう少しの辛抱だ。頑張れよ。」

 「ふふ、あの方には逆らえないものね。」


 どこか他人事のように楽しんでいる両親を半目で眺めながら、ルミオは大きく溜息を吐いた。


 「あの方に面と向かって逆らえる人がいたら見てみたいですよ。それでは、行って参ります。」

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