17
宿屋で騒いでいた男たちは突然踏み込んできた騎士団の姿に腰を抜かし、あっという間に捕縛された。中には裏手から逃げようとする者もいたが、すでに待機していた騎士の姿を見るや否や、すぐに抵抗をやめて大人しく捕まった。
リベリオが中を見回しながら部下に指示を出していると、二階から降りてきたルマリナがリベリオの元へ歩み寄った。
「リブ、来てくれてありがとう。」
「いや、たまたま第五騎士団に要請があったからだよ。街の広場にある宿屋と聞いた時はまさかと思ったが、本当にお前の旦那の店だったとはな。」
「…。」
「どうした?まさか、今回が初めてじゃないのか?」
リベリオの言葉にルマリナが躊躇いがちに小さく頷く。リベリオはすぐ側にいたルミオに指示を任せて、ルマリナを宿屋の裏手に連れ出した。
「どうしたんだ。何かあったのか?」
リベリオが宥めるように声をかけると、ルマリナは俯いて声を落とした。
「今年の二の月に、私とターニオは夫婦になったの。針子の仕事も娼館の仕事も辞めて、この宿屋に嫁いできたのだけれど…。」
「…それで?」
「私が娼館で働いていた事を知っている男が、度々この店に来るようになってね。そいつは客として来たことは無いのだけれど、針子の仕事をしている日は待ち伏せをしたりして、しつこく言い寄ってきていたのよ。」
「…。」
「私は全く相手にもしていなかったのだけれど…。ターニオと夫婦になった途端に態度を豹変させて、嫌がらせをしてくるようになったの。」
「逆恨みってやつか。何でもっと早く言わなかったんだよ。」
リベリオが眉間に皺を寄せて詰め寄ると、ルマリナは俯いたまま顔を横に振った。
「言えるわけないでしょう。それに、最初はそいつとその仲間だけだったのが、いつの間にかガラの悪い連中にまで広がってしまって…。私だけじゃなく、店で働く娘たちにまで手を出すようになってしまったの。」
「何てことだ…。旦那には相談したのか?」
「もちろん話したわ。彼は怒って、それ以来男たちとの間に立って私たちを庇ってくれるようになった。でも、その度に酷い怪我をして…。」
「用心棒を雇ったらどうだ?」
「それも考えたの。でも、店の安全を任せられるような人を見つけるのも大変だし、そもそもその人が信用できる人なのかもわからない。それに一人二人雇ったところで、多勢に無勢でしょう?たくさんの人を雇う余裕も無いし…。」
ルマリナの消え入るような声を最後に沈黙が訪れる。その沈黙を破るように、リベリオは小さく溜息を吐いた。
「わかった。それならしばらくの間、俺がここに来るよ。」
「え?ちょっと、何言ってるのよ。」
「昼間は仕事で来られないが、夜なら来れる。どうせ帰ったところでボロい平屋で寝るだけなんだから、気にすることはない。」
「そんな…貴方に迷惑はかけられないわ。これまで通りなんとかやっていくから。」
ルマリナが顔を横に振る。いつも気丈に振る舞っていた姿が、いまや見る影もない。リベリオはルマリナの両肩に手を置くと、言い聞かせるように言った。
「いいか、ルマリナ。お前だけじゃなく、店の娘たちにまで被害が出ているんだ。今日までは助かったかもしれない。だが、今後はどうなるかわからないだろう?もし手遅れになったらどうする。」
「…。」
「もちろん金もいらん。その代わりに一番狭くていいから、部屋と簡単な食事を用意してくれたらそれでいい。どうだ?」
「でも…。」
「それでしたら、私に考えがあります。」
二人の間に割って入ってきた声に振り向くと、ルミオが扉の奥から足早に出てくるところだった。ルミオは数歩手前で立ち止まり、ルマリナに一礼してからリベリオの方へ向いた。
「第五騎士団の部下にも、寝に帰っているだけの者がたくさんいるんですよ。それに夜勤の者もいますし、給金の少ない者もいます。その者たちに昼夜交代で来させるんです。寝る場所だけではなく無料で食事が付いてくるのなら、逆に希望する者が出てくるかもしれませんよ。」
「なるほどな。それなら俺がいなくても大丈夫か。」
「はい。副団長自らがお出になられずとも、腕の立つ者は大勢いますからね。そうやって一月二月続ければ『王宮騎士団の通う宿』として噂は広まるでしょうし、わざわざそこで悪さを働こうとする輩もいなくなるでしょう。」
ルミオがケラケラと笑って言うのを横目に、ルマリナに視線を移す。まだ俯いたまま躊躇っているルマリナに、リベリオは声をかけた。
「まぁ、どちらにせよ団長に許可をもらってからだ。とりあえず今夜は俺がここに来るから、部屋を用意しておいてくれ。わかったな?」
「…。」
「わ・か・っ・た・な?」
「…わかったわ。ありがとう、リブ。」
「それでは、早速私の方から団長にお話ししておきますね。まぁ、勤務時間外のことですし、却下されることは無いと思います。」
「あぁ、よろしく頼む。よし、それじゃあ俺たちもそろそろ引き上げるか。ルマリナ、また後でな。」
「えぇ、ありがとう。ルミオ様、よろしくお願いいたします。」
「ルマリナ、ちょっと来てくれるかな。」
ターニオの声にルマリナが返事をして去っていく。その後ろ姿が見えなくなると、ルミオが半目になって声を潜ませた。
「副団長、本当によろしいのですか?」
「何だ急に?」
「ルマリナさんの事ですよ。せっかくナリア嬢が心を開きかけてらっしゃる時に、他の女性への過度な親切は誤解を生みます。」
「何を言っている。友人が困っているから手を差し伸べただけだろうが。それ以上でもそれ以下でもない。」
「それならよろしいのですが…。」
「それに、ナリーはそんな心の狭い女じゃない。話せばわかってくれるさ。」
----そうさ。ナリーは俺に『好きです』と言ったんだ。あの筋金入りの内気な女が!顔を真っ赤にして!!
ふと、その後に続くナリアの顔が頭に浮かんだ。頬を染めたまま口づけを待つナリアの表情が、まだ記憶に新しい。グッと奥歯を嚙み締めて、ニヤける顔をなんとか押し止めた。
「行くぞ」と言って踵を返すリベリオの後を、ルミオは溜息を吐きながら追いかけた。
*
街の上流階級居住区のすぐ側にあるレストランで、リベリオとナリアは食事を楽しんでいた。品の良い内装と静かに流れる優雅な音楽。間接照明で照らされたナリアの微笑みを、リベリオは目を細めて眺めていた。
「誕生日おめでとう、ナリー。22歳だな。」
「ありがとうございます。リブのお誕生日は九の月でしたよね?」
「そうだ。それにしても、この前の観劇の日にナリーの誕生日を聞いておいて良かった。まさかもう目の前だとは思わなかったからな。」
リベリオはそう言ってポケットに手を入れると、小さな箱をテーブルに置いた。箱を開けて中のものを取り出し、そのままナリアの右の手を取ると、細い薬指にそっとはめ込んだ。
「これは…。」
ナリアが目を見開き、指の上に視線を落とす。指輪にはめ込まれた赤い宝石が、照明に照らされ控えめな輝きを放っていた。
「婚約指輪だ。ナリーは七の月生まれだから、ルビーにしたんだが…。気に入ったか?」
「はい!とても…とても綺麗です。その…良いのでしょうか、こんな高価なものをいただいて。」
「何言ってる。婚約者に婚約指輪を送るのは当然だろう。それに…」
「はい?」
「指輪があれば、お前が俺のものだと周りにいちいち言わなくて済むだろう?」
「なっ!?」
「うん?それとも誰かに会うたびに言って回った方が良いのか?」
ナリアの顔を覗き込み、ニヤリと笑う。ナリアが顔を真っ赤にして口をパクパクさせている間に、リベリオはウェイターを呼び付けた。
「お呼びでございますか?」
「あぁ、葡萄酒をもう一杯もらえるかな。ナリーはどうする?」
「いえ、私はもう十分です。ありがとうございます。」
ウェイターが一礼して下がり、二人の間に沈黙が訪れる。ナリアは耳に心地良い音楽を聴きながら料理を口に運んでいると、ふと視線を感じて顔を上げた。
「リブ?どうしました?」
「いや、大人になったなと思ってな。」
「フフ、そうですね。初めてお会いした時のリブと、同じ年齢になりましたね。」
「そうか!そうだな、俺ってこんなに若かったんだな。それをお前ときたら…。」
「もういいじゃないですか!あの時は暗くてわからなかっただけですってば!」
二人がクスクスと笑いあっていると、ウェイターが葡萄酒を運んできた。リベリオが葡萄酒を口に含んで香りを楽しむ姿に、ナリアは胸が高鳴った。
----当時のリブはすでに大人だったな。それに比べて、私は当時から何も変わってないもの。…あれ?そういえば…
その時、ナリアはふと右手の指輪が目に入った。婚約の話が出てからというもの、目まぐるしく変わった環境のせいで忘れていた事がある。
『どうして、今更』
----よく考えたら、リブはどうして急に求婚したのかしら…。だって最後に夜会で会ってからお手紙をもらうまでの二年半の間、一度もお会いしてないのよ?リブは、私がすでに結婚していると思っていた、と仰っていた。私とキュリオ様の事や、私の噂を知ったから?でも、それを知っただけで『一度お会いしましょう』じゃなくいきなり求婚なんてするかしら…。
----『あの後すぐに気付いたんだよ!お前と再会した時にはすでに恋に堕ちてたんだって。自覚が無かっただけで!』
----あの後。部下の方とお酒を飲みに行かれた後…。そうだわ、何かきっかけがあったって事よね。そういえばあの時…
----『だから、それはルマ…!』
「どうした?ナリー。」
リベリオに声をかけられハッと我に返ると、グラスを片手に覗き込むリベリオの瞳と目が合った。ナリアは咄嗟に笑顔を浮かべ、手元にあったパンをちぎる。
「いえ、何でもありません。このお店のお料理は本当に美味しいですね。食べ過ぎてしまいそうです。」
「そうか、それは良かった。また二人で来ような。」
*
レストランから出て、リベリオは布を取り出し額を流れる汗を拭いた。
「ふぅ、今夜はやけに暑いな。さ、ナリー。行こうか。」
ナリアの手を引き馬車に乗り込むと、リベリオはナリアの頬に触れ、優しく唇を重ねた。リベリオがそっと触れるだけのキスに満足して身体を起こす。その横顔を覗き見ながら、ナリアは段々と物足りなく感じている自分に、言いようのない羞恥を感じていた。
----だから、どうしちゃったのよ私!!
ゆっくりと馬車が走り出す。リベリオがナリアの肩に腕を回して抱き寄せたまま走り続けていると、広場へと続く通りに入ったところで、御者の「うわぁっ!」という叫び声とともに突然ガタンと馬車が揺れた。
「申し訳ございません!急に人が飛び出してきまして、お怪我はありませんでしたか!?」
「…なんだ急に。何かあったのか?」
リベリオがナリアに怪我が無いかを確認すると、身体を起こして窓の外を見た。すっかり暗くなっているせいか、頼れるのは馬車に掲げている灯りしかない。
それでも目を凝らして辺りを見回していると、御者が先に何かに気が付いた。
「あれは…自警団でしょうか。先ほど飛び出したのも彼らのようです。どこかに向かっているようですが、いかがいたしましょう。違う道を通りましょうか?」
「自警団だと?どこに向かっている?」
「さぁ…。暗くてよく見えませんが、あれは多分…昼には露店が並ぶ…宿屋が立ち並ぶ方角だと思うのですが。」
「宿屋だと!?すまんが、そちらへ向かってくれ!すぐにだ!」
「えぇ!?は、はい、畏まりました!」
御者が慌てて手綱を捌く。リベリオはギリッと奥歯を噛み締め、窓の外を睨んだ。
----まさかルマリナのところか!?あれからまだ日が経ってない。十分あり得る!
リベリオが口元に手を当てて眉間に皺を寄せていると、横から袖を軽く引っ張られてハッとした。途端に背筋が凍るような感覚に襲われ、目を見開く。
「リブ、どうしたのですか?何かありましたか?」
----しまった!ナリーがいたんだった!!
自分を真っ直ぐに見上げるナリアの顔に焦点が合わない。不自然に彷徨う視線が焦りに追い打ちをかけ、リベリオの心臓が暴れ出した。
----どうする!?だが、もう馬車は宿屋に向かっている。ここでやめたら逆に不自然じゃないか!?いや、別に隠すことも無いんだ。友人が困っていると正直に話せば、わかって…
「リブ?」
「あ、いや、最近街で暴れている奴らがいて、取り締まっているところなんだ。今まさにその現場に自警団が駆けつけているようだから、様子だけ見て行こうと思ってな。」
「まぁ、そうなのですか!でも大丈夫なのですか?リブが危険な目に遭うのでは…。」
「俺なら大丈夫だ。おい、馬車を少し現場から離れたところに停めてくれ。ナリアに危険が及んではいけないからな。わかったな、離れたところだぞ!!」
カラカラに乾いた喉から絞り出すように声を張り上げる。グルグルと頭を回転させていると、御者の声が無情に響いた。
「申し訳ありません、野次馬が多くて停められる場所が少し近くなります。そろそろ着きますよ。」
*
馬車が停まると、窓の外から人々の騒めきが聞こえてきた。夜だというのに宿屋の周りは野次馬と自警団でごった返していた。
----クソッ!もっと離れたところは無かったのかよ!だがこの距離ならまだ…
リベリオが心の中で舌打ちをしながら身体を起こすと、ナリアの頬に触れて真っ直ぐに見つめた。
「いいか、ナリー。外は暗いし危険だ。俺が戻るまで扉の鍵をしっかり閉めて、決して外には出るな。後ろにお前用の外套もあるから、何かあったらそれで身を隠せ。わかったな?」
「わかりました。くれぐれも、お気をつけて下さいね。」
「いい子だ。おい、彼女をここで待たせるから何かあったらすぐに逃げるんだ。わかったな!」
「畏まりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
リベリオはナリアにキスをすると、馬車の外に飛び出し外套を羽織った。人だかりを足早にかき分け、一際喧騒の激しい場所へと向かう。人垣を抜け出た頃には、自警団が宿屋に踏み込んだ後だった。
----やっぱり、アイツらの宿屋じゃねぇか!!
リベリオが近くにいた自警団員に騎士団の紋章を見せて入り口に向かおうとした時、自警団員に支えられ外に連れ出された女が目に入った。殴られたのか、口元に怪我をして血が出ている。その悲痛な表情を認めた瞬間、カッと頭に血が上った。
「ルマリナ!!」
その声に反応するようにルマリナが顔を上げる。リベリオに気付いた途端、顔を顰めて走り寄った。
「リブ!!」




