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リドットはカップのお茶を一口啜り、「フゥ」と息を吐いた。ナリアがリドットの言葉に動揺しているのを横目に、ミネラが横から口を挟む。
「リドット先生には、リブ様のお気持ちがわかるのですか?」
「うん?そうだね…わかるというか、理解できると言った方が正しいかな。『きっと彼はこう悩んだのではないかな。なら、ナリーに求婚したのは悩んだ末の彼なりの結論だったのだろうな』ってね。僕はそういった経験が無いけれど、もし僕が彼の立場だったら同じような事を考えたかもしれないからね。」
「えぇっ!お好きな方がいらっしゃるのに、他の女性に求婚できるのですか!?」
「フフ、そこじゃないよ。『愛する女性の事を何よりも大事に考えている』って事だ。」
リドットはもう一度お茶を啜ると、カップをテーブルに置いた。
「かつてリベリオさんに『心に決めた忘れられない人』がいたとしても、彼にとってそれはすでに過去の話だろう?彼にとって、『恋』は忘れられないもので、これから築いていくものは『愛』だというだけのことさ。恋は一人でするものだが、愛は相手がいないと育めないからね。彼がその相手になってほしいと望んだのが、ナリーなんだよ。」
「はぁ、そういうものですか…。よくわからないです…。」
ミネラの溜息にリドットは苦笑した。男女の恋愛に関してはあまりに幼い二人を相手に男の気持ちを知ってもらおうなど、どんな説法を聞かせるよりも難しいような気がする。かと言って、自分にはそれを上手に伝えられる程経験があるわけでもない。
俯いたまま肩を落とすナリアに、リドットはニコリと微笑んだ。
「リベリオさんは多くの女性に求められるような人なんだろう?相手が誰であれ、そんな彼がただの同情心だけで求婚するとは思えないよ。だから、もっと自信を持ちなさい。」
ナリアは小さく頷き、カップに口を付けた。
*
二人と話をした後、ナリアは庭に出て子供たちと遊び、気が付けば夕方になっていた。
「ナリアお嬢様、そろそろ帰りましょうか」
「えぇ、そうね。」
ナリアが子供たちに別れの挨拶をしている間に、リドットとミネラが見送りの為に馬車の側で待っていた。
「ナリー、今日は来てくれてありがとう。嬉しかったわ。」
「私も、また来られるようになって本当に嬉しい。また遊びに来るわね。リドット先生、今日はありがとうございました。」
リドットが一歩前に出てナリアを優しく抱き締め、頭を撫でた。リドットの胸の鼓動が頬に触れ、それだけで安心できる。しばらく抱き合った後、身体を離してナリアの顔を覗き込んだ。
「あぁ、いつでもおいで。いいかいナリー、自信を持ちなさい。彼は必ず…」
「あら?馬車がこちらに向かってきているわ。誰か来たのかしら。」
リドットの言葉を遮るようにミネラが声を上げた。リドットとナリアが振り向くと同時に、ナリアが乗ってきた馬車のすぐ側に一台の馬車が停まった。見覚えのある豪奢さに、ナリアの目が点になる。御者が台から降りて扉を開けると、騎士団の制服に身を包んだ長身の美丈夫が降り立った。
「ナリア!」
「リベリオ様!?どうしてこちらに!?」
リベリオが大股にナリアに歩み寄る。ナリアの両肩に手を置くリドットの姿を捕らえると、睨むような目つきで肩に手を回しナリアを引き剥がした。
「さっきナリアに用があってアマティスタ家に行ったのだが、こちらにいると聞いたから迎えに来たんだ。」
リベリオがリドットに視線を刺したまま言うと、リドットは呆気に取られてナリアを見た。
「ナリー、こちらはもしかして…。」
リドットの言葉に、リベリオの片眉がピクリと動く。
「『ナリー』だと?失礼だが、貴方はナリアとどういった関係だ?」
「ちょ、ちょっと待ってください!このお方は…。」
「お前は黙っていろ。で?どのような関係だ?」
リベリオの低い声音にナリアが目を丸くしていると、再びミネラが横から口を挟んだ。
「ねぇ、ナリー…。もしかして、この方が『リブ様』なの?」
「君は?」
「初めまして、私はナリーの親友のミネラと申します。この孤児院で働く修道女でございます。それから…」
「初めまして、リドット・セレニスと申します。この孤児院の院長を務めております。」
リドットがニコリと微笑み手を差し出すと、リベリオはパッと表情を変えて握手を交わした。
「あぁ、こちらの院長殿でしたか。これは失礼しました。私はナリアの婚約者で王宮第五騎士団副団長を務めております、リベリオ・デガートと申します。どうぞ、よろしく。」
『婚約者』の部分を強調するように言う。リドットとナリアがリベリオの態度の変わりように唖然としていると、ミネラが思わず吹き出した。
「なぁんだ、ナリーったら。全然心配する必要ないじゃない!」
「心配?ナリア、何かあったのか?」
クスクスと笑うミネラの隣でリドットも思わずフフ、と笑う。リベリオが「訳が分からない」といった顔でナリアに視線を向けると、ナリアは慌てて両手を振った。
「何でもありません!さぁリベリオ様、帰りましょう!!」
「え?あ、あぁ、そうだな。それじゃあこれで失礼する。」
ナリアがリベリオの背中をグイグイと押すようにして歩き出す。
「ナリー、今日はありがとう!気を付けてね!」
「ナリー、またいつでも遊びにおいで。」
リベリオが乗ってきた馬車に二人が乗り込み、ナリアが乗ってきた馬車にはサフィが乗り込んだ。馬車が動き出し走り去るのを見送りながら、ミネラがポツリと呟いた。
「ところでリドット先生、先ほどナリーに何か言いかけてませんでしたか?」
リドットは小さく息を吐くと、目を細めた。
----彼は必ずナリーを守り、幸せにしてくれるよ。
「いや、言う必要は無かったようだ。」
*
アマティスタ子爵邸に向かう馬車の中で、リベリオとナリアは向かい合うように座っていた。夕日が落ち始め、紺と橙が混ざった色を映している。
眉間に皺を寄せ、頬杖をついて窓の外を眺めるリベリオに、ナリアはチラチラと視線を向けた。
「…何でだ?」
「はい?何か仰いましたか?」
「何であの男はお前の事を『ナリー』って呼んでいるんだ?」
リベリオからの突然の質問にキョトンとしていると、リベリオは苛立たし気にナリアを見た。
「なぜだ、と聞いている。」
「え?あ、私に『ナリー』と名付けて下さったのはリドット先生なのです。幼い頃からあの孤児院には通っていまして、人見知りで怖がりだった私が早く皆に馴染めるようにと。とても良くして下さいました。」
ナリアが懐かしそうにふわりと笑って話しているのを横目に、リベリオは窓の外を向いた。
「…つまり、あの男がナリアの『大好きな人』というわけか。」
「はい?」
「初めて会った時にそう言っていただろう。」
ナリアが再びキョトンとした顔でリベリオの顔を見つめる。沈黙の中サンドルド侯爵邸の庭先での事を思い返し、ナリアはハッとした。
----『ナリー?『リア』じゃなく?』
----『はい。私の大好きな方が付けて下さったのです。』
----言った!そういえば、私そんな事を言っていたわ!でもそんな些細な事、よく…
ナリアはリベリオの横顔に心臓がドキリと高鳴った。差し込む夕日の光が端正な顔立ちに美しい陰影を作る。顔が赤くなるのを感じて咄嗟に目を逸らすナリアに、リベリオがそっぽを向いたまま追い打ちをかけた。
「何だよ。俺にはナリアと呼べって言ったくせに、なぜアイツは良いんだ?婚約者の俺がダメなのにアイツは良いなんておかしいだろう。」
リベリオが不貞腐れたように言うと、ナリアはバクバクと心臓を鳴らしながら口籠った。
「いえ、ですから先ほども申し上げました通り、リドット先生は私の恩人なのです。そ、それに、大好きというのはそういう意味ではなくてですね…。」
「フン、わかってるさ。父のように兄のように慕っているって意味だろう?俺が聞いてるのは、なぜ俺は『ナリー』って呼んだらダメなんだって事だ。」
リベリオが視線だけをジロリと向けて、ナリアを見据える。ナリアは真っ赤に染まりきった表情で視線を彷徨わせながらポツリと呟いた。
「良いですよ…。」
「うん?何だ?」
「ですから、ナリーと呼んで下さっても構いません…と、申し上げました。」
「本当か!?じゃあ、俺の事も前みたいにリブって呼んでくれるな?」
「え?は、はい。では…リブ様とお呼びします。」
ナリアが必死で声を振り絞ると、リベリオはナリアの手を取り真っ直ぐに見つめた。
「リブ、だ。」
「はい?」
「様は要らない。前から言おうと思っていたが、お前に言われるのは堅苦しくて好きじゃないんだ。だから俺の事は『リブ』と呼べ。『リベリオ』でもいい。」
リベリオの真剣な眼差しと突拍子も無い申し出にナリアが再び固まっていると、リベリオの「聞いているか?」という言葉にハッとした。
「え?えぇっ!?いえ、それはちょっと、私にはできません!」
「何でだよ。俺がそうしてくれって言ってるんだろうが。」
「無理なものは無理です!!」
「だから断る時だけハッキリ言うんじゃない!本当にブレない奴だなお前は!!」
二人がハァハァと肩で息を切らしながら前のめりで見つめ合う。リベリオは「フンッ」と鼻を鳴らしながら座席にもたれてナリアを見下ろした。胸元に手を入れて紙を二枚取り出し、まだ抵抗の視線を向けるナリア目の前で広げた。
「何ですか、これ?」
「これは、今度街の広場で行われる観劇のチケットだ。旅芸人の一座のものとは違う、本格的なものが観られるらしい。お前と観に行こうと思って手に入れたんだが…観に行くか?」
「まぁ!本当ですか!?ぜひ行きたいです!!」
ナリアがパッと明るい表情でチケットに手を伸ばすと、リベリオはヒョイと上に上げた。
「何です?」
「『リブ、私も行きたい』と言ったらな。」
「なっ!何を言ってるのですか!?そんな事…」
ナリアが顔を真っ赤にして抗議するが、リベリオは涼しい顔で受け流す。チラとナリアを見据えてニヤリと笑った。
「どうした?言えないのか?それじゃあ、しょうがないな。確か今回はお試し開催だと聞いたから、もう二度と観られないかもしれないなぁ。」
「ヤレヤレ残念だ」といった顔で肩を落とすと、ナリアは口をパクパクさせて拳を握り締めた。
「で、どうする?行くのか行かないのか、さっきみたいにハッキリ言ったらどうだ?」
うん?という顔でナリアを覗き込んだ。ナリアが顔を真っ赤にしたままリベリオを睨みつけている。その顔があまりに愛おしくて、リベリオは抱き締めたい衝動を何とか堪えた。
「…きたいです…。」
「何だ?聞こえない。」
「…!!もうっ!ですから、私も行きたいです!リブ!!」
顔から火を噴きながら叫ぶナリアの表情に、リベリオは心の底から湧き上がる幸福感を噛みしめた。無意識に顔が綻び、吸い寄せられるようにナリアの頭にポンと手を置いた。
「俺もお前と一緒に行きたいよ、ナリー。」
*
アマティスタ子爵邸の玄関の前に、豪奢な一台の馬車が停まっていた。その車体には、グラナード侯爵家の紋が掲げられている。
屋敷の広間では、ルミゴンを上座にクレトンとエドラが並んで座っていた。
ルミゴンが従者に視線を送る。従者は一礼すると、二枚の書類を取り出しクレトンに手渡した。
「こちらは?」
「…いいから、目を通せ。」
エドラにチラと視線を投げてから書類に目を通す。一枚目、二枚目と読み進むにつれ、クレトンは驚愕に目を見開き両手を震わせた。
「こ、これは…!侯爵様、これは一体どういう事でしょうか!?」
わなわなと震える夫の様子を見て、エドラは横から手を伸ばした。書類に目を通し、内容を確かめる。最後まで読み終えると、呆然とした顔でルミゴンを見た。
「グラナード侯爵様、これは…こちらに書かれている内容は何です?何の冗談でしょうか。」
「冗談ではない。アマティスタ子爵殿、エドラ夫人、これはあくまで私からの提案であり決定事項ではない。しかし、前向きに考えてくれると信じている。では、私の用件は終わった。失礼する。」
クレトンが未だに呆然として固まっていると、ルミゴンはサッと立ち上がり従者と共に廊下へと出た。その後ろに続くようにエドラが廊下へと飛び出し、ルミゴンを呼び止めた。
「グラナード侯爵様、お待ち下さい!!」
ルミゴンは振り返り、片手を上げて従者を離れた位置に下がらせてからエドラに向き直った。その鋭い眼光を放つ瞳を、エドラは真っ直ぐに見据え声を落とした。
「…ルミゴン様、あれはどういう事でしょうか。先ほどのお答えをいただいてはおりませんが。」
「…エドラ。どういう事も何も、書いてある通りだ。」
「それだけの説明で納得できるとお思いですか?」
エドラの瞳を真正面から受け止め、ルミゴンはフ、と笑った。
「お前は本当に昔から変わらんな。とにかく、私は自分の望んだことは必ず成し遂げる。それにアマティスタ家としても悪い話ではないだろう。」
「そうかもしれませんが、どうしてそこまで…。」
「エドラ。」
ルミゴンが真っ直ぐにエドラを見つめる。老年の皺が刻まれ一層威厳を増した瞳の奥に、かつての優しい眼差しが蘇り、エドラはハッと息を呑んだ。
「何も心配しなくていい。俺を信じろ。」




