13
王宮内にある訓練場に第五騎士団の旗が掲げられている。朝早くから鬼の形相をした美丈夫が、敵に見立てた木に向かって打ち込む訓練兵の前に立ち、怒号を浴びせていた。
「貴様らぁっ!!やる気あんのかっ!!もっと声出せオラァァッッ!!」
「おいお前っ!!なんだその動きは!!もっと腰を入れて押し込めバカ野郎ッ!!」
「お前ら何やってんだ!!今からもう一回、50週走ってこい!!」
打ち込みが終わると間髪入れずに打ち合いに入る。リベリオは特注の訓練用の剣を構え、訓練兵を次々と叩きのめしていった。
「オラァァッ!!次っ!!」
「誰でもいいから、さっさと前に出ろ!!ダラァアァァァァッッ!!」
ガツンッガツンッと剣のぶつかり合う音が響き渡る。広場の片隅で順番を待っている兵たちがリベリオの鬼気迫る表情に怯え、ボソボソと囁き合っていた。
「おいおい、今日の副団長どうしたんだよ!」
「わからん。なんか、最近は一日中あんな感じらしいぞ。」
「ナリア嬢と何かあったのかな。」
社交界を賑わす華男リベリオ・デガートと不名誉な噂を纏った令嬢ナリア・アマティスタとの婚約話は、瞬く間に社交界中に知れ渡った。
リベリオは婚約後も夜会へと出席し、周りから、特に女たちからの質問攻めにもにこやかに答えてナリアの潔白を説いて回った。ルミオもまた後方支援として情報網を駆使し、ナリア・アマティスタは父親の事業を陰ながら支える才女であると触れ回り、次第にナリアに関する噂は消えていった。
「おい、そこのお前ら!喋ってないでとっととかかって来い!!」
「うわぁっ!俺たちのことかよ!!」
「おい、お前先に行けよ!」
「えぇ!?ちょっ、待っ、うわあぁぁぁぁ!!」
*
「今日はまた派手にやらかしたそうですね。」
団長室の書類棚の前で書類整理をしているルミオがニヤニヤと笑いながら声をかけた。
「フンッ、別にいつもと変わらん。アイツらがたるんでいるだけだ。」
「ナリア嬢と何かあったのですか?」
リベリオは羽ペンを動かす手を止め、ジロリとルミオを睨み上げた。が、ルミオはそれを涼しい顔で受け流す。
「おっと、差し出がましい事を申し上げてしまいました。」
わざとらしく口を押さえ、眉尻を下げた。全く申し訳なさそうにしていない表情に軽い腹立たしさを感じたが、女とまともに付き合った事のない自分には解決策が見つかりそうもない。
リベリオは大きく溜息を吐くと、羽ペンを置いて椅子にもたれた。
「お前に教えてもらった湖に出かけて以来、彼女が会ってくれないんだよ。」
「え?あれ以来ですか?随分前じゃないですか。何をやらかしたんです?」
「まぁ、いろいろと…。おかげで結婚までの準備が何も進まない。式の日取りも、新居すら探しに行けていないんだ。」
ナリアとリベリオが出かけてから、すでに一月が経っていた。六の月に入ると陽も一段と高くなり、明るい時間が長くなる分、デートをすれば一緒にいられる時間も長くなるはずだった。それなのに、会う事ができないまま貴重な時間が無情にも刻一刻と過ぎ去っていく。
せめてナリアと共に夜会に参加できる日の為にと、リベリオは連日の夜会に足を運んではナリアの名誉回復に走り回っていた。
「まぁ、婚約を結んだとはいえまだ婚姻を結んだわけではありませんからね。白紙に戻すこともできますし、様子を見てらっしゃるのではないでしょうか。」
「俺は解消するつもりは無い。」
「それは見ていればわかりますよ。でもナリア嬢は違うのですよね?何か、会おうとしない理由があるのでは?」
核心を突かれ、ギクリと肩を震わせる。上司の前で鼻歌交じりに書類を棚に並べているルミオの横顔に向かって、リベリオはポツリと呟いた。
「…年明け前に、飲みに行ったのを覚えているか?」
「えぇ、覚えていますよ。私がナリア嬢の事を話した日ですよね。」
「その時の会話を、ナリーに知られていた。」
「は?えぇっ!?どうしてご存知なんですか!?」
「ナリーの義弟が、たまたまあの店にいたんだよ。まぁ、ナリーの名前が出たからだろうが、俺たちの会話を聞いていたらしい。それが妹を通じてナリーの耳に入った。」
「あちゃあ…。それじゃあ、あの時副団長が仰っていた『別に好きじゃない』とか、『子供にしか見えない』とか、『これは彼女への同情心だ』とかも…。」
「…全部バレてる。」
二人の間に妙な沈黙が落ちる。ルミオの同情するような痛々しい視線がリベリオの胸に突き刺さった。
「で、でもほら、その後好きになったんだと言えば…。」
「『ナリアと再会した日に、俺はお前に恋をしたんだ』と言ってしまったんだよ。その後にお前との会話を持ち出されたんだ。おかげで俺は嘘つき扱いされた上に、冷たい視線で婚姻に心は必要無いとまで言われた。」
「うわぁ…。最悪ですね。日頃の行いって怖いですねぇ…。」
「やかましい。とにかくそれ以来、全く会ってもらえなくなったんだ。デートや夜会に誘っても『都合が悪い』の一点張りだ。」
頭をガシガシと掻いて頬杖をつくリベリオを、ルミオはポカンとした顔で見つめた。
「…何だよ?」
「いえ、珍しい事もあるものだと思いまして。副団長が女性に振り回されるなど、全く想像つきませんでしたから。」
「俺だってこんな事初めてだよ。今までの経験が何一つ通用しない…というか、使う機会すらない。普段は内気なくせに断る時だけはハッキリ言う奴だからな、アイツは。」
リベリオが仏頂面でブツブツと文句を言っていると、ルミオは口元に手を当てて考え込んだ。
「副団長。ナリア嬢は確か、ダンスがお好きなのですよね?」
「そうだ。それがどうかしたのか?」
「でしたら、観劇に誘われてはいかがですか?」
「観劇?」
「はい。今度街の広場で行われるそうですが、旅芸人とは一味違った本格的な演劇をするそうですよ。なんでも有力な貴族がバックにいるらしくて、今回は今後街に根付かせるかどうかのお試しだそうです。」
「ほぉ、そんなものがあるのか。」
「私もつい最近聞いたばかりで、まだ知らない人が多いと思いますよ。座って見られる場所はチケット制ですが、私なら伝手を使えば買えると思います。良ろしければお二人分お取りしましょうか?」
「本当か!?ぜひ頼む!」
リベリオが勢いよく食いつくと、ルミオはニッコリと微笑んだ。手が酒を持つ形になっている。
リベリオは立ち上がりざまに手を差し出し、ルミオと固く握手を交わした。
*
ナリアは侍女のサフィと馬車に乗り込み、孤児院へと向かっていた。手土産用にたくさんの焼き菓子を籠に詰め込んでいる。孤児院に通えなくなってから二年近くが経っていたせいか、ナリアは逸る気持ちを抑えきれず窓の外ばかり眺めていた。
----久しぶりに皆に会えるわ。ミネラ、リドット先生、子供たち、それから皆も!
馬車が孤児院に着くと、ミネラとリドットが出迎えに出ていた。
「リドット先生!ミネラ!」
ナリアは馬車から降りるなり、二人の元へと駆け寄った。リドットはナリアを優しく抱き止めると、背中をポンポンと叩いた。
「ナリー、久しぶりだね。元気そうで良かった。」
「リドット先生もお元気そうで良かったです。本当にごめんなさい…。」
「ナリーが謝る事なんて何も無いんだ。こうしてまた会えただけで僕は嬉しいのだから。」
リドットが身体を離してニコリと微笑み、ナリアの頭を撫でる。幼い頃から見てきた優しい笑顔に、ナリアは目の奥が熱くなった。
「そうよ、ナリー。こうしてまた会えるようになったのだもの。リブ様に感謝しなくちゃね。」
ミネラがそう言ってナリアを抱き締めると、ナリアは抱き締め返してミネラの肩に顔を埋めた。
「えぇ、本当に。リブ様が私の為に誤解を解いて回って下さっているとラティから聞いた時は驚いたわ。」
「さぁ、いろいろ話したいこともあるだろうから、とりあえず院長室へ行こうか。」
「私、お茶の用意をしてから行きますね!」
「あ、ミネラ。お菓子を持ってきたの。よかったら皆さんで召し上がってね。それからサフィ、私はしばらくこちらにいるから屋敷に戻ってくれても構わないわよ。」
「いいえ、私も皆さんにご挨拶がてら、何かお手伝いさせていただきますわ。」
サフィがニコリと微笑んで一礼すると、ミネラと一緒に建物の裏手へと向かって行った。
「それじゃあ行こうか。」
「はい!」
*
院長室に入ると、ナリアは思わず安堵の息を漏らした。幼い頃から悲しい事があればこの部屋でリドットに慰められていたことを思い出す。話し下手なナリアの言葉に根気よく耳を傾け、話し終われば優しく抱き締めてくれていた。
ナリアが一人で思い出に浸っていると、リドットはナリアに椅子に座るように促し、テーブルを挟んで対面するように座った。
「それにしてもナリーが婚約かぁ。今回は大丈夫そうかい?」
リドットがナリアに優しく声をかける。リドットの言葉はキュリオとの婚約を白紙に戻した経緯について触れているのだとナリアは理解し、躊躇いがちに微笑んだ。
「はい。」
「ナリー?どうしたんだい?何か心配事でもあったのか?」
「いえ、何もないですよ。」
「そんなわけないだろう。これでも幼い頃から君を見ているんだ。何かあったかぐらいわかる。僕には言えないようなことなのかい?」
「いえ、あの…そういうわけでは無いのですが…。」
ナリアが俯いたと同時に、扉をノックする音がした。リドットが返事をすると、ミネラがお茶とお菓子を持って入ってきた。
「お待たせ!ナリーが持ってきてくれたお菓子も少し貰ってきたの。」
ミネラがウフフ、と笑ってテーブルに並べ、ナリアの隣に座る。カップに口を付けて一息つくと、半目でニヤニヤしながらナリアを覗き込んだ。
「で、リブ様とはどうなのよ。婚約したって聞いた時は口から心臓が飛び出る程驚いたわ!まさかそんな話になっているなんて、思いも寄らなかったのですもの。」
「ミネラはナリーの婚約者の事を知っているのかい?」
「えぇ、知ってますよ。お会いしたことはありませんが、ナリーの初恋の相手なんです。」
ミネラの言葉にリドットが目を丸くすると、ナリアは顔を真っ赤にしながら慌てて制した。
「ちょ、ちょっとミネラ!何てこと言うのよ!!」
「え?何で?別にいいじゃない、もう婚約したんだから。初恋の相手が求婚してくるなんて奇跡、滅多にないのよ?」
「いや、そうじゃなくて!」
先ほどの妙な会話の流れがあったせいか、今この話題はやめてほしい。
ナリアが何とか誤魔化そうと話題を探しているのを横目に、リドットがミネラに狙いを変えてニッコリと微笑んだ。
「ミネラ、ナリーの婚約者…リブ様、だったか。彼はどんな人なんだい?」
「リブ様ですか?お名前はリベリオ・デガート様と仰って、デガート伯爵家の次男で王宮第五騎士団に所属されてる方です。」
「…今は副団長を務めてらっしゃるのよ。」
「え?そうなの!?出世したんだ~、良かったじゃない!で、その方ですけど、それはもう女性にモテまくるようなお方なのです。」
「ふんふん、…それで?」
「ナリーがデビュタントの時、ほら、この子すごく内気じゃないですか。場に馴染めずに庭で一人ぼっちでいたところを、話し相手になって下さったのがリブ様なのです。」
ナリアが頬を染めて俯いていると、リドットはナリアに視線を戻した。
「そうだったのか。で、ナリーはリベリオさんと何かあったんだろう?話してごらん。」
「そうなの?ナリー、何かあったの?」
リドットの言葉にミネラが反応する。二人からの視線に耐え兼ね、観念したようにナリアは小さく溜息を吐いた。
「その…どこから話せば良いのかわからくて…。」
「いいから、思いつくままに話してごらん。」
リドットの優しい声に後押しされるように、ナリアは全てを話した。
再会した時に婚約を祝福された事。リベリオには忘れられない相手がいる事。ようやく忘れられた頃に求婚された事。愛情ではなく同情からだった事。自分に恋をしていたと嘘を吐かれた事。
これ以上傷付くのが怖くて自分の心に蓋をした事に触れると、声が震えだした。
「ナリー、それ本当なの?何か誤解があるんじゃない?」
「わからないの…。でも、嘘を吐いたのは事実だもの。部下の方には『別に好きじゃない』って言っておきながら、私には『恋をしていた』だなんて…。相手の気を引く為に平気で酷い嘘を吐くような人なんだって思ったら、何も考えられなくなってしまって…。」
「リブ様とは、その後話してないの?」
「うん…。」
ナリアが俯いて目を伏せると、それまで黙って聞いていたリドットが静かに口を開いた。
「ナリー、聞いてもいいかい?」
「はい。」
「彼はナリーがキュリオさんと婚約をした時、祝福した。でもそれは、『キュリオさんと自分の持っているものの違いで身を引いたから』だと。」
「はい。そう仰っていました。」
「で、彼の部下には、好きとかではないが『ナリーには幸せになってもらいたいんだ』と言っていた。」
「はい。」
「ふむ…。で、ナリーの噂を知った上で、結局自分がナリーに求婚したんだよね?」
ナリアが顔を真っ赤にして俯くと、リドットは目を細め、ナリアに理解しやすい言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。
「なら、リベリオさんはナリーの事をとても大事に思っているんじゃないかな。」
「…え?」
リドットからの予想外の言葉に、ナリアは一瞬理解が遅れた。自分は酷い事を言われたのに、リドットがなぜ『大事に思われている』と受け取っているのかがわからない。
「確かに思う所はいろいろあるけれど、結局彼が何を優先しているかがハッキリしてるじゃないか。」
「優先…ですか?」
「いいかい、ナリー。男というものは案外単純なんだよ。わかりやすい、と言った方がいいかな。彼が身を引いたのだって、キュリオさんに対する劣等感もあったのかもしれないが、結局はナリーの将来を考えての事だし、求婚したのだってナリーの事を放っておけなかったからだろう?」
「…。」
「大抵の男は、気にかけている相手の境遇にたとえその場限りの同情はしても、求婚まではしないんじゃないかな。何とも思っていない相手なら尚更だ。ましてや、子供だと思っていた上に一度は笑顔で送り出した相手だ。相当な決意…いや、ナリーへの想いがないとできない事だと、僕は思うよ。」
「でも…リブ様には、心に決めた方がいらっしゃると…。」
ナリアが呟くように言うと、リドットは呆れたように言った。
「何を言ってるんだい。それでも彼が選んだのは、ナリーじゃないか。」




