その頃ミラは
今回は三人称視点の話です。
「ん……あれ?」
冷たく暗い床の上でミラは目を覚ました。
おかしい、昨夜は自分の家の自分の部屋、自分のベッドで眠りについたはずなのに。
タカノやクラリス、そしてアリスの気配が感じられない。
いろいろとわけがわからないがここが自分の家でないことだけは理解できた。
違和感の正体を知るべくミラは行動を開始することにした。
窓がないこの空間からでは外の様子がわからない。
魔法を発動させて周囲を照らし、自分のいるこの場所の探索に移る。
「うーん……誰かの家なのかな?」
妙に冷たくて薄暗い上に床や壁は汚れているが建築物としては機能している。
それに誰かが住んでいたような痕跡もある。
知らぬ間に誰かに連れ込まれたのだろうか。
部屋の探索を一通り済ませ、外に繋がっているのであろう扉を発見したミラは外を警戒しながらその扉をゆっくりと開いた。
自分以外の人の気配がないことが彼女の中の違和感をより駆り立ててくる。
廊下を一人で進んでいくうちにミラは知り合いが誰もいない状況に不安と寂しさを感じ始めた。
今まではずっと傍に誰かがいただけに次第に負の感情が募っていく。
しかしここにいない人物のことを考えていても仕方がない。
不安を押し殺し、ミラは廊下を渡って建物の探索を進めた。
「ぅ……っ……」
微かにではあるが人の声を耳にした。
ここは無人の廃屋というわけではないようだ。
ミラは声の聴こえる方へと向かって歩みを進めた。
「この部屋から声がする……」
声のする場所を追っていった結果、ミラはとある大部屋へとたどり着いた。
扉に耳を当て、向こう側の音を探る。
「……ッ!?」
壁の向こうから聞こえた声の正体はミラの心の中にあった僅かな期待を一瞬で真っ黒い恐怖に塗り替えた。
子供の悲鳴と大人の女の狂った笑い声、二つが入り混じった空間で何が起きているのかは容易に想像できた。
『自分もゆくゆくはこうなる』
ミラは自分がここにいる理由を本能的に察知した。
『カミュレが復活したんだ』
つい数日前にタカノから告げられたことが真実であるならば、この部屋の向こうにいるはカミュレであり、悲鳴をあげているのは連れ去られた他の魔法使いの子供である。
とても悲しいことだが、今の自分には扉の向こうの子を助けることはできない。
どうすることもできない苦痛と絶望に満ちた悲鳴に背を向け、ミラは屋敷からの脱出を決意した。
「絶対にここから脱出しなきゃ……」
ミラを駆り立てる理由はただ一つ。
『死にたくない』
それだけだった。
ミラは声と気配を押し殺すことを忘れ、息を荒げて屋敷の出口を探して廊下を駆け回った。
だがいくら探そうとも出口は一向に見つからない。
その時、ミラはあるところに目が付いた。
窓だ、窓から外の様子が見える。
ミラは窓の外から様子を伺った。
ここから飛び降りればすぐに外へ出られそうだ。
そう思い立ったはいいのだが窓は鍵がかかっていて開けそうにない。
鍵の仕組みはわかるのだが肝心の鍵は手元にはない。
ここから外に出るために取れる方法はただ一つ……
「ごめんなさいッ!」
ミラは魔法を行使して衝撃波を発生させ、窓を強引にぶち割った。
そのまま身を乗り出し、飛び降りて地面に足を着ける。
「ここどこ……?」
外へ脱出し、周囲を見渡したミラは困惑した。
目の前に広がる景色にまったく見覚えがない。
これでは外へ出てもどうやって動けばいいのかわからない。
「この年頃の小娘にしては随分と思い切ったことをしてくれるじゃないか」
老いた声がミラの背後からかけられた。
心臓が飛び跳ねそうなほどの衝撃と共に背筋に凍り付くような悪寒が走る。
声の主はこの屋敷の主にしてさっき拷問を行っていた女。
「あ……あぁ……」
ミラは恐る恐る振り返り、その声の主を見て確かめた。
顔を完全に覆うほどに伸びた乱雑で汚い髪、ボロボロに荒れた肌。
そして暗い赤に塗れた血生臭い礼装。
それは『人間』と呼ぶにはあまりにも禍々しい姿をした老婆だった。
「カ、カミュレ……?」
「ほう、私の名前を知っているとはね」
恐れていたことが現実になった。
過去に語られていた人物が目の前にいる。
ミラにはそれが信じられなかったが本人がそう認めるのならば信じる他ない。
「いい目をしているな。さぞ大切にされて育ったのだろう」
カミュレはゆっくりと歩み寄り始めた。
「だが、その命もここまでかもしれないね」
そういうとカミュレは乱雑な髪の向こうから狂気に満ちた目をギロリと覗かせ、ボロボロになった歯を見せながらニヤリと笑った。
『殺される』
カミュレの表情を見てそう感じ取ったミラは足の震えが止まらなくなり、尻餅をついて動けなくなってしまった。
自分の命を狙って迫る人間のようなそれに対し、尻餅をついたまま後退りをすることしかできない。
『自分がお姉ちゃんみたいに強ければ……』
そんな思いが過ったミラは同時にあることを思い起こした。
クラリスやレオナルドたちなら、もしかするとここまで助けに来てくれるかもしれない。
自分にはカミュレと戦えるほどの強さはない、でもクラリスたちが来るまで時間を稼ぐことはできるはず……
だからそれまでは殺されるわけにはいかない。
そう考えたミラはクラリスたちを信じ、地につけていた手を平手から握り拳へと変えた。
「さあ、そろそろ諦めて私にその血を寄越しな……」
カミュレが詰め寄ってきた一瞬の隙を見計らい、ミラは魔法を発動させて強烈な閃光を放った。
閃光は一瞬で周囲一帯を覆いつくし、カミュレの目を潰して視界を奪う。
カミュレが目をうっすらと開けるようになった頃、そこにはミラの姿はなかった。
「やってくれたな小娘!限界までいたぶってやるからね!」
屋敷の外にただ一人、カミュレの雄叫びが響く。
こうして、幼い少女と老婆の命を懸けた戦いが幕を開けた。




