プロローグ:育児のはじまり
俺たちの一家についに娘が生まれた。
彼女の名はアリス、ミラから与えられた名前だ。
魔力の影響で急成長したりいろいろとイレギュラーこそあったものの、いたって健康に生まれてきてくれた。
今の俺たちにとって最も重要なことはアリスの育児だ。
早くも生後一週間になり、俺たちも赤ちゃんの世話の仕方を少しずつ覚えてきた。
さて、今日のアリスは……
「おぎゃあああああ!」
元気な泣き声が俺たちを呼んでいる。
今回は何を要求しているのだろう。
「ご飯ってさっきあげたばっかりだよな?」
「ええ、一時間ぐらい前に」
じゃあご飯を要求しているわけではなさそうだな。
だとしたらおむつの交換か?
「ちょっとおむつ見てみる」
そう言ってアリスと向き合ってみたまではいいものの、俺に謎の緊張感が巡った。
俺は生まれてこの方赤ちゃんと触れ合った経験がない、アリスが初めてなのだ。
「もしかしてビビってる?」
「そ、そんなわけあるかよ……」
内心は滅茶苦茶ビビっているんだけどな。
「尻の臭い嗅げば?」
しれっとオズにアドバイスされたが俺にはそんなことをする度胸はない。
できたらすでにやってるだろうし。
脇目に見るとオズがニヤニヤと俺のことを見ている。
なんか悔しい、やってやろうじゃねえか。
「おほぉ……くっさ……」
極端な臭さはないが咽そうになった。
これは大と小を同時にやったな。
「アッハハハハ!!アンタもまだまだね」
すでに俺よりも場数を踏んでいるオズが煽るように笑った。
何ともいえない敗北感を感じるがこればかりは経験の差だ、仕方がない。
おむつを取るとやはり内側が湿っているし水っぽいが付着していた。
とりあえずはケツを拭いてやらないと。
「うんちの色は見た?それで赤ちゃんの状態がわかるんだって」
そんな方法で判別できるのか。
なら見ておこう。
これは……ちょっと緑っぽいものが混ざった黄色だ。
「少し緑が混ざった黄色だがこれってどうなんだ?」
「それなら大丈夫」
大人になるとまず見ない色だけど赤ちゃんはそれでいいんだな。
覚えておこう。
「赤ちゃんの肌は傷つきやすいから拭くときは気を付けてよ。アンタ力強いし」
風呂上がりのミラの身体を拭く以上に気を使わないといけないな。
繊細な作業になりそうだ。
少しでも力を入れすぎないようにゆっくりとアリスのケツに付いた便を拭きとった。
「替えのオムツってどこにあったっけ?」
「あー、持ってくるわね」
いつもオズが一人でやっているだけにおむつの置き場所を知らなかった。
後で教えてもらおう。
次から俺一人でもできるようになるし。
「おむつはアタシの部屋のクローゼットの左端に置いてあるから」
それだとちょっと面倒だなぁ。
二階ならそれでいいんだろうけれど一階でおむつを交換するなら他の場所にも置いてある方がよさそうだ。
「少し俺の部屋にも分けてくれないか?わざわざ二階まで取りに行くの面倒だし」
「確かにそうかもねぇ。じゃあ後で取りに来てよ」
オズの同意を得られた。
子育てもこうやって少しずつ効率化していくんだな。
おむつを交換したものの、アリスはまだぐずっている。
ご飯、おむつの交換まで済ませたし、まだ要求するものがあるとしたらなんだ……?
わからん。
「どうすりゃいいんだよ……」
お手上げだ。
こんな時、オズだったらどうするんだろう。
「あー、ちょっといい?」
オズには何か思い当たるものがあるらしい。
「よしよーし、こうしてほしいのよねー」
オズはアリスを抱き上げるとそっとあやし始めた。
アリスは次第に泣き止み、無邪気な笑顔を見せてくれた。
彼女が求めていたものはオズなのだろうか。
泣き止んで安心した一方で俺の中になんともいえない寂しさが残った。
「なんで俺じゃダメなんだろうな」
「まあ、赤ちゃんって気まぐれだし?その内アンタを要求することもあるんじゃない?」
そう思えば多少は気休めになるだろうか。
「そういえばアンタってアリスを抱いたことないわよね」
オズに指摘されて俺も気が付いた。
生まれてこの方、アリスどころか他の赤ちゃんですらまともに抱いたことがない。
「抱いてみる?」
アリスをこの姿で抱けるのは今だけだ。
この機会を得ずして何が父親か。
と、いうわけでアリスと向き合ってみたはいいものの……
「何すればいいんだ……?」
「腰当たりと頭の後ろを支えてあげればいいのよ」
オズはさらっというがそれは俺もなんとなくわかっている。
「何緊張してんのよ。赤ちゃんってアタシたちの心がわかるみたいだからそれだと安心してくれないわよ」
平常心だ、平常心。
下手に緊張することなんてない……
俺は恐る恐るアリスに手を伸ばし、抱き上げてみた。
「どうよ?初めて抱く赤ちゃんの感触は」
おぉ………超あったけえ……
赤ちゃんって体温が少し高いんだっけか。
直に触れて初めてそれを実感した。
あとすごい柔らかい。
所謂もち肌って奴だ。
「そうそう、何も怖がることはないんだから」
アリスは俺の腕の中に抱かれながら俺のことを見つめている。
間近で見る父の顔に何を感じているのだろう。
「へへ……」
アリスは俺の顔を見ながら笑った。
あぁ、よかった……
「よかったじゃない。アンタは安心できるって」
挑戦した甲斐があったってもんだ。
もっと数をこなせば俺も何の問題もなく赤ちゃんを抱けるようになるだろうか。
……などと考えていたのも束の間。
「ただいまー!」
玄関が勢いよく開いてミラの大きな声が響いた。
もう学校が終わるような時間だったか。
大きな音に驚いてアリスは一瞬ぱっちり目を見開くとそのまま泣き出してしまった。
「おーよしよし、怖がることはないからな」
これはミラに非がある、注意しておかなければ。
「ミラ、玄関はもっと静かに開けろ!アリスがびっくりして泣き出したじゃねえか!」
「あっ、ごめん……」
浮かれた様子だったミラは一瞬で大人しくなった。
そういえばミラに正面切って注意をしたのはいつ以来だろうか。
ミラにとっては自分の義理の妹がかわいくて仕方がないのだろうし、早く顔を見たいのはわかるんだがそういうところにはもうちょっと気を付けてほしい。
新しく娘が加わった家族は今日も元気です。




