おじさんからの愛
ひとまずオズから逃げて一晩が経った。
あまりに突然のことだったからミラに朝ご飯を作ってやれなかったな。
反射的な行動であの子には悪いことをしてしまった、帰ったら謝ろう。
それにしても、どうして昨日のオズはあんなに乱心していたのだろうか。
これまでそんな素振りを全く見せなかっただけに理由がわからない。
こんなこと、誰に相談すればいいんだ。
ミラにはわからないだろうし、グレイさんやアレンにも相談しづらい。
他に身内で頼れそうな人間は……
「どうしたのかな?随分と困っているようだけれど」
レオナルドさんしかいなかった。
曲がりなりにも彼も妻帯者だし、話ぐらいなら聞いてくれるはず。
「実はですね……」
俺は昨夜から現在に至るまでの出来事をレオナルドさんに打ち明けた。
レオナルドさんは特に驚くような様子も見せずにただ黙って話を聞いてくれた。
「なるほど、つまりクラリスちゃんは君との間に子供を欲しがっていると」
流石レオナルドさん、話が分かる人だ。
「そうなんですけど。強引に迫って来たものだからつい……」
「拒んで逃げてしまったんだね」
「その通りです」
あの時のオズは完全に狂っていた。
逃げなかったら今頃俺はどうなっていたか想像もつかない。
「アイツ、今頃どうしてるんでしょうね……」
保身のために勢いで突き飛ばしてしまったが今は大丈夫だろうか。
とても心配だ。
「正気に返っているならば、強引に君に迫ったことを悔やんでいるだろうし、それを君に拒まれたことをとても悲しんでいるだろうね」
そうだろうなぁ。
俺にも多少の非はあるだろうし、やっぱり何とも言えない。
「俺はどうすればいいと思いますか……?」
わからない。
レオナルドさんに道を示してもらう以外で答えを見つけられそうにない。
「そんなに難しく考えることはないと思うよ。少し、与太話でもしようか」
珍しくレオナルドさんの方から話題転換を持ち出してきた。
きっと俺の気をほぐそうとしているのだろう。
「与太話って?」
「私がヴィヴィアンとの間にミラを授かる少し前の話だ」
ミラが生まれる前のことか。
ぜひとも聞かせてほしい。
「あれは今から十年ほど前の夏のことだったかな」
レオナルドさんは昔を懐かしむように語りだした。
「当時の私は図書館にこもって古代文献の解読をしていたんだ」
あー、何年か前に解読されたって言うあれだっけ。
レオナルドさんも関わってたんだ。
「ある日ふと家に戻ってきてみるとね、ヴィヴィアンがすごく寂しそうな表情をしているのを見かけたんだ」
あのヴィヴィアンさんが……?
とても冷徹だったあの人がそんな表情をするとは思えないな。
「意外だろう?ヴィヴィアンはああ見えて結構人間臭いんだ」
レオナルドさんは静かに笑っている。
夫婦で寄り添っていたからこそ知っていることなんだな。
「私は彼女に訊ねてみたんだ。『なぜそんな顔をしているんだ』って」
「そしたらなんて答えたんです?」
「それがね『二人の愛を形にしたいけれど貴方がそれに答えてくれないのが寂しい』って」
今のオズとよく似ている。
当時のレオナルドさんはどうしたのだろう。
「私はヴィヴィアンの欲求を受け入れることにしたよ」
「どうして?」
「きっと他所の子供を見ているうちに羨ましくなったんだろうね。それに、私には彼女の愛を否定するなんてできない」
愛を否定する……か。
オズのやり方にも問題があったとはいえ、俺は彼女からの愛を否定してしまったのか。
「こうして、私とヴィヴィアンとの間にミラを授かったんだ」
「ミラを身籠ったのを知った時、ヴィヴィアンは泣いて喜んでたよ。あの子をどんなふうに育てたいだとか、いろいろなことを二人でいろいろと語り合ったのは今でも覚えてる」
「きっかけはどうあれ、自分の子を欲しがるのは人間としてごくありふれた欲望だと思うよ」
「そうですかね……」
「そうだとも」
レオナルドさんの人生経験が俺よりも深いということを初めて認識した。
決して図書館にこもって研究しかしてこなかったわけではなくて、その裏ではいろいろと経験してたんだな。
「私からの与太話はこれで終わり。少しは気分が紛れたかな?」
俺はこれからどうしていくべきなのか。
なんとなくだがその答えが見つかったような気がする。
「俺、もう一度オズと向き合ってみることにします」
「そうか。いい方向に事が進むといいね」
俺が今やれることはオズから向けられた愛に正面から向き合うことだ。
それが正しいのかどうかはわからないけれど、それでもオズを悲しませ続けることはあってはならない。
半日ぶりに家に帰ってきた。
特に変わった様子は見受けられない。
オズはいるだろうか……?
「ただいま……」
いつものように玄関を開けた。
返事はない、誰もいないのだろうか。
いやまだだ、自分の部屋にオズがいるかもしれない。
俺は二階に上がり、オズの部屋の前で聞き耳を立てた。
「……!」
オズの部屋の向こうから彼女のすすり泣く声が聞こえた。
部屋ににオズがいることは分かっているが念のためにドアをノックした。
返事はない、いつか前にも同じようなことがあったような気がする。
「入るぞ……」
確認は取ったからな?
確認は取ったからな!!
「ひっ……!うっ……!」
こちらに気づいたオズが俺の方を向いた。
目の回りが真っ赤だ、正気に戻ってからずっと泣いていたに違いない。
なんというか、オズが泣いているのを見るのは結婚したその日以来だが……すごく色っぽく感じる。
「ただいま」
俺はオズの隣に来るようにベッドの上に腰掛けた。
少しでも距離を詰めれば気が落ち着くだろうか。
「なんで戻って来たの……?」
「お前に謝らないといけないと思ってさ」
さあ、ここからはちゃんと俺の意思を伝えないとな。
「昨夜は逃げちまって悪かった、悲しい思いさせちまったよな。お前が普段と全然違う様子で迫って来るもんだから怖くなったんだ」
「……そう。昨夜のこと怒ってる?」
オズが恐る恐る聞いてきた。
昔は俺が怒ればいくらでも反抗してきたのにもうすっかり変わったなぁ。
「びっくりはしたけど怒っちゃいねえよ」
「本当に?」
「怒る道理なんてねえよ。それに、あれはお前なりに勇気を出してアプローチしてくれたんだよな?」
そうだ、あれは自分の意識がはっきりしなくなるぐらい酔わないと言えないことだったんだ。
そうでもしないと不安で打ち明けられなかったんだ。
落ち着きを取り戻してきたオズが俺に話してくれた。
「アタシね、ずっと不安だったの。アンタはずっとミラのことばっかりで、自分の子供が欲しくないのかなーって。それに、アタシのことを本当に大切にしてくれてるのかなって」
オズの言う通り、俺はミラのことばかりだった。
というよりかはミラを自分の子であるかのように錯覚すらしていた。
「アタシは旅行から帰ってきた頃からずっとそう思ってたの」
旅行……日本に行った時か。
随分と焦らしてしまったな。
「で、アンタはどうなの?」
オズが上目遣いをしながら尋ねてきた。
こんな姿を見るのが物珍しいのもあるけれど、とても愛らしく見える。
「正直、俺も自分の子を持つことを考えたことはある。でも不安だったんだ。ミラと一緒にその子を育てていけるのかってな」
俺がこれまでオズにこの手の話題を振らなかったのにはそういう思惑があった。
それに世話をする子供が二人になればそれに伴う苦労も何倍にもなるはずだ。
「アタシがいても、それでも不安?二人の子供なのに、どうして自分だけで不安を抱え込もうとするの?」
……そうだな。
俺だけで考えるような不安じゃないよな。
俺たち夫婦、同じものを一緒に抱えれば負担も少しは和らぐのかな。
「ごめんな、ずっと我慢させちまって。俺はお前のことを嫌ったりしない、ずっとずっと」
俺もいろいろと吹っ切れた。
これまで照れくさくて言えなかった愛の言葉を贈った。
「ねえ、アタシのこと『愛してる』って言ってみて」
オズが俺の手を取って甘えてきた。
彼女の身長不相応に大きな胸の感触が伝わってくる。
不注意で触れてしまったことがあるがその時と変わらない柔らかさだ。
「愛してるぞ、クラリス」
「アタシも、アンタのことすっごく愛してる」
俺はオズをそっと正面に抱き寄せた。
さっきよりもずっと彼女の温かさを近くに感じる。
そして、俺たち二人は……




