〈file5〉俺たちで間に合わせるために
「……!わかった」
水瀬の声を受けて和李は目の前にあるウィンドウの音声認識システムとサイレンを起動させて110番通報をする。
和李の目の前が光りに包まれて、その厚い手が耳元のイヤモニを掠めた。
「霊柩車……。何でそんな所に……っ」
「……兄さん!警察にみのり葬儀館の霊柩車だって事も伝えて!三角と丸のマークの葬儀場はみのり葬儀館しかないから!」
未宙が蒼白な顔で掠れた声を漏らすと同時に、星凛の瞳の奥が恐ろしい速度で明滅した。
膨大な記憶の中に蓄積された来望街の全事業者データ、ロゴマーク、協力者リストが瞬時に走り抜ける。
「了解した。事故の可能性も含めて至急向かわせる」
和李はすぐさま警察への通報口へその情報を叩き込み、手際よく手配を進めていく。
「……」
「何とか間に合えば良いけど……」
その弱気な未宙の一言を遮るように、星凛が力強く両拳を握りしめ、前を向いた。
「……間に合えば良いじゃない。俺たちで間に合わせるんだ」
「……そうだな」
星凛の言葉には、迷いや恐怖を吹き飛ばすような強い光が宿っていた。
その瞳はすでに諦めなど露ほども浮かべておらず、己の記憶の限りを尽くして少女を救う覚悟に満ちている。
未宙は息を呑み、力強く頷いた。
冷たかった自分の胸の奥に、星凛の熱が伝火していくのを感じる。
その時、静まり返った指令室のスピーカーから、ジジッとノイズ混じりの幼い声が上がった。
『お、お兄さん……っ』
「……!どうしたの、葉奈ちゃん!」
未宙が瞬時にマイクへ身を乗り出す。
『何か……変な音する……。ピー、ピーって……。オーライ、オーライって人の声が聞こえるよ……』
「星凛、これもう……!」
車両がバックし、まさに火葬炉や保管庫へと搬入されようとしている危険信号。
未宙の顔から再び血の気が引く。
だが、星凛の顔に焦りはあっても、諦めはなかった。
星凛は瞬時にマイクの感度を極限まで上げると、隣に立つ水瀬へ視線を向けた。
「……水瀬。耳、塞いでてね」
「……またか」
感覚が過敏な、そしてこの状況に慣れてしまっている水瀬は、星凛が何をしようとしているかを察し、慣れた動作で両手で耳を固く塞ぐ。
星凛はマイクに向かって、努めて優しく、だが急かすように指示を飛した。
「葉奈ちゃん、その電話の音を外に聞こえるように音を大きくしてくれるかな?」
『う、うん……』
「……はぁ、ふぅ……」
画面の向こうで少女が必死にスマートフォンを操作する気配。
星凛は一度深く息を吸い込み、胸いっぱいに空気を溜め込んだ。
「星凛?」
未宙が困惑の声を上げる暇すらなかった。
星凛は喉が裂けんばかりの音量で、受電マイクへ向けて全身全霊の叫びを叩きつけた。
「誰か!気づいて下さい!ここに!人がいまーす!子供が閉じ込められてるんです!助けて下さーい!」
「っ……」
指令室のモニターが振動するほどの咆哮。
耳を塞いでいる水瀬でさえ、わずかに眉をひそめるほどの音量だ。
星凛は額に青筋を浮かべ、酸素を肺に流し込み直すと、狂おしいほどの祈りを込めて二度目の叫びを上げる。
「けほっ……。……っ、お願いしまーす!女の子が!まだ中にいます!気づいて……!」
肺が焼けるような切迫感。
通話の向こう側から、マイクの許容量を超えた音割れノイズと、遠くの話し声が途切れ途切れに混ざり合う。
「クソ……。ノイズが……」
届いていないのか。現場の大人たちの耳に、この声は届いていないのか。
焦燥が駆け巡ったその瞬間――少女の弾んだ声が跳ね返ってきた。
『……!お兄さん!今ガコって音が聞こえたよ……!』
「なっ……!届かなかったのか……!」
ガコ、という金属音。
それが棺の固定具が外された音か、あるいは最悪の扉が開いた音かと、未宙の顔が絶望に染まる。
『やっ……葉奈……このまま……』
「……っ、いや、きっとその音は―――」
耳を塞ぎながら水瀬が制しようとしたまさにその時、スピーカーから荒々しく棺の蓋が持ち上げられる大きな音が響き渡った。
『何か音が聞こえると思ったら……こんな所に女の子が!?』
「……!」
未宙と星凛がハッと息を呑み、画面を凝視する。
通信の向こうから聞こえたのは、心底驚いた大人の男性の声だった。
『誰か!応援のスタッフ呼んでこい!よいしょっと……。お嬢ちゃん、もう大丈夫だからね!』
届いた。
星凛の叫びが、棺の小窓を通り抜け、外のスタッフに届いたのだ。
安堵のあまり未宙がガタガタと膝を揺らし、星凛も大きく息を吐き出してデスクに倒れ込みそうになる。
誰もがその奇跡に胸を撫で下ろす中、一人だけ、静かに耳から手を離した人物がいた。
「みのり葬儀館のスタッフの方ですか?」
『え、この声……お嬢ちゃんのスマホから!?』
「その女の子から通報受けました、8-Signalの水瀬果暖です。
もう少しでそちらに警察と救急車も到着する予定なので、後は救急隊の皆さんにお任せください。
事情は話してありますので、問題ないかと思います」
スピーカーの向こうから漏れ出る困惑した息遣いに、水瀬は氷のように冷静な、だが一切の無駄がない声音で言葉を継いだ。
星凛はデスクに突っ伏して荒い息を吐き、未宙もまたへたり込むように胸を撫で下ろしている。
『あの民間機関の8-Signal……!?わざわざご報告ありがとうございます……!』
「……では、この通話は切らせて頂きますね。よろしくお願い致します」
その二人の姿を視界の端で捉えながらも、水瀬の指先は淡々と通報完了処理のキーを叩いていく。
現場の大人たちがパニックから復帰し切っていないこの状況で、的確に事態を収束させられるのは、自分と和李しかいないと知っているからだ。
『はい!』
『お兄さん達、ありがとう……!』
万感を込めた幼い声が、スピーカーのノイズを押し返して指令室に響き渡る。
その一言を聞いた瞬間、デスクに突っ伏していた星凛がゆっくりと顔を上げた。
額にうっすらと汗を浮かべ、喉を痛めて少し掠れた呼吸を繰り返しながらも、その瞳にはいつもの温かく優しい光が蘇っている。
「葉奈ちゃん。もう駐車場でかくれんぼ何てしちゃだめだよ?これからはお母さんの言う事、ちゃーんと守ってね?」
『……!何でお兄さんがその事……!』
星凛は荒い息を整えながら、受電マイクのスイッチをそっと指先で押し直すと、画面の向こうの少女へ向けて、柔らかく語りかけた。
「ふふ、内緒。またね、葉奈ちゃん。次は別の形で会おう!」
少女が何かを言いかける前に、星凛は優しく微笑んだまま受電ウィンドウを閉じた。
回線が切れ、スピーカーのノイズが消えると、指令室には大きな安堵の息が満ちていく。
「お疲れ様、星凛。……未宙くんも」
背後から聞こえた和李の穏やかな声に振り向くと、そこには誇らしげに目を細める和李と、淡々とキーボードの後始末をこなす水瀬の姿があった―――……。




