第81話
目を開けると、周りが暗い。
夜なのか、それとも、これは夢なのか。
最初に感じたのは、それだった。
少しずつ目が慣れてくると見慣れない天井が見える。
木造の部屋にいるらしい。
更に少し時間が経過すると、窓から差し込む柔らかな光も認識することができる。
やっと、自由になれた――
そんなことを思うと、自然と涙が流れた。
しばらくぼんやりと天井を見つめる。
長く考えることをしてこなったため、頭が上手く回らない。
手を動かそうとしても、自分の意思で動かすのはまだ無理なようだ。
感覚が戻りきっていないのか、更に時間が必要なようだ。
「……あ、れ?」
掠れた声が漏れる。
声も出せる。
本当にもう解放されたのだろう。
身体の感覚がどんどん自分に戻ってくる。
だが――
(……ここは、どこだろう?)
視線を動かす。
今いるのはベッドの上に寝かされているようだ。
隣とは簡易的なカーテンで仕切られている。
逆側には小さなテーブルとテーブルに置かれた水差しがあり、誰かが僕の面倒を見ていたのが分かる。
(……どれも、見覚えがない。また、別の場所なのかな?)
早く確認したい欲を押し殺して、身体の感覚を確かめる。
手は……動く、足も……動く、なら。
ゆっくりと身体を起こそうとして、胸に痛みが走った。
「っ……!」
思わず息を呑む。
ここで叫んだら誰か来るかもしれない。
声は出さないように押し殺すものの、身体中が痛い。
腕も足もまだ完全には動かせないようだ。
だが、それ以上に気付いたことがあった。
拘束されていない!
夢にまで見た自由だった。
起き上がったままは疲れたので、一度ベッドに寝直す。
腕を上げ、顔の前まで手を持ってきて手首を見る。
拘束具がないし、変な器具も刺さっていない。
何となく分かっていたが、地獄のようなところから僕は助けられたようだ。
僕は呆然と部屋の天井を眺める。
「……なんで?」
僕が助けられる理由が分からない。
僕にまた、別の存在意義が見出されたのだろうか?
それなら、こんなに自由にされるわけもない。
意味が分からない。
頭の整理が追いつかない。
夢だろうか。
そう思って頬をつねる。
(……痛い、な)
夢ではない。
それなら――
その時、頭の奥に記憶が浮かんだ。
冷たい石の床、鉄格子、そして、白衣を着た男たち。
更には、無機質な声やよく分からない機械。
『おい。検体の調子はどうだ?……なら、次の検査を行なおうか』
『実験は?……よし。数値を記録しろ』
『失敗か……次の検体の用意だ。早くしろ!』
僕の身体が小さく震える。
思い出したくない。
長くいたあの場所。
たまに外に出たと思っても、自由はなく、次の場所で同じことが繰り返されるだけの日々。
(……もう、いいんだ)
捕まった時のことは覚えている。
雨が強く降っていたあの日、村が突然魔物に襲われたが、偶然居合わせた僕は村人を逃がすために時間稼ぎの抵抗をした。
そして、村人が全員逃げる時間を稼ぎきったころ、僕は既にボロボロで、魔物の波に飲まれ負けた。
そこから先は曖昧だった。
僕は死んだと思っていたが、気付けば魔物を裏で操っていた組織の研究施設にいた。
最初は組織が用意した魔物相手に戦闘されられ、そこで見せた何かに組織は興味を持たれ何度も検査を受けた。
血を抜かれたり、変な薬を飲まされたり、最後は……
そこからの記憶は曖昧で、頭が思い出すのを拒否しているかのようだ。
鏡を見れば僕がどんな姿が確認できるが、どれくらい続いたのか分からない。
半年かもしれない、一年かもしれない。
もっと長かったのかもしれない。
時間の感覚はとっくに壊れていた。
「……ここは、研究所じゃないみたいだね」
ぽつりと呟く。
誰も答えない。
部屋は静かだった。
隣からは他の人が寝ている寝息が聞こえるくらい。
色々と考えているうちに、それなりの時間が経過していたようで、手も足もある程度動かせるようになってきた。
僕は恐る恐るベッドから降りた。
筋肉が落ちているのか足元がふらつく。
思った以上に身体が弱っている。
まだ敵地かもしれないので、音を立てないように、壁に手をつきながら窓へ近付いた。
外を見る。
そこには――街があった。
夜だが、みんなお酒を飲んだり、踊ったりして、人が歩いている。
僕が長い間見れなかった、当たり前の光景。
その光景を見た瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった気がした。
「……人が、こんなにいっぱい」
当たり前のことなのに。
何故だか懐かしく感じた。
しばらく外を眺める。
その時だった。
(……ドクン!)
胸が大きく脈打った。
「……?」
何かが僕を呼んでいるような違和感。
ここではない、違う場所に行かなきゃいけないという焦燥感。
何かがおかしい。
理由は分からない。
だが気になる。
僕を呼んでいると思われる方に、視線が自然と北へ向く。
感じるのはこの街ではない、見えないほど遠く。
(……ドクン!)
もう一度胸が鳴る。
不思議だった。
頭では何も分からない。
でも放っておいてはいけない気がする。
「なんだろう……」
小さく首を傾げる。
こんな感覚は今まで感じたことがない。
とはいえ、今の状態では満足に動ける訳もなく、ひとまず朝まで眠ることにした。
翌朝、ここはラグナードと呼ばれる街であることを知った。
そして、私たちは冒険者ギルドで保護されていることも。
ここに居ればゆっくりでも十分に回復できる。
けど、昨日から僕を呼んでいる胸の高鳴りは収まるどころか、どんどん激しくなる一方。
(……外で誰かが話している。抜け出すなら、今――)
僕は見つからないように部屋を出た。
廊下を少し進むと人がいる空気を感じたので、近くにある部屋に入る。
そこに一本の剣が立て掛けられていた。
青い鞘、装飾の施された柄。
その姿を見た瞬間、僕の視線が止まった。
「……あ!」
知っている。
自然と手が剣に伸びる。
そして、握って確信する。
これは――僕の剣だ。
そう思った。
「……長い間、待たせてごめんね。また、一緒に来てくれるかな?」
誰に聞くでもなく呟く。
この剣だけははっきりと覚えている。
僕の右腕であり、前は会話もできていた。
けれど、長い間離れていたからか、それとも僕が変わってしまったのか、話は出来なかった。
それでも、僕は剣を抱える。
(……また一緒に冒険、しようね)
こうやって剣を抱いて、癒されたことが沢山あった。
私は、弱い。
いつも真っ先に飛び込むのに、上手くいった試しがない。
僕はこれが性分だと割り切って生きてきた。
それは、また自由を手にした今も変わらない。
(……それじゃあ、行こうか!)
そこからは案外楽にギルドから出ることができた。
剣を拾った場所で初心者冒険者用の装備を拝借したからかもしれない。
ギルドには初心者冒険者が多くいたことも大きな要因だろう。
外の空気は朝早いこともあり、少し冷たかった。
街を歩く。
人とすれ違うたびに少し緊張する。
追っ手があるかもしれないし、僕の顔を知っている人がいるかもしれない。
顔を隠すフードでも持ってくればよかったと後悔していると、誰かに呼び止められる気がする。
だが、街の外に出れる門の近くまで来ても、誰も僕を追ってくることは無かった。
その時だった。
道端に座り込んでいる老人が目に入る。
倒れてしまったのか、道に荷物が散らばっていた。
老人はそれを拾っているものの、スピードは遅く困っているように見える。
僕は立ち止まった。
正直、早く街を出たい。
だが……
「……大丈夫ですか?」
無意識に声を掛けていた。
僕が声をかけたことに驚いて老人が顔を上げる。
僕を確認すると、申し訳なさそうな雰囲気になる。
「ああ、すまんのう。荷物を落としてしまってな」
僕は黙って荷物を拾う。
老人は何度も礼を言った。
本当にそれだけだった。
だが、少しだけ気持ちが軽くなった。
「ありがとう」
老人の言葉を背中で聞きながら歩き出す。
何故助けたのか、自分でもよく分からない。
ただ、誰も助けないからといって、僕も助けないという選択だけはありえない。
困っているなら助ける、当然のことをしたまで。
老人から果物を食べながら街を出る。
北を見る。
胸のざわつきは消えていない。
むしろ少し強くなっている。
正直不安だ。
身体も万全ではない。
何があるのかも分からない。
「……行かなきゃ」
小さく呟く。
理由はない。
使命感なんて立派なものでもない。
ただ、呼ばれている気がする。
誰かが困っている気がした。
僕は青い剣を抱え直した。
そして北へ向かって歩き始める。
その先に何が待っているのか。
まだ誰も知らなかった。




