第78話
アズラに案内されながら、私たちはピレネの正面街道から外れた山道を進んでいた。
山道とはいっても、人が使って馴らされた道ではなかった。
足場は悪く、少し油断すれば石に足を取られるような場所も多い。
斜面は急で、横を見れば深い谷が広がっている場所すらある。
「……本当にここを通るのか?」
ディナが大盾を背負い直しながらぼやく。
「はい」
アズラは迷いなく頷いた。
「歩きづらくてすみません。でも、こちらの方が安全に街に入れますから」
「これが安全って言われると……一歩踏み外したら谷底だぞ?」
「魔物を相手する方が良かったですか?」
「いや。まあ、それはそうなんだが……」
ディナが渋い顔をする。
それでも、全員の足取りに迷いはない。
認識阻害の魔法は今も継続されているらしく、近くで魔物の気配を感じることはあっても、こちらへ向かってくる様子はない。
魔物を倒しながら進むより、よほど楽だ。
ただ――
アズラは時折、立ち止まっては目を瞑って何かを探っているように思える。
「……何か気になることでもあるんですか?」
ユズが小さく尋ねた。
アズラは少しだけ目を細める。
「ええ」
短い返答だった。
「街に向かっている魔物、あれだけとはどうしても思えなくて」
「……他に何かあると?」
「……あなた方はラグナードから来られたのなら、魔王軍と戦いましたよね?ラグナードを再度攻めるとしたら、ピレネは抑えておきたいでしょう」
アズラは前方へ視線を戻す。
「ボロスは力のためならなんでもする変態です。なら、こちらの行動を想定した作戦もあるはずなんです。そのための陽動が魔物だとしたら……」
その言葉に、全員が黙った。
昨日もアズラは同じようなことを言っていた。
魔物の異常発生に、何者かの意志を感じる、と。
正直、証拠はない。
だが、彼女の言葉には無視できない重みがあった。
しばらく無言で洞窟を進むと、そこには巨大な岩壁があった。
いや――岩壁だと思った。
だが、違う。
岩の表面がわずかに上下している。
そう気付いた瞬間、背筋が冷たくなった。
「……まさか」
キューリーが小さく呟く。
岩壁の一部だと思っていたものが、ゆっくりと動いた。
重く、鈍い音が山に響く。
そして黄金色の瞳が開いた。
「来たか」
低い声だった。
山全体が鳴ったような錯覚を覚える。
目の前にいたのは、巨大な龍だった。
岩のような鱗を持ち、山肌と同化するほど巨大な身体。
ただそこにいるだけで、空気の重さが変わる。
目の前の存在は、山の主のようだった。
「お久しぶりです、オルディス」
アズラが友人に対してのように気軽に手を振る。
まるで旧友に挨拶するような口調だった。
巨大な龍――岩龍オルディスは、鼻を鳴らす。
「久しぶり、というほどでもなかろう」
「そうですね。前に来たのは三年前ですか。私にとっては久しぶりですよ」
「たった三年前じゃろうが。相変わらず面倒事を連れてくる女じゃ」
「今回は私が連れてきたというより、面倒事の中で出会ったと言うべきですね」
「どちらでも同じじゃ」
二人の会話に緊張感はなかった。
本当に昔からの知人なのだろう。
だが、こちらとしては気軽に会話へ入れる相手ではない。
「……岩龍様」
その声は震えていた。
オルディスはゆっくりと視線をアイリへ向ける。
それだけで、アイリの身体が少し強張った。
「ピレネの近くの者か」
「……はい」
「そうか」
オルディスは一度、山の向こうへ視線を向けた。
「心配であろうな」
アイリは小さく頷く。
「街は……村は……無事なのでしょうか」
「村は分からんが、街はまだ落ちてはおらん。近くの村の人族は避難してきてるらしいし、大丈夫じゃろうて」
その言葉に、アイリの顔が少しだけ明るくなる。
「本当ですか?」
「うむ。儂がいて、この街が堕ちたら一大事じゃよ。この街は簡単に落とされやしない」
オルディスは山々を見下ろすように顔を上げた。
「ピレネは地形に守られておる。正面から大群で押し寄せるには不向きな土地じゃ。道は狭く、崖も多い。結果、魔物どもも攻めあぐねておる」
確かに、先ほど遠目に見たピレネは壊滅しているようには見えなかった。
魔物に囲まれてはいたが、街は残っていた。
「それに、儂の眷属も頑張っておるようだしの」
「眷属?」
カリンが反応する。
「ロックドラゴンじゃ。ドラゴン族ではないがの。ドラゴンの劣等種とでもいうべきじゃが、人族にも魔族にも敵うものはそうはおらん」
その名前に全員が息を呑んだ。
ロックドラゴン――
それだけで、普通の魔物とは格が違うことは想像できる。
「では、ピレネは岩龍様の眷属に守られているのですね」
キューリーが確認する。
「そうじゃ」
オルディスは頷いた。
だが、その表情は晴れない。
むしろ不機嫌そうに見える。
「……何か問題があるのか?」
オルディスは露骨に嫌そうな顔をした。
「問題しかないわい」
即答だった。
「街は守れておる。そこだけ見れば問題はない」
「では、何が?」
ユズが何に不満があるのか尋ねる。
オルディスは大きく息を吐いた。
その息には呆れというか、失望の色が滲んでいる。
「巫女じゃ」
「巫女?」
突然登場した言葉にアイリが咄嗟に聞き返す。
「ピレネの巫女。岩龍様と街を繋ぐ役目を持つ者ですね」
アズラが補足する。
「本来は、岩龍様の命を受け、祈り、時には人々を導き、必要な時に助力を願う立場です」
「そんな人がいるのですね。ただ、特に問題ないのでは……」
サーシャが困ったように言う。
オルディスはさらに不機嫌そうになった。
「……巫女も最初は問題なかった」
その声には、疲れが混じっていた。
「魔物が増え始めた頃は、街の冒険者や兵士たちが防衛に当たっておった。儂も必要に応じて地脈を通じて助力した。そこまではよい」
「そこまでは?」
ディナが続きを促す。
「……一時期、劣勢になった時にの、巫女が与えられた権能を使って前線に出たんじゃよ。ロックドラゴンに対して命令が出せるという、の」
オルディスはピレネの方角を見る。
「悪い娘ではない」
まずそう言った。
「むしろ真面目じゃ。街を守りたいという気持ちも本物じゃろう。人々を助けたいという想いも疑っておらん」
そこまで聞けば、立派な人物に思える。
だが、オルディスの表情は苦いままだ。
「ただ、度が過ぎれば毒になる。あやつは今、周りが見えておらん」
「……どういうことだ?」
「今や、あやつはロックドラゴンを道具にしか考えておらん」
空気が変わった。
「道具?」
「確かに単体ではロックドラゴンも強い。だが、それは相手も単体の場合のみじゃ。圧倒的な数の前ではロックドラゴンであっても傷つき、倒されることもあるのじゃ。ロックドラゴンも生き物。疲れもすれば傷つきもする。ただ、あやつは関係なく前線に送り込んでおる……」
オルディスの声が低くなる。
「結果、ピレネは守れておる」
だが。
「……いつからか、あやつはおかしくなってしもうたのじゃ」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
街は守れている。
その事実だけを見れば、巫女の判断は間違っていないのかもしれない。
だが、そのためにロックドラゴンが酷使され、被害が出ている。
しかも、それはオルディスの眷属だ。
彼にとっては、単なる戦力ではないのだろう。
「……巫女を止めることは出来ないのですか?」
サーシャが恐る恐る尋ねる。
「できるが、我では無理だ」
オルディスは短く答えた。
その一言で、場の空気が重くなる。
「止める方法があるんだな?」
ディナが尋ねる。
オルディスは首を横に振る。
「……ある」
その言葉は重かった。
オルディスはそう言いながらも、それでもまだ迷いが感じれる。
「あやつも最初は善意からの行動だったと思う」
「善意……」
キューリーが呟く。
「今のあやつも自分が正しいと信じておる。優先順位が街を守るためが一番で、多少の犠牲は仕方ないと考えておる。が、歪んできているように感じるのじゃ」
街の住人も巫女が暴走気味なのは分かっているようだが、街としては魔物の侵攻から守ってくれている巫女は止めにくい。
それは厄介だ。
「今では作戦の中心も巫女になっている」
オルディスは続ける。
「冒険者や防衛部隊も、あやつの方針を前提に動き始めておる。街を守れている以上、誰も強く否定できぬのじゃろう」
「……暴走している、ということですか?」
ユズが静かに尋ねる。
「そう言ってよいのかの?」
オルディスは頷いた。
「……いつからか、あやつは変わってしまった」
アズラが静かに目を伏せる。
「……他に、何か要因は考えられませんか?」
「それはどういうことじゃ?」
「いえ。それはこちらで調べましょう」
二人の間に、長い付き合いを感じる。
オルディスは再びピレネを見る。
「儂としては、別の巫女見習いが早々に次代の巫女になってくれれば楽なのじゃがな」
「それは少々乱暴では?」
アズラが苦笑する。
「今の巫女に任せておくよりはましじゃ」
「……それも一手ですね」
「ほぅ。お主が賛同するとは珍しい。なら協力してくれんかの?」
オルディスが鼻を鳴らす。
そのやり取りで少しだけ空気が和らいだ。
だが、問題が軽くなったわけではない。
ピレネは無事だった。
だが、その裏では別の歪みが生まれている。
そして、誰かの意志を感じさせる魔物の動き。
問題は、思っていたよりずっと複雑だった。
「で」
オルディスがこちらを見る。
黄金の瞳が、まっすぐ俺を捉える。
「お主らはピレネへ入るのじゃろう?」
「ああ」
「なら、巫女には気を付けよ」
その声は低い。
「……今のあやつに我の言葉は届かん。だからこそ、厄介じゃ」
山風が吹き抜ける。
遠くで魔物の鳴き声が聞こえた。
目指すべき街は、もうすぐそこにある。
だが、そこに待っているのは、単純な救援ではないらしい。
俺たちは岩龍オルディスの言葉を胸に、ピレネへ向かう覚悟を固めた。




