第75話
アズラ軍の偵察部隊に案内され、私たちは街道から少し外れた森の中を進んでいた。
向かう道中に魔物に襲われないために認識阻害の魔法が張られているのか、先導してくれるインキュバスたちを見失わないように進むだけでも一苦労。
それにしても――
「……本当に魔王軍なんだよな?」
ディナが小声で呟く。
その気持ちは分からなくもない。
目の前を歩いているインキュバスたちは警戒こそしているものの、どこか覇気がない。
魔王軍と言われて思い浮かぶのは、やはりラグナードで見た圧倒的な武力。
なのに、今の彼女たちを見ても、そういったものとは縁遠いものに思える。
正直、私たちのほうがよほど戦えるのではないか。
「魔王軍というより、どのかの国の偉い貴族みたいですね……」
キューリーも困惑気味だった。
先頭を歩いていた女性が苦笑する。
「……私たちは戦闘が得意でないので。非戦闘魔族なんて揶揄されることもあります。そもそもインキュバスやサキュバスは、確かに魔力適正は高いので生活魔法や催眠魔法なんかは得意ですが、攻撃魔法はからきしな方がほとんどなんです」
「……マジかよ」
ディナが思わず突っ込む。
女性は肩を竦めた。
「そんな魔族をまとめて、人族と共存するための道を切り開いてくれたのがアズラ様です。ちなみにアズラ様も戦闘向きではありませんので……」
「魔王だよな?」
「はい」
「魔王って強いんじゃないのか?」
「一般的にはそうですね」
「なら、それなりに強いんだろ?」
「……どうでしょう?多少なりとも戦えるとは思いますが」
ディナが頭を抱えた。
もう調子が狂いっぱなしだった。
しばらく進むと森の奥が少し開けている場所へ出る。
そこには簡易的な野営地が作られていた。
十数張りの天幕。
周囲には結界維持のための魔力石が置かれている。
そして、中央に設けられた一際大きな天幕の前に、一人の女性が立っていた。
長い紫色の髪、整った顔立ち。
どこか妖艶な雰囲気を纏っているが、不思議と威圧感はない。
むしろ知的な印象が強い、というか誰かに似ている気もする。
女性はこちらを見ると静かに一礼した。
「初めまして」
落ち着いた声だった。
「アズラと申します」
全員が警戒する。
だが、アズラは微笑みながら続けた。
「まずはこんな場所まで起こしいただきありがとうございます。加えて謝罪をさせて下さい」
「謝罪?」
ご主人様が眉をひそめる。
「私の配下がご迷惑をお掛けしました」
「いや……」
ご主人様も返答に困っている。
魔王に頭を下げられるとは思わなかったのだろう。
ご主人様が困っていると、魔王アズラが話を先に進めてくれた。
「では、色々とご説明しますので、立ち話もなんですし中に入りましょう」
誘導され通された天幕の中には簡易的な椅子と机が用意されていた。
ご主人様を中心に私たちが左右に別れる。
全員座ったところで魔王アズラが視線を向ける。
「まずは先触れから話を聞いていますが、ご興味のある黒髪のヒューマンについて、ですね」
アイリの身体が小さく震えた。
「こちらへ」
私たちは天幕の奥へ案内された。
中には魔法陣が描かれていた。
淡い光が天井近くまで伸びている。
その中心に光の十字架に固定された一人の女性が眠っていた。
黒髪、人族、年齢は二十代前後だろうか。
全身に光に包まれ、顔認識もできない。
「……」
アイリが息を呑む。
全員が固唾を飲んで見守る。
だが、数秒後、アイリはゆっくり首を横に振った。
「カイドウさんではないです」
静かな声だった。
ご主人様も小さく息を吐くが、安堵ではない。
表情を見ると、手掛かりが振り出しに戻ったことへの落胆に近かった。
「……お知り合いではありませんでしたか。それがいいのか悪いのか……」
魔王アズラが残念そうに言う。
「どういうことだ?名前も分からないのか?」
ご主人様が尋ね、魔王アズラは頷いた。
「はい。私たちが発見した時には既に意識が朦朧とされていました」
魔王アズラが女性を見る。
その視線はどこか優しかった。
「私たちが見たのは、彼女が大群の魔物に囲まれていて、その中で大剣を振り回して撃退しているところです」
「大群?」
「はい」
魔王アズラは静かに続ける。
「ここから北に行くとある、セーラ村の近くでした。そこで彼女を保護しました。意識がない状態で魔物と戦っていたので、部下に救出させました。どれだけ長く戦っていたのか分かりませんが、近くには彼女が倒したと思われる魔物の死骸が大量ありました」
全員が黙る。
「救出後は認識阻害で魔物たちから逃れました。ですが、あの戦場を見るに、彼女は最後まで村のために戦っていたと思われます」
「……」
「あと少し発見が遅れていたら助からなかったでしょう」
魔王アズラが光の十字架へ手を伸ばす。
淡い光が揺らいだ。
「これは《聖癒十字》と呼ばれる私のオリジナル魔法です」
「聖癒十字?」
サーシャが興味深そうに呟く。
「対象の行動を完全に封じる代わりに、現在は生命維持と治癒を同時に行っています」
「……なるほどな。でも、魔族が回復魔法か」
「その認識は正しいですよ。得意でない魔族がほとんどです。この魔法もあくまで派生させた魔法で、本質は相手の行動を完全に封じる魔法です」
魔王アズラに付き従う魔族は戦闘力がほとんど期待できないそうで、そのために開発したのが《絶対拘束》。
アズラを魔王に押し上げた魔法であり、彼女は幾つものオリジナル魔法を扱う魔法王でもあるらしい。
その説明を聞いてご主人様が納得する。
確かに遠くから見れば磔にしか見えない。
「彼女を見た者が誤解しても無理はありません」
魔王アズラは苦笑した。
「……それで」
ご主人様が話を戻す。
「お前たちは何故ピレネへ向かっていた?」
魔王アズラは少しだけ目を瞬かせた。
そして自然に答える。
「友人に会いに行くためです」
沈黙。
「……友人?」
「はい」
魔王アズラは頷く。
「あなた方で言うところの岩龍様です。名前はオルディス。古くからの知人なんです」
全員が固まった。
「私たちは人族に対して精神的な部分の治療をして生計を立てています。妹曰く、"精神科医"との事です。今回は我々に魔道具の触媒となり得る各種鉱石の取引継続と今後の関係継続のための表敬訪問ですね」
「……ちょっと待て。精神科医?」
「はい」
「……その言葉、何故出てくる?」
「たまに来る手紙でそう書かれていましたので。ネロっていう部下の方が今も届けてくれますよ?」
魔王アズラは当然のように言う。
ご主人様は何故か頭を抱えている。
「定期的に顔を見せていますので」
「……まさか、ルクスの知り合いか?」
「知っていますとも。妹の旦那ですね」
ご主人様が更に頭を抱えている。
「話を戻そう」とご主人様がこの話を切られたので途切れてしまったが、ご主人様的には納得できる内容だったみたいだ。
だが、魔王と龍が友達。
私的にはさらりと言われても反応に困る。
「話が脱線してしまいましたね。それで……」
魔王アズラの表情が少し曇る。
「ピレネに近付くにつれ魔物が増えました。セーラ村付近からは私たちでは対処できないほどに」
「……」
「セーラ村付近で救助者を保護して行程の変更を行いましたが、あのまま進んでいたら我々は壊滅していたと思います」
だから今も偵察隊を出していたのか。
「ピレネには向かわないのか?」
「出来れば向かいたいところですが、救助者もいる中で移動はできません。見捨てていい理由にはなりませんから。」
魔王アズラは少し考えた後、眠る黒髪の女性へ視線を向ける。
「私は、この魔物の異常発生に何者かの意志を感じています。ラグナードの襲撃はボロスの仕業との報告も受けています」
天幕の中の空気が重くなった。
「近しい街が同時期に襲われるのであれば、これは偶然ではありません」
アズラの紫色の瞳が静かに細められる。
「誰かが意図的に動かしている」
そして――
「もし私の予想が正しければ、ピレネは既に巻き込まれているでしょう」
誰も言葉を発しない。
状況は少しずつ見え始めていた。
だが同時に、新たな謎も増えていく。
ピレネへの旅は、まだ終わっていなかった。




