第72話
古い一軒家やマンションが並ぶ下町。
浅草の観光地から少し離れるだけで、空気はかなり落ち着いている。
「下町ってなんか落ち着くっすよね」
「……わからん」
「警部だって錦糸町で下町じゃないっすか。こういう雰囲気すきなんじゃないっすか?」
「……無駄口叩くなら帰るか?」
「冗談っす」
鴨志田と歩きながら蔵前署で教えてもらった住所に向かう。
表札には“海藤”。
事前に連絡を入れてもらっているのでインターホンを押す。
少しして、玄関の向こうから女性の声が聞こえた。
「……はい」
「警視庁の小澤と申します。海藤さんの件で少し」
その瞬間、インターホン越しの空気が変わった。
数秒後、玄関が静かに開く。
出てきたのは四十代後半ほどの女性だった。
三年前の出来事とはいえ、悲壮感が漂っている。
それが第一印象だった。
事件に巻き込まれたのか、単なる行方不明なのか、家族にとっての三年は他人では考えなれないぐらい長く感じていただろう。
「……今日は起こしいただきありがとうございます。内容は伺っておりますが、まだ、見つかっていないんですよね」
母親の第一声だった。
「……申し訳ございません。度々になり申し訳ないのですが、本日は、当時のお話を少し伺いたく」
「……ええ。未だに覚えていますので、何なりとどうぞ」
家の中へ通される。
母親が綺麗好きなのか、中は綺麗に整頓されていた。
聞いていた話では弟もいるらしいので、それなりに生活感はある。
だが、どこか抜け落ちたピースがあるような違和感も感じる。
リビングへ案内されると、奥から父親も姿を現した。
「どうも。警察の方ですか?」
「警視庁の小澤です。こちらは鴨志田」
「どうもっす」
軽く頭を下げる鴨志田。
父親は少しだけ無理に笑う。
「……尋ねてくるなんて三年振りですね。まさか三年経って、また警察の方が来るとは思いませんでした」
「申し訳ありません」
「いえ……」
そこで母親が小さく口を開いた。
「こんなことを聞くと迷惑かと思いますが、智則はまだ、生きていると思いますか?」
部屋の空気が止まる。
行方不明者家族には、何度も聞かれる質問だ。
そして、最も答えに困る質問でもある。
「……可能性を捨ててはいません」
事件としては行方不明者として処理されている以上、警察は受け身でしかない。
答えとしてはそれが限界だった。
母親は静かに頷いた。
「……分かっているんです。わざわざ申し訳ありません」
「いえ……ご家族のお気持ちは重々承知しております」
「ここで話してもですので、部屋を見せていただいても?」
「……ええ」
家の間取りは一般的な二階建てで、上に三部屋あるうちの一部屋が智則くんの部屋のようだ。
母親を先頭に二階へ案内される。
廊下の突き当たり、方角でいえば北側にある部屋がその部屋だった。
「ここです」
男子高校生の部屋。
第一印象は、“真面目”。
机には参考書。
壁側には剣道防具、そして、整理された本棚。
未だに生活感があるのは母親がきちんと掃除しているからだろう。
それでなくとも、何かしら抱えていたような人間の部屋にはない、きちんと整然とした部屋に逆に違和感を感じる。
「……」
室内へ入ると壁には大会写真。
インターハイ出場時のものだろう。
剣道部員たちと並ぶ海藤は、笑顔だった。
「人気者だったみたいですね」
鴨志田が写真を見ながら呟く。
「ええ。後輩からも慕われていました」
母親が答える。
不意に母親が机の引き出しを開け、ノートを取り出してくれる。
『後輩指導用』
かなり使い古されたノートの表紙にそう書かれていた。
許可をもらいノート中を見せてもうと、後輩を指導した時の失敗や改善案が所狭しと書かれている。
最後の方になると、徐々に失敗も減ってきたのか、どんな言葉をかけたらいいのかが書かれている。
『焦るな』
『才能だけじゃ勝てない』
『続ければ強くなる』
「……面倒見良かったんですね」
「優しい子でしたから。剣道をやって人としても成長していたんだと思います」
母親は懐かしむように言葉を紡ぐ。
それに対して、父親が苦笑する。
「損するタイプだったな。なんでも率先して行動するから失敗するのはいつもアイツだったな」
その言葉が妙に引っかかった。
もし、智則くんが勇者だった場合、色々とアイリが言っていることと合致する部分は多い。
――弱くても逃げない
――できるだけ助ける
色々と部屋を見物したところで、本棚へ視線を向ける。
そこにはラノベや漫画も並んでいた。
男子高校生らしいと言えばそうだが、明らかに異世界系作品が多い。
「……お」
鴨志田が一冊を抜き取る。
「警部、これ」
それは、懐かしいものだった。
見たことがあるどころか、現在のこの状況を作り出した根源。
例の本がそこにはあった。
「……」
鴨志田の空気が変わる。
どうすればいいのか顔色を伺っているが、頷きこちらに渡される。
本が渡された瞬間、ちょっとした違和感を感じる。
高橋の部屋で見つけた時は感じなかったが、まだこの本からは力が溢れているように感じる。
この本のことを聞けば、また少し進む気がする。
「この本はいつ頃からお持ちか知っていますか?」
「なんでも友達と職業体験に行った帰りに持って帰ってきましたね。高校二年の夏ぐらいでしょうか?」
母親が答える。
「面白い本だからと。でも、日本語じゃないらしくて、解読しようと色々頑張っていましたね」
「……確かにな。"親父、読めない?"って持ってきたこともあったな」
「お父様もお読みになったんですね」
「ええ。でも、全く分からず。英語でもないし、その当時は仕事も忙しく、邪険に扱ったかもしれないです」
父親が静かに答える。
今でも覚えているのは多少の後悔はあったのだろう。
「それから少しして、よく教会に足を運んでいるみたいなことを聞きましたね」
「教会?もしかして、聖ルクス教会ですか?」
「場所までは教えて貰えず、で。その教会が怪しいのですか?」
「いえ。この本はその教会で配っている本になりますので、他の教会だった場合、そこも調査しなければと聞いたまでです」
教会によく行っていたとなれば、ルクスも覚えている可能性があるだろう。
今度、一度聴取する必要があると鴨志田にアイコンタクトをとる。
これで色々な物が頭の中で繋がりそうになる。
鴨志田も頷くと、ひとしきり調べ終わったので部屋を出ようとすると、鴨志田がベッドの下から何かを引っ張り出した。
「警部、ノートPCあります」
黒いノートパソコン。
電源を入れ起動するが―――パスワード画面。
「ベッドの下にノーパソなんて怪しいっすね。何かあればいいんですけど、ロックっされてるっすね。お母様はここにあるのは知ってました?」
「いえ、部屋はいじらないようにしていたので。そんなところにあるとは思いませんでした」
誤魔化している感じは受けないので、本当に知らなかったのだろう。
「……鴨志田。無闇に触るなよ」
「分かってますって」
ログイン試行回数制限あり。
無理に開けばデータが飛ぶ可能性もある。
「ご両親」
俺は振り返る。
「こちら、確認のため一時的にお預かりしてもよろしいでしょうか?」
両親は一瞬だけ顔を見合わせた。
そして、母親が小さく頷く。
「……息子のことが分かる可能性があるなら」
「ありがとうございます」
例の本とロックされているノートPC。
これで少しは進むかもしれない。
部屋を出る直前もう一度振り返る。
そこには、“普通の高校生”の日常が残っていた。
◇
警視庁へ戻る頃には、完全に夜になっていた。
鑑識課へ回収物を預ける。
「解析か……なら、詳しい部門に回すから時間がかかぞ?いいか?」
「鑑識じゃなかったか。すまん。頼む」
「いやいや。事件ってわけじゃなかったら解析してくれないぞ?ま、仲のいい情管のやつに任せるから任せとけ」
田辺が頷く。
鴨志田が隣で小さく笑った。
「いやぁ……これで何か出てきたら、一歩前進って感じですね」
「……楽観視はまだできない。積み重ねて証明するしかないさ」
そう返しながらも、否定しきれない。
全てが繋がり始めている。
その夜、マンションへ戻り、ベッドへ横になる。
色々動き回って疲れたが、心地よい疲労といっていいだろう。
スマホを見ると通知があり、エレナから短いメッセージが入っていた。
『おかえりなさいませ』
思わず苦笑する。
明かりが付いたことを確認して送ってきたのだろう。
『ありがとう。あとで報告は聞く』
短く返し、目を閉じた。
次に目を開ける時には――異世界だ。




