第62話
東京都中野区まで電車を乗り継ぎ着いた先。
病院特有の静けさ、消毒液の匂い。
病院にはあまりいい思い出がない。
その空間を歩きながら、俺は病室番号を確認する。
「305……ここか」
扉の前には既に鴨志田がいた。
「お疲れっす、警部」
缶コーヒーを片手に、小さく手を挙げてくる。
「様子は?」
「そうっすね。落ち着いてますよ。精神的には安定してんじゃないっすかね。暴れる感じもなし」
そこまで言って鴨志田が少し言葉を濁す。
「ただ、なんつーか、別人みたいっすね。ちょっと狂人かなって思ってたっすけど」
「……聞き込みだと、どちらかといえば陰キャだったそうじゃないか。今が素なんだろ」
藤堂元康。 いや、本人曰く“アレキクス”。
異世界へ渡り、魔族側につき、研究施設に関与していた男。
だが――根っからの悪人には見えなかった。
何か彼を変えてしまったとしか思えない。
「科捜研からの結果も届いてます」
「……薬物検査の結果か?」
「はい。陰性ですね。何かしらの薬は服用していたのは供述でもありましたが、違法ではないですね」
「……だろうな」
異世界由来の、あちらで作っていたものだ。
科学では測定しえない何かがある、そう考えれば納得しかない。
「あと、峰がめっちゃ興味あるって。できれば本人とも会いたいって言ってましたよ?」
「近づけるなよ?」
「一回怒られてました」
「何やってんだあいつ……」
軽く頭を押さえる。
鴨志田はまだ異世界の事を知っている立場なので、この件に関わるのはまだセーフだと思っている。
が、異世界からの危険がまだ存在しうる可能性を秘めているのであれば、迂闊に事情を知らない仲間を巻き込む訳にはいかない。
すると鴨志田が病室を親指で指した。
「警部、そろそろ時間っすよ。入ります?」
「ああ」
扉を開ける。
病室の窓際、ベッドに座っていた藤堂が、ゆっくりこちらを見た。
「……また来たのか、おっさん」
「仕事だからな。気分はどうだ?」
藤堂は小さく鼻で笑う。
二週間前より顔色はいい。 だが、目の下の隈は濃いままだ。
まるでずっと眠れていない人間みたいだった。
「嫌味か?」
「そんなわけあるか。普通に心配してんだよ」
「良くなってんじゃないか?もうすっかり抜けきったよ」
ベッドの近くの椅子へ腰掛ける。
鴨志田には反対側に立ってもらう。
「今日は前回までの続きと聞きたいことができた」
「まだ逮捕じゃないんだ?」
「それについては追々な。まずは体調を整えてくれないと何も出来ん」
異世界絡みの時点で、通常の法律だけで動ける案件じゃない。
現状は“保護”に近い。
藤堂は窓の外を見ながら呟く。
「……不思議だよな。こうしてる間にも、異世界の奴らは動いてんだぜ」
「……何を知ってる?」
「いや、事実を言ったまで、だ。アイツらは容赦ないからな」
「……それをどうにか止めるのも、また仕事だ」
「それに加担してたんだ。今は多少反省してるっても、やったことに後悔はないよ」
そう言って、自嘲気味に笑った。
しばらく沈黙が続く。
無理に急かしても意味はない。
こういうタイプは、自分から話し始めるまで待った方がいい。
そして――
「……俺さ、元々ブラック企業勤めだったんだよ」
藤堂がぽつりと話し始めた。
「医療機器の営業でさ。毎日終電で休みなし。上司はパワハラ上等のクソ上司。数字落としたら人格否定、落とさないなら上司の手柄」
「……よくある話だな」
「よくあるから終わってんだよ」
その言葉には妙な重みがあった。
「頑張っても意味ない。使い潰されるだけ。気付いた頃には、もう逃げ道なかった」
藤堂は点滴の管をぼんやり眺める。
「最終的には追い詰められて解雇。精神的にも鬱寸前。退職金も最低限。会社の同僚は友達でもなくなった。親にも頼れない」
「……そこで薬か」
「……気の迷いだったと思うよ。でもあの時はそれが救いだった」
藤堂がこちらを見る。
「“気分が楽になる薬がある”って誘われた。確かに飲んだら楽になったしな」
「誰に?」
「知らねぇ。たまたま見てたSNS。そんな現状に耐えれなくなったやつが多くリプライしてたよ」
そして、小さく息を吐く。
昔を思いますかのように、少しずつ語りだしてくる。
「それが“勇者の雫”だった」
病室の空気が少し重くなる。
「飲んですぐは気分が楽になる程度。プラシーボ効果ってやつかな」
「……身体には何も無かったのか?」
「吐き気も頭痛もなかった。依存性もなかったんじゃないかな?あれは薬物じゃないしな」
「……でも、お前は異世界に行ってる?何があった?」
「ああ。一ヶ月くらい経った頃かな」
藤堂の目が少し揺れる。
「突然、“向こう”へ行けるようになった」
「……何の前触れもなくか?」
「ああ。最初は夢だと思ったよ。でも違った」
藤堂は乾いた笑みを浮かべる。
自身の手を眺めて、閉じては開いてを繰り返す。
「向こうでは意味不明な力が使えた」
「……どんな?」
「知っているものを想像しただけで作れる能力」
そこで俺は少し眉を動かした。
聞いた話では研究所みたいであったと。
もしかして――
「……ラグナードの研究所はお前が作ったのか?」
「ご明察。元々、医療機器の営業だつたからな。協力したら薬を譲って貰えたのも理由の一つだな」
藤堂の心の弱さに漬け込んだ、卑劣な方法に怒りが湧き上がる。
「そのうち、協力しないなら俺が実験の対象にされるって。逃げれなかった」
藤堂は自分の腕を見る。
「頭でイメージした物を作れる。それが奴らにとって何よりも欲しかったものなんだろうな」
「……なぜ逃げた?」
「そりゃ怖いだろ?悪事に加担しているのは確かだ。下手したら殺されるかもしれない。話しただけでも狙われる」
「誰に?」
「ボロス配下の魔族共。奴らは有益なスキルを取り込むことに執着してやがる」
藤堂の表情が曇る。
その実感の光景を見ていたのだろう。
「対象は同族の魔族もいやがるのに。力のためなら何でもしてたぜ?」
「……事情は分かった」
「そうそう。あいつら、“勇者”を研究してたぜ」
その言葉で空気が変わる。
勇者。
物語では魔王と対等に戦える存在であり、あの世界でもその話が出ていた。
「勇者の雫ってのは、勇者を元に作られてるらしい」
「……それは日本人か?」
「詳しくは知らねぇ。でも、勇者は特別なんだと」
藤堂が静かに続ける。
「異世界勇者は、悪神に対抗するために呼ばれる存在らしい。善神の加護を受けて、力を与えられて、選ばれて」
そこで藤堂は笑った。
だが、その笑みは酷く歪だった。
「羨ましかったよ」
「……」
「こっちは会社に捨てられて人生終わってたのに、あいつらは選ばれてる」
藤堂の拳が少し震える。
「なんで俺じゃないんだって思った」
病室が静まり返る。
その感情は、多分、本物だった。
嫉妬。 劣等感。 絶望。
全部混ざっている。
「それでボロス側についたのか」
「たまたま。でも、復讐したかったのは本当だな。俺に力をくれるならそれでも良かった」
藤堂は即答した。
「会社も、社会も、全部壊れてしまえばいいと思った」
「……だが、結局お前も利用された」
「そうだな」
藤堂は否定しなかった。
「研究続ければもっと強くなれる。もっと自由になれる。そう言われてた」
「……ブラック企業の謳い文句みたいだな」
「……かもな」
点滴の刺さった腕を軽く持ち上げる。
しばらく沈黙。
そして藤堂は、小さく呟いた。
「……おっさん」
「何だ?」
「勇者を救ってやってくれ。今もどこかで捕まっているはずだ。勇者を助ければ、あの薬は作れなくなる」
思わず聞き返しそうになる。
だが、藤堂は続けた。
「だけど、向こうにいる勇者たちは、多分、もう逃げれる状態にない。下手したらモルモットだ」
「どういう意味だ?」
「そのまんまの意味だよ。勇者も強くなる前に捕まえてきて、そのまま自由を奪う。そんなことになってそうでな」
藤堂の目が、ゆっくりこちらを見る。
「でも、おっさんなら何とかできそうだからさ」
「……何を期待してるんだ?」
「いや」
藤堂は弱々しく笑った。
「おっさん、一番勇者っぽくないのに、一番勇者みたいだから」




