第58話
見慣れた石造りの入口。
だが、何度来てもこの場所だけは空気が違う。
外界と切り離されたような静けさ。
(……今日は、とりあえずケーヒスのところまでは行くか)
アステリアに続きノクスが始動したからには、底上げは必要だ。
そして俺自身も。
シャードッシ戦での苦戦を思い出す。
職業も、スキルも、普通なら十分すぎるほど揃っているはずだった。
だが、それでも――
(格上相手には、まだ危うい)
シャードッシを倒せたのは、アステリアが間に合ったからだ。
誰か一人欠けても、あの戦いは危なかった。
(俺一人でどうにかなる、なんて考えは捨てるべきだな)
静かに息を吐く。
一階層……二階層……三階層……
出てくる魔物は、もはや脅威ではない。
狼型の魔物が飛びかかってくる。
(【ゼロ】)
それだけで、終わる。
足を止めずに進む。
十階層……二十階層……三十階層……
以前なら慎重に進んでいた場所も、今では処理速度が違う。
魔物を倒し、階段を下り、また進む。
途中で何度も職業レベルの上昇したが、今は確認しない。
目指す場所は決まっている。
四十階層にいる、ヒュドラのケーヒス。
そこまで到達した頃には、さすがに少し呼吸が荒くなっていた。
疲労はある。
だが、戦えないほどではない。
巨大な扉の前で足を止める。
中から感じる圧は以前と同じだ。
だが――
(……今回は、少し違う)
前は挑戦者として来た。
今回は、自分がどこまで通用するか、今の実力を知るためにここまで来た。
扉を押し重い音を立てて開いた。
広い空間の中央に伏している巨大な三つ首の龍。
紫がかった鱗と地面に触れる爪。
こちらを見下ろす三つの視線。
「また、来たか」
低い声が響く。
ケーヒス。
ルクスの元配下。
追憶のダンジョン四十階層の番人。
「覚えているんだな。すまないが、酒はないぞ」
「ほう。手土産もなしに来たか。我らの記憶は保持されるからな」
「……ちょっと急ぎだったからな」
「なら、次は持ってこい。できれば強い酒がいい」
「覚えておく」
ケーヒスは三つの首で笑った。
その笑いだけで、空気が震える。
「前回より、随分と顔つきが変わったな」
「……慢心して負けかけた」
「それはよいことだ」
「……死んだら終わりだぞ?」
「生き残ったのであろう?ならば、それは糧だ」
否定はできない。
実際、シャードッシ戦で得たものは大きかった。
仲間の価値を思い知った。
そして、敵がこちらの常識外にいることも理解した。
「相手は?」
「名乗ってたのはギガンテスだっか?名はシャードッシ。ボロス配下だ」
その名を聞いた瞬間、ケーヒスの空気がわずかに変わった。
「……シャードッシか」
「知っているのか?」
「直接の面識はない。だが、ギガンテス種の中でも名のある個体だと聞いたことがある」
ケーヒスの口元がわずかに吊り上がる。
「それで?お主一人でやったのか?」
「そうだよ。何とか仲間が間に合って。いなければ負けていた」
「ならば、それも実力だ」
「……厳しいね」
「そういうものだ。魔王軍においても、個の力だけで戦局を変えられる者は限られる」
ケーヒスはゆっくりと身体を起こす。
巨体が動くだけで床が軋むような感覚があった。
「それで、今一度我に挑むと?」
「ああ」
「ならば、我を越えていけ」
空気が変わり、雑談の終わる。
(……来る)
ケーヒスの三つの頭がそれぞれ魔力を帯びる。
三方向から同時に来る。
(いきなり、かよ)
三方向から来る攻撃を横へ飛んで避ける。
床が焼け、空気が弾ける。
その隙に手を向ける。
「ライジングアロー」
ケーヒスに向かって雷撃が走る。
だが、ケーヒスの強固な鱗に弾かれる。
(……だよな)
「前回よりは魔力の練りがよいな」
「それはどうも」
「だが、選択は今一つだな」
ケーヒスが踏み込む。
巨体に見合わない速度。
(やっぱり速い)
横薙ぎの尾、続けて爪。
そこへ三つの首のうち一つが噛みついてくる。
(くそっ。間合いに入れない……)
「ほう」
ケーヒスはまだ全力でないのは見ればわかる。
だが、前にあった時の油断はないように見える。
「魔法創造――拳銃」
手の中に銃を作り、三発の火薬音が響く。
鱗が弾け、わずかに血が飛ぶ。
ケーヒスの目が細くなる。
「相変わらず、奇妙な武器を使う」
「知らない武器なら対処出来ないだろ?」
「異世界人は厄介だな」
ケーヒスが笑う。
直後、空間全体に魔法陣が広がる。
(まずい……)
床から毒霧、天井から雷、前方から火。
避ける場所がない。
(……できるか?)
毒の魔法に【ゼロ】を放つと、魔法が無力化される。
(対象がなくなれば、【ゼロ】の再発動は可能、だな)
さら雷撃に対しても【ゼロ】。
火だけは横へ逃げて避ける。
だが、完全には避けきれない。
左腕を熱が掠める。
「っ……!」
皮膚が焼ける匂い。
「少しは応用が効くようになったではないか」
「……少し、な」
「ならば、これはどうだ」
ケーヒスの三つ首が同時に魔力を溜める。
今回は大技のオンパレードだ。
(――正面から受けたら終わる)
「魔法創造――閃光弾」
銃を解除して別の物を作り出してみる。
実際に触ったことはないが、原理は知っている。
手の中に生まれた球体をケーヒスの足元に投げる。
瞬間、白い光が弾けた。
「ぬっ――!」
一瞬、ケーヒスの魔法制御が乱れる。
その隙に距離を詰める。
再度、拳銃を構え、三つの首それぞれの目元へ撃つ。
「終わりだ」
最後に、中央の首へ向けて。
(【ゼロ】)
防御をゼロにした上で引き金を引く。
乾いた音。
弾丸が鱗を抜け、肉を裂く。
ケーヒスの巨体が、ゆっくりと崩れた。
地面が揺れる。
ケーヒスの身体が光に包まれ、傷が消えていく。
「……見事」
ケーヒスは人型へと姿を変える。
長身の男で落ち着いた顔立ち。
だが、その目には明確な満足があった。
「前よりも随分と戦い方が嫌らしくなったな」
「褒めてるのか?」
「当然だ。真っ向勝負で勝てぬなら、勝てる形を作る。それが戦いだ」
ケーヒスは肩を回す。
「お主は、もう合格だろう。前回も倒され、合格ではあったのだが、今回でもう卒業だろう」
ケーヒスの表情が少しだけ変わる。
「次の階層主、名はネロ。その戦いでも得られるものがあるだろう」
「ネロ?」
「黒猫の魔人だ」
「猫?」
思わず聞き返す。
ケーヒスは小さく笑った。
「侮るなよ。あれは変則的な攻撃が得意だ。シャードッシや我のように正面から圧をかける相手ではない」
「どんな相手だ?」
「戦う前に情報がほしいのか?それだと試練にならんだろ?」
ケーヒスは楽しそうに笑う。
「教えてくれないのか」
「ここは訓練場だ。答えを教える場所ではない」
「まあ、そうだな」
ケーヒスの声が少しだけ低くなる。
「ネロは優しい。だが、戦いにおいては容赦がない。精々、頑張って攻略するとよい」
なるほど、そういう相手か。
「最後にもう一つ聞きたい」
「何だ?」
「魔王についてだ。ボロス、ヴェルデナ、ルクス。他には?」
ケーヒスは少しだけ考える。
「魔王は複数いる。時代によって数も変わる。我が知っている時代では、大きな勢力として語るなら、ボロス、ヴェルデナ、アズラ、メルギス。そして、かつてのルクス様」
「……そんなに多いのかよ」
「そうだな。それぞれ思想が違ったからな」
「ヴェルデナは?」
「やつは魔族至上主義と言ったところか」
「……なるほど。ボロスは?」
「ボロスは魔族を支配階級の最上位に置く思想、と言った具合だな。ヴェルデナとの違いは、人族がいる世界かどうか、だな」
「……極端すぎる思想だな」
「魔族なんてそんなものだ。力以外に信じられる基準が存在しない」
「……分かった」
「納得していないようだが、それでよい」
ケーヒスが手を振ると奥の扉が開いた。
「行け。四十一階層でネロが待っている」
「ああ」
一歩、踏み出す。
その背中に、ケーヒスの声がかかる。
「ネロを倒せたら、次は酒を持ってこい」
「……勝ったらな」
短く頷き扉の向こうへ進む。
四十一階層に入るといきなり扉があった。
扉の大きさは小さい。
四十階層のような巨大な扉ではない。
しかし、綺麗な彫り物がしている黒い木製で、価値あるものだと見ればわかる。
だが、そこから漏れる気配は異様だった。




