第41話
昼休み。
今日は霞ヶ関駅から虎ノ門駅まで歩き、駅を過ぎの一角にある定食屋。
昼時の混雑はいつも通りだ。
「いやー、やっと飯っすね」
鴨志田が大げさに肩を回す。
「午前、忙しかったな」
小澤は湯気の立つ味噌汁に口をつけながら答える。
「そりゃそうっすよ。昨日の件、報告書の量エグいっすから」
箸を動かしながらも、鴨志田は楽しそうだ。
「で?」
小澤が短く促す。
「あの後はどうだった?」
鴨志田は頷く。
「クラブの強制捜査っすけど――」
一拍置く。
「押さえた連中、ほぼアウトっすね」
「薬か」
「はい。所持、使用、売買。反応出てるやつが大半っす。送検は確定っすね」
淡々とした口調だが、その内容は重い。
「末端ばかりだったろ?」
「まぁ、そうなりますよね。でも、一定の効果はあるんじゃないっすかね」
鴨志田が肩をすくめる。
「売人も何人かは確保できてるんで、そこからルート洗う感じっす」
「……上まで行ければいいがな」
小澤はぼそりと呟く。
「でも一応、収穫はあったみたいっすよ」
「何だ?」
「例の“ヤバそうなやつ”、押収されてました」
箸を止める。
「同じものか?」
「見た目は似てましたけど……詳しくはわからないっすね」
「……そうか」
それ以上は聞かない。
店内のざわめきは心地よい。
皿の音。いつもの昼。
だが――頭の中には、別の光景が残っていた。
黒いスーツの男。
「案内人か……」
そして――ポケットに入れられた“何か”。
食事を終え、店を出る。
昼の霞ヶ関は、人の流れが絶えない。
歩きながら、小澤が口を開く。
「鴨志田」
「はい?」
「これ、見てくれ」
人通りの少ない場所で足を止める。
ポケットから取り出した透明な袋に入った円形の錠剤に見える何か。
色は赤色で中心に穴が空いておりドーナツ型になっている。
「……これって」
鴨志田の表情が変わる。
「昨日、売人の一人から渡された」
「マジっすか……」
「見覚えあるか?」
「……似てますね。押収したやつに」
じっと見つめる。
「ただ、うろ覚えなんで分かんないっす」
「……なら、話を聞きに行くか。科捜研だな」
「っすね」
即答だった。
科学捜査研究所。通称、科捜研。
現代の捜査は、科学的証拠も重要とされるので、物理的、科学的、心理学的な側面から捜査を支援してくれている。
科捜研がある階に行くと、押収した大麻や植物等が廊下に置かれていて、他の階とは雰囲気が違う。
「おー、鴨志田じゃん」
薬物を調べる部屋とは別の方向から軽い声。
振り向くと、白衣の男が手を振っていた。
「相変わらず元気そうっすね」
「お前もな」
視線が小澤に移る。
「あー、警部さんすよね。話は聞いてます」
「君が木下くんかな。よろしく」
軽く頭を下げる。
「で、科捜研になんの用です?捜一からは依頼なかったはずですけど」
「これだ」
透明な袋を取り出し示す。
木下は袋を一瞥して、部屋に入るように促される。
部屋に入ると手袋をはめ、慎重に受け取る。
「……あー、なるほど。やっぱり。これをどこで?」
「心当たりあるのか?」
「昨日の薬銃からの依頼で。押収されたやつ、もう何個か回ってきてるんすよ」
一拍。
「見た目も同じですね。色も概ね一致。一応調べてもいいですけど、押収されたやつならもう結果は出てますが聞きますか?」
「どういうことだ?」
「簡単に言うと――薬じゃないんす」
鴨志田が眉をひそめる。
「は?」
「薬物反応、出ないんすよ。全く。色々と検査は実施しましたけどね」
「……じゃあ何だよ、それ」
木下は肩をすくめる。
「それが分かれば苦労しないんすけどね。同定出来ないと鑑定書書けないのはこっちなんすよ」
木下は袋を受け取る代わりに、鑑定するための書類を用意してこちらに渡しながら話を続ける。
「ただ――成分は出てます」
事前に印刷していた測定結果の紙を持ってくる。
紙には色々な数値が並んでいる。
「タンパク質。鉄。葉酸。ビタミンB12」
沈黙。
「……栄養素?」
鴨志田が呟く。
「まぁ、そう見えますよね」
白衣の男は苦笑する。
「でもこれ――構成だけ見ると“血液に近い”んすよ」
それを聞いて視線が鋭くなる。
「ただし」
木下の話は終わらず続ける。
「人間のものとは断定できないってところですね。比較するものも無いのでこれ以上は調べられないんす」
空気が変わる。
「それに――」
もう一枚のデータを出す。
「これ、さっきも言った通り薬物ではないので、これで異常行動を起こすとは考えられないんす。でも、薬銃としてはこれがお目当てのようで」
「……どういう意味だ?」
「成分以外で何か含まれていないか、そこが知りたいみたいですね。そんなものどうやって調べればいいんだか……」
一拍。
「むしろ、実験でもすれば何か分かるかもって感じで。とりあえず、科警研の方にも回して、ラットで実験する予定っすね」
その瞬間、頭の中に、ある光景が浮かぶ。
――高橋の腕。
――細い針。
――あの不自然な痕。
(……まだ断定はできない)
小澤は目を細める。
薬ではない。
だが、体内に入れる。
そして――異常な変化。
(……実験か)
言葉には出さない。
だが、確信に近い感覚があった。
「……警部?」
「わざわざ話してくれてありがとう。この袋のやつは渡しておくよ」
木下から受け取った書類を見ながら部屋を出る。
後に続いた鴨志田が様子を窺う。
「鴨志田」
短く呼ぶ。
「はい」
「高橋の件、覚えてるな」
「……はい」
「針の痕があった」
一拍。
「……っすね」
理解した顔になる。
「確か健康診断したんだったよな。何かしらデータは残っていると思う」
低く言う。
「採血された病院、洗ってくれるか?」
鴨志田の目が引き締まる。
「了解っす。他に調べる事はありますか?」
「なら、司法解剖の資料も頼む。できれば、解剖した担当医の話も聞いてきてくれ。何でもいいから情報がほしい」
「了解っす。じゃ、これから行ってきます」
あれは――薬ではない。
これは現代日本の科学的実証で証明されたもので、事実だ。
含有されている成分としては血液に近いものの、人間のものとも断定できない。
だが、確実に。
(……何か、あっちが関係していることは確実)
「……面倒なことになってきたな」
誰にともなく、そう呟いた。
2026.4.29 文章を修正しました




