第104話
「……で、警部は会議っすか」
朝一番、いつも通り警視庁に出勤すると、警部の席は空だった。
机の上にはきっちり整理された書類が並んでいる。
(朝から課長と会議っすね)
パソコンの予定を確認すると、今日は朝から一日、上の会議に引っ張られているらしい。
「係長も大変っすね……」
高橋の失踪から始まった、警部との訳の分からない事件への対処は未だに進んでいない。
高橋は既に火葬されているし、事件性はないものとされている。
ただ、警部から話を聞く限り、未知の力で殺された可能性は否めないと思っている。
(針の跡もあるし、あっち系に頭突っ込んでたら可能性はなくないっすよね)
パソコンに向かい事務処理をしながらも考え事が次から次へと思い浮かぶ。
そこからの連続強盗殺人事件。
あれ以降、似たような事件は発生していないものの、実行犯は未だに分からず。
計画した共犯者の取り調べは順調に進んでいて、教唆で送検が決まっている。
(あと、藤堂もそろそろ見に行きたいっすよね)
薬の事件、からの藤堂元康の発見。
これにはかなり驚いたものの、後日、警部から聞いた話だとあっち関係との事で、日本の法律がどこまで裁くことが出来るのか……
(今日の会議は進捗確認も含んでるなら、また凹んで帰ってくるっすかね)
警部に相談しながら動きたかったが、いないものは仕方がない。
「まあ、できるところからやりますか」
俺は資料をまとめると、警視庁を出た。
向かった先は、藤堂元康が入院している警察病院だった。
藤堂元康は、以前よりもずいぶん顔色が良くなっていた。
最初に見た時は、部屋で血を流して倒れてるところ。
だが今は、ベッドの上で身体を起こし、お昼は完食、出されたお茶に手を伸ばすくらいには回復している。
「お邪魔するっす。調子、良さそうっすね」
「またあんたか……おかげさまで」
藤堂は俺の顔を見ると顔を逸らす。
好かれようとは思わないけど、嫌われているようだ。
「久々に来たのは何か?」
「いや、特にこれといったものは。ただ、定期的に様子を見にこないとっすからね」
俺は椅子に腰を下ろし、持ってきたメモ帳を開く。
「さて、じゃ今日は警部がいないっすけど、質問させてもらいますね。答えてくれるとありがたいっす」
「……内容によるが、な」
「そりゃありがたいっす。警部がいると聞けないことも多いんで」
藤堂の表情が少し強張った。
これから聞くのはあっちの話。
「じゃ、まず、買った薬について」
「……それ、関係あるか?」
「ただの興味もあるっすけど、前に言ってた男。そこが鍵な気がするんすよ」
藤堂が買ったと言っていた薬らしきもの。
これが要因なのは状況的に確かだ。
でも、確証がなければどうしようもない。
「……何が知りたい?」
「どこで買ったのか?とか、いくらだったのか?とか何でもっすね」
藤堂は視線を落とす。
「場所は渋谷のクラブだな。男の風貌は覚えてない」
「あっちで会ってないんすか?」
「顔、見てないんだ。分かるはずないだろ。喋ったのは最初だけ。次から買った時は話すでもなく、やり取りだけだな」
「そうなんっすか。でも、よく怪しいものを買ったっすよね」
「……あの時はどうでもよかったからな。ドラッグでもしてなきゃやってられなかったんだよ」
「そんなもんっすか。で、あっちで作る側になったんすよね?」
「だいぶ飛ばしてるけどな。でも、製法は分からないな。知識は貸したけど」
予想はしていた。
相手もそんなに馬鹿じゃない。
俺は別の資料を取り出そうとして、手元のファイルを開いた。
その拍子に、一枚の写真がひらりと床へ落ちる。
「あ、っと」
俺が拾おうとした瞬間だった。
藤堂の動きが止まった。
その視線は、床に落ちた写真へ向いている。
品川で起きた強盗殺人事件の被害者の顔写真。
昨日、資料整理のついでに挟んだままだった。
俺は写真を拾い上げながら、藤堂の顔を見る。
「……今、知ってる顔でした?」
藤堂はすぐには答えなかった。
だが、その沈黙だけで十分だった。
「藤堂さん」
「……その人」
ようやく藤堂が口を開く。
「一度だけ、見たことあるな」
「どこで?」
「……どこだったかな。でも、見覚えあるわ」
俺はメモを取る手を止めた。
「……オフレコでお願いしたいんすけど、この人、亡くなってるっす」
「いいのか?言って」
「……だから、オフレコっす。でも、この人もあっちの世界に関わっていそうなんす」
「なるほどな。まぁ、少し思い出すわ」
藤堂が目を瞑り考え始める。
今までの話から、藤堂は売りはしてない。
じゃあ、どこで会うのか。
「……その顔。クラブかあっちか、どっちかの答えって思ってるだろ?」
「違うんすか?」
「……クラブはないと思うわ。人多いし、覚えてられない。あっちは分からない。というか、こっちで亡くなったんならあっちには行ってないんじゃないか?」
「なら?」
「とすると、どこかで会った印象深いやつってことだが……」
その言葉が妙に引っかかった。
藤堂は既に社会人として働いていて長い。
被害者二名はどちらも学生で藤堂との接点はほぼ無いに等しいはず。
しかし、藤堂は会ったことがあるという。
他人の空似という可能性も否めない。
が、もし藤堂の話が本当なら、被害者は偶然巻き込まれた一般人出ない可能性も出てくる。
「……どうっすか?」
「もう一回、見てもいいか?」
「どうぞ」
藤堂に写真を渡し、沈黙の時間が流れる。
そして、藤堂は思い出したのか、青ざめた顔でこちらを向いて頷いた。
「……思い出したわ。この男、クラブで騒ぎ起こしたやつだ。で、この女。うちにもアルバイトで来てた人だな」
「……二人とも顔見知りっすか」
藤堂から写真を受け取り、ファイルへ戻す。
「今日はここまでにしましょう」
「……いいのか?」
外に誰かがいる雰囲気を感じたので、潮時と判断して話を切り上げる。
あまり長居してもいいことはないだろう。
病室を出る直前、藤堂が小さく呟いた。
「おい」
「はい?」
「……無理はするなよ」
何を言われているのかは分かった。
でも、俺はすぐには答えられなかった。
あっちの事件に巻き込まれれば、危険だということなのだろう。
「……それを確かめるために、俺たちが動いてるんすよ」
そう言うのが精一杯だった。
病院を出ると、夕方の風が吹いていた。
駅へ向かう道すがらは人通りが多い。
何もおかしなところはない。
だが――
「……ん?」
病院からずっと、誰かに付けられている気がする。
気のせいと言われれば、それまでの程度。
けれど、刑事をやっていると、こういう感覚を無視できなくなる。
俺はスマホを見るふりをしながら、歩く速度を変え、駅へも遠回りをしてみる。
(人気のないところは危ないっすね)
相手の行動を見ながら考える。
道中のコンビニのガラスで後方を確認する。
はっきりと見えてないが、確実にそこにいる。
距離を保ったまま、こちらについてきている。
「……マジっすか」
思わず小さく呟く。
相手の確認が全く取れない中で、どうにも動けない。
俺はあえて大通りから外れ、細い路地へ入った。
そのまま角を曲がり、建物の陰に身を潜める。
足音は一つ。
俺の姿は相手から見えない死角なので、ゆっくり近付いてくる。
俺は息を殺した。
相手が通り過ぎたところで姿を現す。
「警察だ。動くな」
男は数歩先に立っていた。
黒いスーツで整った姿勢。
顔は見えないように仮面をしている。
「――鴨志田刑事」
俺の名前を呼んだ。
背筋に冷たいものが走る。
「……なんで俺の名前を知ってるんすかね」
「あなたは嗅ぎ回りすぎています」
「刑事なんで」
軽口を返す。
だが、笑えなかった。
男の目に温度がない。
敵意も殺意もない。
ただ、こちらを観察している。
それが余計に気味が悪かった。
「これ以上、関わらないことです」
「そういう忠告、逆効果っすよ」
「……警告は一度だけです」
男は淡々と言った。
「小澤さんにも、そう伝えてください」
「警部を知ってるんすか?」
「あなたでは役不足だ、と」
「……あんた、何者っすか?」
男は答えない。
ただ、わずかに口元を上げた。
「知る必要はありません」
次の瞬間、車のライトが路地の入口を照らした。
ほんの一瞬、視界が白くなる。
俺は反射的に目を細めた。
そして、次に見た時には男の姿は消えていた。
「……嘘、だろ」
路地には誰もいない。
俺はすぐに周囲を確認したが、見つかるはずもなかった。
俺は暗くなり始めた空を見上げる。
軽口で誤魔化せる状況ではなくなってきた。
「……ここでは引けないっすよね?」
俺はスマホを握りしめたまま、警視庁へ戻ることにした。




