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2025年5月3日(土)

 朝から、落ち着かなかった。


 遠出というほどの予定ではない。

 旅行でもないし、遊園地でもない。


 駅前のボードゲームカフェに行くだけ。


 それでも、畳んである服とハンガーに掛けた服を見比べる時間は、いつもより長くなった。


 白いカットソーに、薄手のカーディガン。

 スカートにするか、パンツにするかで迷って、結局、淡い色のロングスカートを選んだ。


 鏡の前で髪を整える。


 頑張りすぎているようには見えたくない。

 でも、何も気にしていないようにも見えたくない。


 その中間を探すのは、思っていたより難しい。


「そろそろ出るぞ」


 部屋の向こうから、いつきさんの声が聞こえた。


「はい。もう少しです」


「待ち合わせには間に合う」


 その一言で、肩に入っていた力が少し抜けた。


 鏡の中の自分に小さくうなずいて、私は鞄を手に取った。


 ***


 待ち合わせ場所に着くと、歩ちゃんはもう来ていた。


「和葉ー!」


 駅前の時計の下で、歩ちゃんが大きく手を振る。

 その横で、朱鷺子がスマホをしまってこちらを見た。


「おはよう」


「おはよう。二人とも早いね」


「楽しみだったからね!」


 歩ちゃんが胸を張る。


 朱鷺子は、いつきさんに軽く頭を下げる。


「おはようございます、弓削さん」


「ああ。今日は付き合わせて悪いな」


「いえ、アナログのゲームも興味あったので、楽しみです」


 朱鷺子の声はいつも通り落ち着いていた。

 けれど、その言葉にはちゃんと期待が乗っているように聞こえた。


 昨日の夜、私はいつきさんに伝えていた。


 歩ちゃんと朱鷺子には、四月一日のことを話している。

 告白したことも、少しずつ相談していたことも。


 いつきさんは少しだけ驚いた顔をしたけれど、怒らなかった。


 ――二人を信用して話したなら、俺から言うことはない。お前の気持ちの話でもあるしな。


 そう言ってくれた。


 だから今日は、息がしやすい。


 全部を話すわけではない。

 でも、何かを隠しながら三人の横を歩くよりは、ずっと楽だった。


「弓削さん、こういうお店よく行くんですか?」


 歩ちゃんが、いつきさんを見上げて聞く。


「たまにな」


「たまにって言う人、だいたい結構行ってますよね」


「偏見だ」


「でも家にゲームあるんですよね?」


「いくつかはな」


「ほら」


「何がほらだ」


 いつきさんは少し呆れたように言う。

 その横顔が、家にいるときより少し外向きに見えた。


 ***


 ボードゲームカフェは、駅から少し歩いた雑居ビルの二階にあった。


 階段を上ると、扉の向こうから人の声が聞こえてくる。

 大きな騒ぎ声ではない。けれど、いくつかのテーブルで誰かが笑っている気配がした。


 いつきさんが扉を開ける。


 中に入って、最初に目に入ったのは棚だった。


 壁一面に、大小さまざまな箱が並んでいる。

 派手な絵のもの。動物が描かれたもの。文字だけで妙に気になるもの。


 いつきさんの家にも、そういう箱がいくつかあるのは知っていた。

 でも、ここにある数はまるで違う。


「これ、全部遊べるんですか」


「店のものはな」


 いつきさんが答えると、カウンターの奥にいた男性店員さんが顔を上げた。


 四十前後くらいだろうか。

 落ち着いた雰囲気の人で、いつきさんに軽く会釈する。


「あ、弓削さん。お久しぶりです」


「どうも。今日は四人で」


「珍しいですね。賑やかになりそうで」


 その言葉に、歩ちゃんがすぐ反応した。


「ほら、やっぱり常連じゃないですか」


「常連ってほどじゃない」


「顔を覚えられてる時点で常連ですよ」


「たまに来るだけだ」


 いつきさんはそう言ったけれど、男性店員さんは笑っていた。


 家にいるときでも、各務さんたちと話しているときでもない。

 慣れた場所に来た人の顔。


 それが、少し新鮮だった。


 受付で人数を伝えると、棚の方から若い女性店員さんが近づいてきた。


 大学生くらいに見える。

 髪を後ろでまとめた、明るい雰囲気の人だった。エプロン姿で、笑うとぱっと目を引く。


「今日は四人で遊ぶ感じです? 相席とかじゃなく」


「はい。四人でお願いします」


「了解です。じゃあ、先にこれだけお願いします」


 女性店員さんは、小さなカードとペンを四人分出してくれた。


「店内用の名札です。相席するときにも使うんですけど、店員側も名前で呼べた方が楽なので、下の名前かニックネームでどうぞー」


 女性店員さんは、小さなカードとペンを四人分出してくれた。


「相席もあるんですか?」


 私が聞くと、女性店員さんは頷いた。


「ありますよー。ひとりで来る人も結構いますし。でも今日は四人なら、そのまま一卓でいけますね」


 歩ちゃんは迷わず「歩」と書いた。

 朱鷺子は少しだけ考えてから、いつも通りの字で「朱鷺子」と書く。


 私はペン先を少し止めてから、「和葉」と書いた。


 いつきさんは、当然のように「弓削」と書いている。


「初めての方います?」


「あ、はい。私と、たぶん歩ちゃんが」


「たぶんって何?」


 歩ちゃんが私を見る。


「自信満々に初見で突っ込みそうなので」


「ひどい」


「大丈夫です。勢いある初心者さん、うち歓迎ですよー」


 女性店員さんは軽い調子で笑った。


 席に案内される前に、歩ちゃんは棚の前で足を止める。


「すご。タイトルだけでも面白いね」


 背表紙を眺めていた歩ちゃんが、小さな箱を指差した。


「あ、『ラブレター』だって」


 ラブレター。


 その単語に、思わず反応してしまう。


「それは名前ほど甘いゲームじゃない」


 いつきさんが横から言った。


「そうなんですか?」


「手札一枚で読み合うゲームだ。軽いけど、普通に刺し合いになる」


「ラブレターなのに刺し合い」


 朱鷺子がぽつりと言う。


「急に物騒」


 歩ちゃんは笑いながら、さらに隣の箱へ視線を移した。


「こっちは……『たった今考えたプロポーズの言葉を君に捧ぐよ。』?」


 その瞬間、いつきさんの手が伸びた。


「歩、それは戻せ」


「え、まだ取ってないですけど」


「戻せ」


「二回言った」


 朱鷺子が箱のタイトルを見て、少し考える。


「今は早い」


「朱鷺子まで何の判断!?」


 女性店員さんが、横で楽しそうに笑った。


「それ、めっちゃ盛り上がりますよ。いろんな意味で事故りますけど」


「事故るものを初心者に勧めるな」


「なので今日はおすすめしませーん」


 女性店員さんは悪びれずにそう言って、別の小さな箱を棚から抜いた。


「まずはこっちにしときましょう。ルール簡単で、読み合いも出るやつです」


 箱には、鳥の絵が描かれていた。


「『ハゲタカのえじき』ってゲームです」


 ***


 女性店員さんは、カードを手早く配りながら説明してくれた。


「全員、同じ数字のカードを持ちます。場に出る得点カードを見て、手札から一枚選んで伏せてください」


 カードが机の上に並んでいく。


「プラスの得点カードは、一番高い数字を出した人が取れます。ただし、同じ数字を出した人同士は無効です」


「同じだと駄目なんですか?」


「はい。仲良く被ると、仲良く消えます」


「言い方」


 いつきさんがぼそっと言う。


「分かりやすさ重視でいきます」


 女性店員さんは笑って続けた。


「マイナスのカードは逆で、一番低い数字を出した人が引き取ります。これも同じ数字は無効です。なので、高ければいいとか、低ければいいだけじゃないですね」


「なるほど」


 私は手札を見る。


 数字が並んでいるだけなのに、少し緊張した。


「最初は深く考えすぎなくていい」


 いつきさんが、私の方へ少し声を落とす。


「出した結果を見れば、何となく分かる」


「失敗してもいいんですか」


「ゲームだからな」


 当たり前のように言われて、指先の力が抜けた。


 失敗してもいい。

 そういう遊び。


 最初の得点カードは、小さめのプラス点だった。


 私は迷った末に、真ん中くらいの数字を伏せた。


「せーの」


 女性店員さんの声で、全員がカードを表にする。


 歩ちゃんは高い数字。

 朱鷺子は一段低い数字。

 いつきさんは真ん中より少し上。

 私は真ん中あたり。


「あ、私取った?」


「歩さんですね」


「やった!」


「初手から強いカードを切るのか」


 いつきさんが少し呆れた声を出す。


「取りたいじゃないですか」


「分かりやすい」


「分かりやすいのは強みです」


「弱点にもなる」


 朱鷺子が静かに言った。


「今なんか怖いこと言われた」


「事実」


 歩ちゃんは得点カードを引き寄せて、まったく気にせず笑っていた。


 何枚か進むうちに、少しずつ空気が分かってくる。


 歩ちゃんは勢いよく出す。

 朱鷺子は、もう残っている数字を考え始めている。

 いつきさんは表情を変えず、場に出たカードを見ている。


 私はまだ、出す一枚に迷っていた。


 それでも、迷うこと自体が楽しい。


 間違えても誰も怒らない。

 歩ちゃんは自分の失敗にも笑うし、朱鷺子は淡々と次の場を見る。

 いつきさんも、結果を責めずに、ときどき理由を添えてくれる。


 そういう場所なのだと、少しずつ分かってきた。


 そして、かなり高い得点カードが出た。


「これは取りたい!」


 歩ちゃんが、分かりやすく目を輝かせる。


「言うな」


「言わなくても分かるじゃないですか」


 私も一瞬、手札の高い数字に目が行った。


 けれど、すぐに手が止まる。


 きっと、みんなも取りたいと思っている。

 高い数字を出せば勝てるかもしれない。けれど、同じ数字を出したら無効になる。


 それなら、今回は無理に取りにいかない方がいいのかもしれない。


 私は迷った末に、低めの数字を一枚伏せた。


「決まりました?」


 女性店員さんの声に、みんながカードを出す。


「せーの」


 表になったカードを見て、最初に声を上げたのは歩ちゃんだった。


「あれ?」


 いつきさんと朱鷺子のカードが、同じ数字で並んでいた。


「……被ったか」


「被りましたね」


 二人がほとんど同じ温度で言う。


 その感じが、なんとなく気になった。


「なんか、仲いいですね」


 口にしてから、自分でも驚く。


 いつきさんがこちらを見る。


「今のはそういう話じゃない」


「そうですか」


「そうだ」


 朱鷺子は表情を変えずに、出したカードを指先で押した。


「考え方が似ただけ」


「それを仲いいって言うんじゃないの?」


 歩ちゃんが横から言う。


 女性店員さんが、にこっと笑った。


「ただ、このゲームだと、仲良く同じ数字を出すと、仲良く無効です」


 言われて、いつきさんが少し黙る。


 朱鷺子も、ほんのわずかに視線をそらした。


「じゃあ、これ……私?」


 歩ちゃんが自分のカードを指差す。


「はい。残っている中で一番大きいので、歩さんが獲得です」


「やった!」


 歩ちゃんは得点カードを引き寄せて、満面の笑みを浮かべた。


「仲良しありがと!」


「だから仲良しじゃない」


「違う」


 いつきさんと朱鷺子の声が重なる。


「ほら、息ぴったり」


「歩」


 朱鷺子の声が少し低くなった。


 でも、歩ちゃんは得点カードを持ったまま、まったく気にしていなかった。


 朱鷺子が嫌だったわけじゃない。

 むしろ、すごいと思った。


 いつきさんと同じところまで考えて、同じように失敗している。


 失敗なのに、少しだけうらやましい。


 私は、自分の出した低い数字のカードを見る。


 得点は取れなかった。

 取れなかったけれど、失敗したとも言い切れない気がして、少しだけ首を傾げた。


「今のは悪くない」


 いつきさんが、使い終わったカードを端に寄せながら言った。


「え?」


「取りにいく人間が多そうな場面で、無理に高い数字を切らなかっただろ」


「……はい。被りそうだったので」


「それでいい。取れないと思った場面で弱いカードを捨てるのも、このゲームだと大事だ」


「諦めたのも、いいんですか」


「全部取りにいこうとすると、後半で使えるカードがなくなる。強いカードを残せたなら、意味はある」


 言われてから、私は手元のカードを見直した。


 たしかに、高い数字はまだ残っている。


 頷きかけたところで、歩ちゃんがじっとこちらを見ていた。


「弓削さん、和葉にだけ優しくないですか?」


「お前たちにも聞こえてるだろ」


「聞こえてます」


 朱鷺子が淡々と答えた。


「じゃあ問題ない」


「問題ある気がする」


「歩はまず、強いカードを使う前に一回考えろ」


「私だけ具体的に刺された!」


 女性店員さんが楽しそうに笑っている。


 私だけに言われたわけではない。

 それでも、少しだけ嬉しかった。


 次の得点カードがめくられる。


 私は手札を見てから、いつきさんの方を少しだけ見た。


「次は、いつきさんが出しそうな数字を考えてみます」


「そういうゲームではない」


「妨害です」


「だいぶ趣旨が変わってきたな」


「発想、だいぶ読み合い寄りになってきましたね」


 女性店員さんが楽しそうに笑う。


「読み合い、ですか」


「はい。ただ、弓削さんを止めるゲームではないですね」


「ほら」


 いつきさんが言う。


「でも、弓削さんちょっと嫌そうな顔してますよ」


「してない」


「してます」


 歩ちゃんまで頷いた。


 その回、私はいつきさんが出しそうな数字を考えすぎて、逆に迷った。


 高い数字を出すのか。

 それとも、さっきみたいに少しずらすのか。


 迷った末に伏せたカードは、いつきさんとは違う数字だった。

 けれど、その迷いが表に出ていたのか、いつきさんは少しだけ嫌そうな顔をした。


「……変な読み方を覚えるな」


「変でしたか」


「変ではないが、やりづらい」


「それは少し嬉しいです」


「嬉しがるところじゃない」


 その隙に、得点カードは朱鷺子が静かに持っていった。


「……普通に強い」


 歩ちゃんが呟く。


「普通にやってるだけ」


「朱鷺子の普通、強いんだよね」


「知ってる」


「自覚あった!」


 店員さんまで笑っていて、私もつられて笑った。


 負けたのに、楽しい。

 上手くできないのに、もう一回やってみたくなる。


 遊ぶというのは、こういうことなのかもしれない。


 ***


 『ハゲタカのえじき』を何戦か遊ぶころには、最初に配られたカードの感触にも少し慣れていた。


 勝てた回もあれば、何を考えて出したのか自分でも分からなくなる回もあった。

 それでも、得点カードがめくられるたびに、誰かが声を上げる。


 女性店員さんは使い終わったカードを箱に戻すと、今度は正方形の箱を持ってきた。


「じゃあ、最後にもうひとつだけ。盤面使うやつにしましょうか」


 箱の名前は『コリドール』だった。


「駒を進めて、先に向こう側へ着いた人が勝ちです。途中で壁を置いて、相手の道を邪魔できます」


「邪魔していいんですか!」


 歩ちゃんの目が、分かりやすく輝いた。


「ルールの範囲内なら全然ありです」


「楽しそう!」


「歩ちゃん、顔が悪いよ」


「そんなことないよ?」


「ある」


 朱鷺子が即答する。


 けれど、最初に本当に嫌な壁を置いたのは朱鷺子だった。


 朱鷺子はしばらく盤面を見て、何も言わずに壁を一本置く。


「……そこ置くのか」


 いつきさんが、少し嫌そうな顔をした。


「はい」


「かなり嫌な位置だな」


「嫌な位置に置くゲームなので」


「正しいが、言い方がひどい」


 朱鷺子は勝ち誇るわけでもなく、もう次の盤面を見ている。


 歩ちゃんは勢いよく壁を置いて、自分の道まで遠くしていた。


「歩、それ自分も困るぞ」


「今気づいた!」


「遅い」


 私は笑いながら、自分の駒を一歩進めた。


 派手に動く歩ちゃんと、静かに嫌な場所を塞ぐ朱鷺子。

 同じ妨害でも、こんなに違う。


 ゲームが変わるたびに、みんなの違うところが見えてくる。


 歩ちゃんは勢いがあって、失敗してもすぐ笑う。

 朱鷺子は静かで、でも強い。

 いつきさんは教えるのが上手くて、たまに本気で嫌そうな顔をする。


 私はまだ、どれも上手いわけではない。


 けれど、下手でもそこにいていいのだと、少しずつ思えた。


 ***


 気づけば、思っていたより時間が経っていた。


「そろそろ一度切るか」


 いつきさんが時計を見る。


「え、もうそんな時間?」


 歩ちゃんが驚いた顔をする。


「歩、体感短すぎ」


「楽しいと早いじゃん」


「それはそう」


 朱鷺子が珍しく素直に頷いた。


 テーブルの上を片付けていると、女性店員さんが箱を受け取りに来た。


「楽しんでもらえました?」


「めっちゃ楽しかったです!」


 歩ちゃんが大きく頷く。


「それはよかったです。勢いは才能なので大事にしてください」


「ほら!」


「ただし、たまには盤面も見てください」


「はい!」


 歩ちゃんが妙にいい返事をした。


 女性店員さんは、私の方にも笑いかける。


「和葉さんも、かなり慎重派でしたね」


「考えすぎてましたか?」


「いえいえ。読み合い系って、慎重な人が後半伸びたりしますよ」


 そう言われて、気持ちが明るくなる。


「また来てくださいね。次はもう少し意地悪なゲームも出せます」


「意地悪なゲーム」


「ありますよー。いっぱい」


 軽い声なのに、少しだけ怖い。


 男性店員さんはカウンターで会計をしながら、いつきさんに声をかけた。


「今日はずいぶん賑やかでしたね」


「だいぶ」


「たまにはいいでしょう」


「まあ、たまには」


 いつきさんはそう答えた。

 その声は、どこか柔らかかった。


 店を出ると、外の光が少し傾いていた。


 歩ちゃんはまだゲームの話をしている。


「あの同じ数字で消えるやつ、もう一回やりたい」


「歩はまず被らない努力」


「朱鷺子は読みすぎ禁止」


「禁止される理由が分からない」


「強いから!」


 二人の声を聞きながら、私は少し後ろを歩いた。


 楽しかった。


 負けた。

 間違えた。

 置いていかれたように感じた瞬間もあった。


 でも、それでも楽しかった。


「疲れたか」


 隣に来たいつきさんが聞く。


「少し。でも、楽しかったです」


「ならよかった」


 それだけの返事だった。


 けれど、私はその短さにも慣れている。

 その中にちゃんと含まれているものがあることも、前より少しだけ分かるようになってきた。


「それにしても」


 歩ちゃんが、少しだけ声を落とした。


「和葉、今日ずっと楽しそうだったね」


「そうかな」


「うん。前より顔に出るようになった」


 その言葉に、少しだけ返事に迷う。


 歩ちゃんはそこで、ちらっといつきさんの方を見た。


「まあ、色々あったしね」


「歩」


 朱鷺子が短く止める。


「分かってるって。深掘りはしない」


 歩ちゃんは両手を軽く上げた。


 いつきさんは少しだけ目を伏せて、それから言った。


「気を遣わせて悪いな」


「そこは別に。友達だから」


 歩ちゃんがあっさり返す。


 朱鷺子も短く頷いた。


「和葉が話したいことなら聞く。それだけです」


 その言い方が、朱鷺子らしかった。


 私は小さくうなずいた。


「……ありがとう」


「どういたしまして」


 歩ちゃんは笑って、また前を向いた。


「和葉、また行こうね!」


「うん」


「次は私、もっと勝つ」


「今日も勝ってたよ」


「もっと!」


 朱鷺子が横で小さく息を吐く。


「次は対策する」


「こわっ」


 そのやりとりに、また笑ってしまった。


 帰ったら、御子神さんが匂いを嗅ぎに来るだろうか。

 知らない場所に行ってきたことを、ちゃんと分かるだろうか。


 そんなことを考えながら、私は少しだけ歩幅を合わせた。


 今日は、少しだけ新しい場所に行った。

 いつきさんの知っている場所に、歩ちゃんと朱鷺子と一緒に入れてもらった。


 そして、失敗しても笑っていい遊びを、少しだけ覚えた。


 駅前の通りには、休日の夕方の音が重なっている。

 その中を、私は三人の声を聞きながら歩いた。

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