第8話:竜騎士団長、グレーのスウェットを着る
「あの、レイさん。大変申し訳ないんだけど……」
ハクとレイさんの火花散る視線攻撃(キャットファイトならぬウルフ&ナイトファイト)をどうにか収めた後。私はベッドの端に腰掛け、床のドアマットの上に律儀に正座しているレイさんを見下ろして、言いづらいことを口にした。
「……はい、何なりとお命じください、栞奈様」
怪我が少し楽になったせいか、レイさんの声には騎士団長らしい、低くてめちゃくちゃ良い響きの重低音が戻っていた。群青色の瞳が、まっすぐに私を見上げてくる。まぶしい。イケメンの眼力って、狭い部屋だと破壊力が三倍増しになる気がする。
「命じるとかじゃなくてね。服、それ、どうにかしよっか」
「服、ですか?」
レイさんは自分の身体に視線を落とした。
引き裂かれ、泥と赤黒い血にまみれた甲冑。キズノパワーパッドのおかげで出血は止まったものの、お世辞にも清潔とは言えない。というか、普通に臭う。鉄錆と、汗と、野生の獣の匂いだ。
これがファンタジー世界のリアルと言われればそれまでだけど、ここは私の部屋なのだ。フローリングに泥水が滴るのを見るだけで、私の女子高生としてのライフラインがガリガリと削られていく。
「この部屋、基本『土足厳禁』だから。レイさんのその鎧も、ちょっと一回脱いでもらっていい? あ、もちろん、中に何か着てるよね?」
「はっ、心得ました! 結界の主の御前を汚してしまい、万死に値します!」
レイさんは大真面目な顔で、ガシャガシャと器用に甲冑の留め具を外し始めた。
……うん、まぁ、予想はしていたけれど。
鎧の下に着ていたインナーのシャツも、ボロボロで血が染み込んでいて、使い物になりそうになかった。しかも、鎧を脱いだことで、彼の無駄に鍛え上げられた胸筋や腹筋のシックスパックが、惜しげもなく露わになってしまう。
「わ、わわっ! ちょっと待って、ストップ! 服、今すぐ買うから!」
「買う……? このような森の奥深くで、ですか?」
顔がカッと熱くなるのを隠すように、私はスマホの画面に飛びついた。
幸い、私がいつも使っているネットスーパーは、食料品だけじゃなく、ちょっとした衣料品や日用品も扱っている大手チェーン(イオン的なやつ)のアカウントだ。
メニュー画面を高速でスクロールし、『紳士服・インナー』のページを開く。
サイズはどうしよう。レイさんは身長180センチ以上は確実にあるし、肩幅も広い。
「ええい、大は小を兼ねる! 3Lでいいや!」
私がカートに放り込んだのは、最も無難で、最もオシャレから遠い存在――『裏起毛スウェット上下セット(グレー)』、それから使い捨てのボクサーパンツと、身体を拭くための超大判ノンアルコールウェットティッシュだ。
ついでに、ハクが外から「るるぅ……」と寂しそうな声を上げていたので、お詫びの『犬用ジャーキー(お徳用パック)』も追加した。
合計金額、3,840円。私のお小遣い残高が、いよいよ虫の息になっていく。誰か私に、この異世界の通貨を日本円に両替する方法を教えてほしい。
画面をポチって、数分後。
お約束のインターホンが鳴り、届いたレジ袋を回収する。
「はい、これ。これで身体を綺麗に拭いて、その服に着替えて。私は後ろ向いてるから」
「はっ……。この布、驚くほど柔らかく、そして……水分を含んでいるのに破れない……? 業火の魔法で練り上げられた聖布でしょうか……」
「ただのウェットティッシュだよ! 早く拭いて!」
背を向けてベッドに潜り込み、枕に顔をうずめる。
背後から、ガサゴソと衣擦れの音や、ウェットティッシュを引っ張る音が聞こえてくる。
普通に考えたら、危機感がなさすぎる。
私は一昨日まで、男子とまともに手を繋いだこともない、普通の女子高生だったのだ。それが今、自分の部屋に身元不明の(元とはいえ)竜騎士団長を連れ込んで、着替えさせている。
もしお母さんが見たら、泡を吹いて倒れるかもしれない。
でも、不思議と怖さはなかった。
レイさんのあの群青色の瞳には、あのクソ王太子が持っていたような、他人を道具としてしか見ない冷酷さが微塵もなかったから。裏切られて、傷ついて、それでもプライドを捨てずに生きようとした彼の姿が、なんとなく、追放された時の自分に重なってしまったのだ。放っておけるわけがなかった。
「……栞奈様。着替えが終わりました」
しばらくして、控えめな声が私を呼んだ。
私はゆっくりと振り返り――そして、思わず吹き出しそうになった。
「ぷっ……く、くふふっ……!」
「……あ、あの、不作法でしたでしょうか。心なしか、下衣の丈が少し足りないような……」
そこにいたのは、グレーのスウェット上下に身を包んだ、超絶イケメンの竜騎士団長だった。
サイズ3Lにしたのに、彼の恵まれた体躯のせいで、なぜかジャストサイズに見える。しかも、スウェットの裾から覗く足首が、絶妙にツンツンてんになっていた。
顔が彫刻みたいに整っているせいで、かえって「実家のリビングでくつろぐお父さん」感が強調されて、最高にシュールだ。
「ううん、似合ってるよ。すごくいいと思う」
私が笑いながら言うと、レイさんは驚いたように自分の胸元(スウェットの生地)を手のひらで撫でた。
「なんと……軽い。それに、内側がまるで羊の毛皮のように温かい……。このような至高の衣、王族であっても早々口に、いえ、身につけられるものではありません。栞奈様、改めて、貴女の慈悲に感謝を」
そう言って、グレーのスウェット姿のまま、再び美しい所作で床に膝をつくレイさん。
ギャップが激しすぎて頭が痛くなってきた。
「もう敬語もいいし、膝をつくのもやめて。……ほら、それよりお腹空いたでしょ。お昼ご飯、何がいい?」
スマホを掲げて見せると、レイさんは「あ、あの……」と、少しだけ頬を染めて、控えめに、けれど確かな期待を込めて言った。
「もし許されるのであれば、先ほどの……『かろりーめいど』という、神の泥塊を、もう一度……」
「だから、泥じゃないってば」
私は呆れ半分、愛おしさ半分で笑った。
理不尽にすべてを奪われたこの最凶の森。
私の引きこもり城は、グレーのスウェットを着た騎士の加入によって、なんだか奇妙な「実家感」を帯び始めていた。




