第9話 異変は想像以上だった……
音羽が真剣な顔で出口を見つめていると、頭を掻きながら気まずそうに瑛士が声をかけてくる。
「あーなんだ、早く四階層に向かわねーかってことなんだが……」
「言われなくても向かうわよ。瑛士くんの方は大丈夫なの?」
「ああ、もちろんだ。ルリがそんな状態なら、俺が先に行って様子を見てこようか?」
抱き着いたまま体を震わせているルリを見て、瑛士が気を利かせた言葉をかける。すると、彼女の耳がかすかに動き、静かに音羽から離れると両手で頬を叩く。そして、何事もなかったかのように振り返ると、腕を組んで声を上げる。
「わらわをおいて先に進もうとするとは、どういうことなのじゃ!」
「いや、お前……さっきまで泣いてなかったか?」
「な、何を言っておるのじゃ? 決して泣いておったわけではないのじゃ」
顔を真っ赤にして必死に抗議するルリに対し、呆れたような顔で目を細める瑛士。その姿を見て、彼女はどんどんヒートアップしていく。
「その目はなんじゃ! わらわのことをバカにしておるのか?」
「別にまだ何も言っていないが?」
「ムキ―! そうやってまたごまかそうとするのじゃな! わらわを欺こうとしてもそうはいかんのじゃ!」
「誰が欺こうとしているんだよ……」
勝手にヒートアップしていくルリを見て、大きなため息を吐く瑛士。すると、笑みを浮かべた音羽が優しく二人の間に割って入る。
「ルリちゃん。私は味方だから大丈夫よ」
「音羽お姉ちゃん……この不届き者にガツンと言ってほしいのじゃ!」
「うんうん、ルリちゃんの気持ちはすっごくよくわかるわ。でも、瑛士くんが鈍感でデリカシーがないのは今に始まったことじゃないのよ」
ルリの肩に手を置きながら話しかける音羽だったが、瑛士へのヘイトは切れ味抜群だった。
「お、音羽? 俺に何か恨みでもあるのか?」
「え? 私はただ真実を述べただけよ。それよりも早く四階層に行くんでしょ?」
「え、ああ、まあそうだな……」
淡々と話す音羽の様子に何も言えなくなり、瑛士が言葉に詰まりながら答える。すると、小さくため息を吐き、呆れたように話しかける。
「いい加減に学習したらどうなの? ルリちゃんは純粋なんだから、言い方に気をつけなさいっていつも言っているでしょ?」
「いや、初耳なんだが……」
話を聞いていた瑛士が困惑しながら声を上げると、音羽は冷めた視線を送りながら口を開く。
「はぁ……これだから瑛士くんは……ルリちゃん、こんな鈍感男はほっといてさっさと四階層に向かいましょ」
「そうじゃのう。まあ、わらわと音羽お姉ちゃん、ルナがいれば余裕じゃしな」
「キュー!」
急に勝ち誇ったような表情で声を上げるルリに対し、同調するように元気な鳴き声を上げるルナ。
「……」
その様子を見ていた瑛士は、口を大きく開けたまま固まってしまう。そして笑顔で歩き出したルリたちの後を追うように歩き始めた音羽が、すれ違いざまに声をかける。
「何をぼさっとしているの? 早く四階層に行ったほうがいいかもしれないわよ……ただ事じゃない感じがするわ」
「なに? じゃあさっき俺が感じた違和感は……」
「十中八九間違いないわ。もしかしたら既に五階層でも何か起こっているかもしれないし……」
「こんなところでボーっとしている暇はない! 音羽、早くいくぞ!」
話を聞いて大きく目を見開いた瑛士が、先に歩き出したルリを押しのけるように駆けだす。
「わ、ご主人! 急に押しのけるなどしたら危ないのじゃ!」
「キュー! キュキュキュ―!」
瑛士の勢いによろけたルリとルナが抗議の声を上げるが、彼に届くことはなかった。その勢いのまま三階層の出口を出ると、薄暗い通路を一人で駆け抜けていく。
(――肌にまとわりつくような気配、それに空気がわずかに重い……まさかとは思うが、翠が何か関係しているんじゃ?)
瑛士の頭に翠の姿が過った時、冷たい空気が頬を撫でた。視線を向けると、四階層の入り口の方から奇妙な霧のようなものが流れ込んでいる。
「なんで霧が発生しているんだ? たしかに川はあったが……」
目の前に広がる光景に疑問を抱いた瑛士だが、すぐ違和感の正体に気が付く。
「いや、これはただの霧じゃない……この肌にまとわりつく重苦しい気配は、魔力が混ざっている証だ」
少しずつ通路に漂い始める霧を前に、足を止めて険しい顔で睨みつける瑛士。彼の脳裏によみがえったのは、三階層を捜索していた時に奇妙な魔力を感じた時のことだった。惹かれるように足を進めると、見たことも無い大穴とルリの探している欠片が目の前に現れたのだ。まさに同じような粘りつく気配が足に絡みつき、無意識に足が止まる。
(胸騒ぎが収まらない……背筋に走る寒気が警鐘を鳴らしている……このままルリたちを待つべきか、それとも……異変が想像以上に進行していたら……)
次の一歩が踏み出せないまま、焦りだけが募り始めた時だった。背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「まったく、ご主人はひどいのじゃ。わらわを突き飛ばすなど言語道断なのじゃ!」
「まあまあ、ルリちゃんの気持ちもわかるけどね。瑛士くんにも何か考えがあったと思うし……」
(げ……もう音羽たちが近づいてきたのか。クソッ、迷っている時間はない……ルリ、音羽。申し訳ないが、少しここで待っていてくれ)
後ろを振り返りながら無言で右手を突き出すと、透明な壁のようなものが出現する。
「どこまで持つかわからんが、何が起きているかわからない異変の中を突き進むよりはマシだ。急いで確認しないとな……」
近づく声を聞きながら呟くと、四階層の入り口に向かって駆けだす瑛士。
はたして彼の判断は吉と出るのか凶と出るのか……
そして、思いもよらぬ光景がこの後に待ち受けているとは――まだ知らなかった。
最後に――【神崎からのお願い】
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