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俺は彼女を抱くわけにはいかない  作者: 生出合里主人
第三の試練 俺はメイドを抱くわけにはいかない
18/66

18 つながる糸

 川沿いのキャンプ場に到着。

 歩夢がトイレに入ると、手洗い場に石けんがない。

 持参したウェットティッシュで丹念に手を拭くが、それでも清潔になった気がしない。


「日比野くーん、こっちこっち~」


 真理愛の手招きに気づいた歩夢は、我を忘れて駆け出した。

 自分の体内にはびこっている気持ち悪いものが、浄化されていくのを感じながら。



「生き物が海や川などで死んで、浮かび上がる前に泥や砂をかぶったとします。流れがゆるやかならバラバラにならずに、堆積物の重みで固まって、腐って骨だけになります」


 幼児が描いたような自作の絵を見せながら、真理愛が説明する。


「長い年月が経つと、骨のカルシウムなどが石の成分に変わります。水の底が隆起して陸地になった場合、川や雨などによって地面が削り取られて、地表に化石が現れるわけです。みんなの中で、化石になりたい人は~?」


 反射的に手を上げてしまう歩夢。

 笑い声に包囲され、化石のように硬直する。


「日比野君は笑いがわかっているねー。でも化石になるってことは死んじゃうってことだから、希望しちゃダメなんだぞー」


 部員たちの笑いは勢いを増し、歩夢は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 真理愛がなぜ嬉しそうにうなずいているのか、歩夢には理解できない。



 真理愛の説明が終わると、部員たちは各々河辺の石を拾い、ハンマーでたたき始めた。

 しかし軍手を忘れた歩夢は石を触ることができず、ただ一人うつむいていた。


 気がつくと目の前に真理愛。

 差し出した手には新品の手袋。


「でも先輩の手袋、真っ黒じゃないですか。俺は素手でいいですから、自分で使ってください」

「これぐらいの汚れ、わたしは慣れてるから平気よ。いつも土まみれ泥だらけだもん」


 真理愛のほおに付いた土が、フェイスペイントに見える。

 歩夢は手の震えを押さえながら手袋を受け取った。

 真理愛の微笑みが全身に染み渡り、内側から温かくしてくれる。



 化石の採集が始まって数十分も経つと、部員たちが化石を発見し始めた。


「高良先輩~、貝の化石ゲットしましたー」

「うん、これは二枚貝、多分ソデガイね。お味噌汁に入れたら、いい出汁が出るかも」


「真理愛先輩、これってホタテ貝ですよね」

「本当だわ。なんかすっごくおいしそう。焼いて醤油バターで食べたいわ」


「あ、あの、高良先輩、こ、これ、カニじゃないですか?」

「これはナグラベンケイガニかな。なかなか保存状態がいいわ。今すぐゆでて食べたいなー」


 一喜一憂する部員たちの間にあって、歩夢は一人黙々と石を割っている。



「真理愛先輩って、去年は恐竜の発掘現場にも行ったんですよね?」

「そうそう。ティラノちゃんのかもしれない歯が見つかった、長崎市の断層に行ってきたの」

「ティラノちゃんってティラノサウルスのことですか? 真理愛先輩、恐竜にちゃん付けって……」


「まだまだ出そうだから、大規模に発掘すべきだって大学にかけあってるんだけど、なかなかやらせてもらえないのよね。そうだ、日比野君は恐竜好き? 大きいから、好きなんじゃない?」


 突然真理愛に話を振られ、歩夢の緊張感は大気圏の外まで高まっていく。


「えっ、俺ですか? まあ地球を汚染し続ける人類よりは、ずっとましな生命体だと思いますけど」

「だと思ったぁ。じゃあ、どの恐竜が好き?」


「そう、ですね。例えば、通常自分よりも小さな草食恐竜しか襲わなかったと思われるティラノサウルスよりは、時には自分よりも大きな草食恐竜を襲うこともあったと言われるアロサウルスのほうが、好みですね」

「そうなのよ~。さすがは日比野君。よくわかってるじゃな~い」


 思わず得意げな顔になって、慌てて無表情を作る歩夢。


「アロちゃんはアパトちゃんを追っていた痕跡が残っているわ。アロちゃんはティラノちゃんとかとは違って、歯も小さいしかむ力も弱かったから、上のあごを斧のように使って肉を切り裂いた、という説もあるわね。大型恐竜を捕食するには軽量すぎるっていう説もあるけど、日比野君はどう思う?」


「アロちゃんは、あごの筋力は弱くても腕力は比較的強かったとされていますね。体重が軽い分、三十キロから五十キロのスピードで走れたという研究結果もありますし。群れだったら、自分よりはるかに大きい獲物でも十分狙えたと思いますね」


「おいおい、日比野までちゃん付けしてるぞー」

「なんか二人の会話についていけないわね」


 境、宝蔵院、黒部の三人は、楽しそうに笑いながら真理愛と歩夢の会話を聞き流していた。



 終了間際、歩夢は割れた石の表面に先のとがったハート型のような化石を発見する。


 見つけた!

 これでまた、真理愛先輩と話ができる!


「まり……いや、高良先輩、これって……」

「あっ、日比野君も見つけたの? どれどれ~。おー、これはサメの歯ね。しかもこの形、すごいわ。メジロザメの歯なんて珍しいわよ」


「メジロザメなんて、今でも普通にいるじゃないですか」

「人類の歴史は三十万年。恐竜でも一億八千五百万年。それに対してサメは四億年よ。三億年前は魚類の七割がサメというほど繁栄していたの。でもサメの骨はカルシウムを含まない軟骨で、通常化石にならない。エナメル質の歯冠と象牙質の歯根だけが化石として残っているの」


「こんな小さな歯一個が、貴重だって言いたいんですか?」

「化石はね、どんなに小さくても太古の時代に通じるからロマンがあるのよ。想像して。このサメが生きていた時代を。サメと恐竜たちが一緒にいた頃の世界を。想像力さえあれば、頭の中に本物の恐竜がよみがえってくるはず。日比野君なら、きっとできるわ」



 それまでの歩夢なら、「くだらない」と言い捨てただけだっただろう。

 けれどこの時の歩夢は違っていた。

 静かにまぶたを閉じ、思考に集中する。


 手の中の化石……踏みしめている大地……俺を包んでいる空気……。


 先ほど博物館で見た想像図が思い出される。

 心の中の情景が、千五百万年前の世界へと変わっていく。

 水辺にはカバに似た大型哺乳類パレオパラドキシア。

 海中には全長五メートルのチチブクジラやマンボウの仲間チチブクサビフグ。

 そしてチチブサワラを追いかけていくメジロザメ。


 場面は八千五百万年前の海へと変化する。

 しなやかに泳いでいく首長竜フタバサウルス。

 それを襲う巨大なサメの群れ。


 さらに時代をさかのぼり、一億五千万年前の砂浜。

 悠然と歩いていく首の長いアパトサウルス。

 そこへ現れたのは、俊敏な動きを見せるアロサウルスたち。


 SFでもファンタジーでもない。

 俺の立っている大地に、かつては本物の巨大生物たちがいたんだ。

 そんなこと実感できるはずがないのに、今はやたらリアルに感じられる。


 そうか。

 実感って受け取るものじゃなくて、つかみ取るものなのか。

 からっぽだった頭が、確かな感覚で満たされていく。


 絶滅した生物だって、今の人間と関係がないわけじゃない。

 太古の昔から残った化石が、現代の石の一部として実在している。

 だからこうやって見つけたり、触ったりできるんだ。


 昔と今は続いている。

 一見無関係に見えるものも、みんな結びついている。


 孤立している自分。誰とも交わらない自分。

 俺は自分だけが、この世界から隔絶されているような気がしていた。

 だけど俺だって地球上に存在しているし、宇宙の歴史の一部なんだ。


 果てしなく続く広大な空間と、過去から流れる膨大な時間が、全部自分までつながっているような気がしてくる。

 まるで、あらゆるものが糸でつながっているみたいに。


 俺にこんな夢みたいな空想ができたなんて、奇跡だ。

 俺から伸びている糸、真理愛先輩までつながっているのかな。


 感慨深げに化石をさすっている歩夢を、真理愛が朝日のような笑顔で見つめていた。



 その後、境、宝蔵院、黒部は、歩夢と真理愛から恐竜にまつわる説教を受けるはめになる。


「ですから翼竜、首長竜、魚竜は恐竜ではありません! 二度と間違えないでください!」

「恐竜が絶滅したなんて、実は真っ赤なウソなのよ。鳥って、分類上は恐竜なの。恐竜に鳥を含まない場合は、非鳥類型恐竜って呼ばないといけないのよ」



 化石採集の後には、河原でのバーベキューが待っていた。


 なんてことだ。

 こんなにすごい生き物が地上に存在していたなんて。


 エプロン姿の真理愛に、歩夢は目が溶け落ちる寸前だ。



 料理の指揮を取ろうと奮闘する真理愛だったが、段取りが悪すぎてまったく役に立たない。

 実際に指示するのは宝蔵院。調理するのは境と黒部、そして歩夢だった。


「ごめんねみんな。わたしは役立たずね。そうだ、食材を切ることぐらいはできるわ」


 ソーセージの代わりに指を切りそうな真理愛を見かねて、歩夢が包丁を取り上げる。


「あっ、すいません。でも高良先輩、家事なんて男にやらせておけばいいんですよ」

「あら、日比野君は家庭的な女が理想じゃないの?」

「家事なんかより、女の人は無能な男から権力を奪い取って、世界を支配すべきなんですよ」

「日比野君らしい前衛的な意見ね。でもケガしないように気をつけて。あっ!」


 家事には慣れている歩夢だったが、極度に緊張した状態で包丁を器用に扱えるはずはなかった。

 見事に切れた左手の人差し指。

 鮮血が手首まで流れ、シンクにしたたり落ちている。


「大変! 日比野君が死んじゃう!」

「この程度で死にませんから。あっ!」


 慌てた真理愛がとっさに歩夢の人差し指を自分の口へ運び、赤い血をなめていた。

 心臓が止まりそうなほど驚く歩夢。


「あっ、ごめんなさい! 自分の指と間違えちゃって」

「そんな間違いあります? いや、気にしないでいいですから」

「でも、汚いでしょ」

「そんなこと、全然……」


 真理愛は恐縮しながら歩夢の指を消毒し、慎重に絆創膏を貼った。


 舌の感触、指の肌触り、血の付いた唇。

 その記憶は永久不滅だ。



 食事が始まっても食べ物を取れずに後ろで突っ立っていた歩夢は、肉を渡そうとして近寄ってくる真理愛を見て目が回ってしまった。

 危うく落としそうになった肉をなんとか皿に納め、二人で胸をなでおろす。

 歩夢はその肉をろくにかまないまま飲み込み、肉がのどにつかえて涙目でむせ返る。


 苦しい……辛い。

 でも、この景色をずっと眺めていたい。



 歩夢は率先して後片付けをした。

 帰りは少しだけ、会話にも参加している。

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