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俺は彼女を抱くわけにはいかない  作者: 生出合里主人
第三の試練 俺はメイドを抱くわけにはいかない
17/66

17 初めての感覚

 2015年6月7日 日曜日



 歩夢が初めて経験する地学部の野外活動は、秩父方面まで遠出しての化石採集だった。

 池袋駅に集合し、東武東上線で寄居へ向かう。


 予定外に真理愛が現れ、歩夢の心は嬉しさ半分戸惑い半分。


「小平先生がギックリ腰で行けないという連絡があって、急きょわたしが同行することになりました。頼りなくて申し訳ないけど、皆さん張り切っていきましょう。おー」


 だったら前もって言ってくれればいいのに。

 こんな頭ボサボサで来ちまったじゃねえかよ。



 歩夢は電車の窓に自分が映るたびにのぞき込み、手ぐしで髪を整える。

 寝癖が直らずイライラしながら、歩夢は前日学校で明差陽に言われたことを思い出していた。


「もうちょっと見た目を気にしたらどうなの。いつもアホ毛が立ってる髪をなんとかするとかさあ。そうすれば少しはマシに見えるかもしれないよ」


 あいつが変なこと言うから、気になってしょうがないじゃねえかよ。


「日比野~。なーに髪型なんか気にしてんだよ~。いつも通りじゃねえか~」

 笑いながら歩夢の頭をなで回した境は、歩夢が本気で振り払ったため無言となる。


 一方の真理愛は紺のジャージ。

 しかも「3年A組高良真理愛」という名札付き。

 部員たちはシャツにジーパンだから、どちらが引率だかわからない。



 電車に乗り込んだ歩夢は、真っ先に座った真理愛の隣席をじーっと見つめていた。

 その席へ当然のごとく座る宝蔵院。


 着席が遅れたため、歩夢だけが通路を挟んだ席を選ばざるをえなくなる。

 しかし歩夢が一人になったことに気づいた黒部が、わざわざ隣に移ってきた。


「べつに来なくていいのに」

「ご、ごめんね、日比野君」



 寄居から秩父までは、筋金入りの鉄である小平先生が予約しておいた、秩父鉄道のSL「パレオエクスプレス」に乗車する。

 蒸気機関の煙が天高く舞い上がり、汽笛が空を貫き通していく。


「みんなお菓子食べて食べて~。あー落としちゃった~。拭いて食べちゃおーっと」


 一番楽しそうなのは、どう見ても真理愛だった。

 お菓子を飛ばしてもお茶をこぼしても、ずっと笑っている。

 その屈託のない笑顔を見ていると、歩夢も自然と口元がほころんだ。

 そんな歩夢を見た黒部も、嬉しそうな顔をする。


「ひ、日比野君、今日は、いつもより楽しそうだね」

「楽しくなんかねえよ」

「そ、そっか。ごめんごめん」



 それからずっと、歩夢は一人ふてくされていた。

 でも本当は、ふてくされているふりをしていただけだ。

 そうしていれば、話の輪に入れてもらえるかもしれないから。


「真理愛先輩って、お化粧しないのにお肌きれいですよね」

「これでも最低限のことはしてるんだけどね。お化粧ってなんか面倒臭くって」

「わたし真理愛先輩のきれいな髪がうらやましいです。ちょっと触らせてもらってもいいですか?」

「いいけど、全然きれいじゃないよ。特別なことはなにもしてないし」


 真理愛の長い黒髪の間を通っていく宝蔵院の指を、横目でうらやましそうに眺める歩夢。

 部員の中でただ一人、宝蔵院だけが下の名前で呼んでいる。

 そんなことでさえ、ねたましい。



 秩父でバスに乗り換え小鹿野へ移動。

 バス停から目的地まで徒歩二十分。


 一行を出迎えたのは、どこにでもある田舎の風景だ。

 だが平凡な家もありふれた木々もどんよりと曇った空も、歩夢には目に入るものすべてが美しく思える。

 白い蝶を見かけた時は、思わず踊り出しそうになったほどだ。


「日比野君、雨を避けて」


 突然の小雨に、ムチャぶりをしてくる真理愛。

 歩夢がボクサーのように雨を避けるふりをすると、果てしなく無邪気な笑い声を振りまいた。


 おかしいな。毒キノコでも食ったみたいだ。

 なんか俺、楽しいって感じてるような気がする。そんなはずないのに。

 こんな感覚、初めてだな。



 真理愛は後輩たちを先導して歩きながら、時々後ろ向きになって説明を挟んだ。

 真理愛は舌足らずで滑舌は良いほうではないが、専門的な話になるととたんにじょう舌になる。


「秩父盆地は約千七百万年前から約千五百万年前までの間、海だったわけです。約千五百五十万年前に浅い海になったおかげで、その時代の地層に多数の化石が残ってキャーッ」


 話しながら派手に転ぶ真理愛。

 後輩たちに助けられ、顔を桃色に染める。



 一行が「おがの化石館」を見学している間に、雨はあがった。

 続いて天然記念物である地層「ようばけ」へ向かう。

 坂を下り、赤平川を挟んで高さ百メートルの崖と対峙する。


「この層は、砂の層と泥の層が交互に重なったもの。浅瀬に堆積した砂と泥が地震などによる地滑りによって海底に移動して、重たい砂が下に、軽い泥が上に堆積して、それが何度も繰り返されてできたの。なんかミルクレープみたいでしょ」


 なんだろう。

 何層にも重なった地層が、だんだんエレガントなデザインに見えてきたぞ。


 歩夢は真理愛の指し示す方向を凝視し、彼女の言葉を一つ一つ記憶に刻み込んでいった。


「この地層自体が天然記念物なので、ここでは化石の採集ができません。この辺りは崩落の危険もあるので、河原の広い荒川まで移動してキャーッ」


 話しながら斜面を滑り落ちていく真理愛。

 歩夢は心配で気が気でない。



 荒川への移動もバスと徒歩。

 頭上を覆っていた雲が退散し、日光がさんさんと降り注いできた。

 空を見上げ目を細めた真理愛が、持参した麦わら帽子をかぶる。


 絵に描かれた少女のようにかれんだな。

 体の細さや肌の白さが、はかなげな魅力を倍増させてる。

 この人って、永遠に少女のままなんじゃないかな。


「真理愛先輩は美白に気をつけているんですか? 前に長崎県の離島の出身って聞きましたけど、すっごく色が白いですよね。両親が東北出身のわたしより白い」

「それがね宝蔵院さん。わたし日差しを浴びるとゆでだこみたいに赤くなっちゃうの。色が白いのは、ロシア人の血が八分の一入っているからかも」


「うわ~、ご先祖はずいぶん前に国際結婚してたってことっすね~」

「当時の日本は外国人やハーフが珍しかったから、色々と大変だったみたいね。子孫のわたしも、大学ではすっかり孤立しちゃってるけど」


 苦笑いの宝蔵院は、自分と真理愛から常に離れて歩く黒部に気づき、首をひねり目を細めた。


「黒部、なんかわたしたちのこと避けてないか? 貴様、わたしたちが嫌いだとでも言うのか」

「す、すいません。じ、実は僕、女性恐怖症なんです。お、お二人が嫌いなわけじゃないんです」


「あー、だから二次元専門なのか~。でもなんでそんな風になっちまったんだろうなー」

「しょ、小学一年生の時、クラスの女子の集団に襲われて、廊下に押し倒されて、ズ、ズボンとパンツを脱がされて……。あ、あの時の廊下が、冷たくて、暗くて……」


 全員沈黙してしまった。

 しかし不自然な笑顔の境が、黒田の肩をバンバンたたきながら言う。


「俺なんかさー、幼稚園から今までずっといじめにあってきたよー。ノリが変で気持ち悪いとか言われちゃってさー。だけどいつでもどこでも世間の普通? とかいうやつに合わせなきゃいけないのって、俺にはちょーっとしんどいんだよなー。お互い大変だよなー」


「わたしはいじめられたこともいじめたこともないが、家族全員がかなりの男尊女卑で、幼い頃から不当な差別を受けてきた。男女差別は昔のほうが激しかったはずだが、現代のほうが不条理だとわたしは思う。区別する必要がなくなったのに、いつまでも差別を続けているからだ」


「宝蔵院も大変だったんだなー。みんなそれなりに苦労してるってことだー。日比野もなんかあるんじゃないの~?」

「いや、俺はいじめられてないし、友達も多いし、家族とも仲いいし……」

「そっか~。なら良かったよー」


 部長の言葉に、全員が笑顔でうなずいている。

 さも安心したかのように。


 こいつら、俺の話本気で信じてんのか?

 それとも嘘だとわかっててバカにしてんのか?



「今どき人間関係で苦労していない人なんていないよね。それでもなんともないって言い切るのは立派だわ。だけど……」


 真理愛の言葉でさらに追い込まれた歩夢は、その真理愛に救いを求める視線を向けた。


「そんな日比野君は、わたしたちの愚痴を聞いてね。そうすればいつか自分も愚痴を言いたくなった時、話がしやすいはずだから」

「俺は愚痴なんか言いません。……でも、人の話はなるべく聞くようにします」


「ほんと? じゃあ早速なんだけど、わたし便秘が治らなくて困ってるの」

「真理愛先輩、突然なにを言い出すんですかっ」

「便秘なら、腸内環境を整えるために毎日発酵食品を食べてください」

「お前なんで普通に答えてんだーっ」


 弾むように笑う部員たちを前にして、歩夢の口元がけいれんのようにヒクヒクしている。

 恥ずかしいのか嬉しいのか、自分でもよくわからない。

 真理愛の前では思考能力が息をひそめ、感情が打ち上げ花火のように破裂してしまうのだ。

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