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政略結婚の旦那様の暗殺を命じられましたが、いい人すぎて私には殺せません  作者: てるてる坊主


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9/10

異国の商人

 ひととおりのご挨拶が済み、ようやく針の筵のような王妃の椅子から解放された。


「少し、風に当たってまいります」


「うん。ゆっくりしておいで」


 アルベルト様に見送られ、私は侍女を伴って広間を出た。


 廊下を進み、庭に面したところまで来ると、ひんやりした夜風が頬に触れた。


 これなら、顔の熱も少しは冷めるかもしれない。


「王妃様。おくつろぎのところ、恐れ入ります」


 声をかけられて振り返ると、商人らしい男性が二人、少し離れて立っていた。


 一人は、立派な口ひげを蓄えた年配の男性。もう一人は、異国風の長衣をまとった、色黒の青年だった。


「今宵、香油を献上いたしました商会の者にございます。お気に召しましたでしょうか」


「ごめんなさいね。まだ見ていなくて」


「さようでございましたか。お許しいただけましたら、こちらでいくつかご紹介してもよろしいでしょうか」


 年配の商人が、小さな化粧箱を示した。


 正直、気が乗らない。けれど、角を立てずに断る方法も思いつかず、私はうなずくしかなかった。


 商人がそばの卓に箱を置き、蓋を開ける。並んだ色とりどりの小瓶に、隣の侍女が目を輝かせた。


「当商会自慢の香油です。お仕えの皆様にも、ぜひ進呈させてください。もちろん、お代はいただきません」


 遠慮する侍女に、私はうなずいた。


「せっかくだから、皆さんの分も選んで差し上げて」


「よろしいのですか? 王妃様、ありがとうございます」


 侍女が礼をして箱をのぞき込むと、色黒の青年が私に別の小瓶を示した。


「王妃様には、こちらを。香りが混ざらぬよう、少し離れたところでお試しください」


 侍女を卓に残し、青年と庭に近い場所へ移る。数歩離れると、侍女と商人の会話は、広間から流れる音楽に紛れて聞き取れなくなった。


 差し出された試香紙へ手を伸ばしたとき、青年が耳元でささやいた。


「楽しくやってるみたいじゃないか」


 聞き覚えのある声に驚き、私は青年の顔をまじまじと見つめた。


 日に焼けた肌も、異国風の装いも、見覚えはない。けれど、からかうような口調と、耳になじんだ声は、聞き間違えようがなかった。


「……シド?」


 怪訝な顔で、黒百合で共に教育を受けた仲間の名を口にする。


「顔に出すな」


 香りを勧めていたときと同じ笑みを浮かべたまま、シドが小さく言った。


 私はとっさに侍女を見た。


 彼女は年配の商人から、二本目の試香紙を受け取っている。こちらを気にするそぶりはない。商人がうまく興味を引きつけているようだった。


 ……あちらも仲間なのね。


 私は試香紙を鼻先へ近づけ、香りを試すしぐさをしながら話を続けた。


「どうして、ここにいるの」


「商人に紛れた」


「そういう意味じゃなくて。連絡は、もっと先の予定でしょう」


 ヴァルネア王国が、アルディス王国への再侵攻の準備を整えるまで、少なくとも二年。


 アルベルト様の暗殺も、その前後の予定だと聞いていた。


 それまでは、王妃として信用を得ながら情報を集める。直接の接触は、当分ないはずだった。


「何か、予定が変わったの?」


「組織からは何も言われていない。俺の独断だ。予定を変えたくなるものを見たんでね」


 シドは私の手から試香紙を受け取り、代わりに別の一本を差し出した。


「ずいぶん親しげだな、王と」


「夫なんだから、当然でしょう」


 言い返し、渡された試香紙へ目を落とす。


「1週間しか経ってないんだから、まだまともな情報なんて得られてないわよ。とにかく、まじめにやってるから。そう報告しておいて」


「まじめにやってる、だと? それで誤魔化せると思ったか?」


 思いがけず冷たい声に、顔を上げた。


 シドの口元には商人らしい笑みが残っていた。けれど、その目は少しも笑っていない。


「お前、あの男に惚れかけてるだろ」


 息が詰まった。


「……何を根拠に」


「夜会の間中、あの男を見るたび、顔が緩んでたぞ」


 うそ。そんなに顔に出ていたの?


 頬に手をやりそうになって、どうにかこらえた。ここで動揺したら、認めるようなものだ。


「仲よくするのも仕事のうちでしょう」


「俺にまで、その説明で通すつもりか」


 シドとは、付き合いが長すぎる。なにせ、幼い頃から共に訓練を受けていたのだ。


 誤魔化すのは無理かもしれない。


 答えられずにいると、彼は短く息を吐いた。


「今なら、まだ間に合う」


「何が」


「気持ちを切り替えろ。黒百合の命令を拒んで、無事に済むわけないだろ」


 そんなこと、わかっている。


 アルベルト様を殺さずに、私も生き延びる。そんな都合のいい方法なんて、何ひとつ思いつかない。


 それでも、あの方を殺すのは嫌だった。


「……任務に私情は挟まない」


「今夜の顔を、俺以外の誰かに見られていたら?」


 その言葉には、すぐに返せなかった。


「今回は、問題にならないように報告してやる。だが、次も俺だとは限らない。お前があの男に惚れていると判断されたら、組織はどうすると思う」


 組織の秘密をばらす可能性がある者には死を。


 それしか考えられなかった。


 黙り込んだ私を見つめたまま、シドが唐突に言った。


「逃げるか?」


「え?」


「侍女はこっちを見ていない。今なら、庭園の奥へ抜けられる。平民の服に着替えて、俺の馬車に乗ればいい」


「シド?」


 本気なのか、冗談なのかわからず、彼の顔を見た。


「冗談じゃない。これは本気だ」


 シドは、何かと冗談を口にする男だ。真面目な話をしていても茶々を入れてくるから、何度怒ったかわからない。


 けれど、今の目にふざけた色はなかった。


「……どこへ?」


「どこでもいいさ。黒百合の手の届かないところへ。名前も顔も変える。そういうことなら得意だろ」


「私を逃がしたら、あなたはどうなるの?」


「俺も行く」


 あまりにも簡単に言うので、しばらく意味がわからなかった。


 一緒に逃げる。


 任務も、今までの暮らしもすべて捨てて。


 ……できるわけがない。組織を抜けた者への制裁がどれほど過酷か、シドだって知っているはずだ。


「めったなことを言わないで」


 私は思わず、彼の袖をつかんだ。


「そんなことが知られたらどうするの。あなたまで裏切り者になるでしょう」


「一緒に逃げるなら同じことだ」


「心配してくれるのはうれしい。でも、あなたがそこまでする必要はないわ」


 昔から、そういうところがあった。


 私が失敗すると、頼んでもいないのに手を貸して、一緒に叱られる。子供の頃は、それでよかった。


 でも、今度は叱られるだけでは済まない。


「王妃様、いかがなさいましたか?」


 香油を選び終えた侍女が、こちらへ声をかけてきた。


 シドの目元が和らぎ、愛想のよい商人の顔に戻る。


 私も、つかんでいた袖から手を離した。


「とても素晴らしい香油を見せてもらっていたの。新作ができたら、また見せて頂戴ってお話していたところよ。あなたも、気に入ったものは見つかって?」


「はい。たくさんいただきましたので、王妃様付きの侍女たちで分けますね」


「それはよかったわ。寒くなってきたから、もう戻りましょう」


 私はシドと、卓のそばに控える年配の商人へ向き直った。


「素敵な香油を、ありがとう」


 二人がそろって頭を下げる。


 立ち去る前に、もう一度だけシドを見た。


 どうか、危険なことはしないで。


 目を見つめて心の中で念を押す。


 シドは商人の笑みを浮かべたまま、私を見返した。


 伝わったかどうかは、わからない。


 それでも、これ以上ここにはいられなかった。


 私は侍女を伴い、広間へ戻った。

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