彼が抱えるもの
幾重にも灯されたシャンデリアの下で、色とりどりのドレスが揺れていた。楽団の奏でる優雅な調べに、談笑する声や、グラスの触れ合う澄んだ音が重なる。
この国に嫁いで一週間。今夜は、私をアルディス王国の王妃としてお披露目するための夜会だった。
広間の奥には、一段高い場所に二脚の椅子が並べられている。私はアルベルト様とともにそこに腰を下ろし、ご挨拶に訪れる方々をお迎えしていた。
こちらからは、広間の様子がよく見える。遠巻きに私を見てひそひそと会話している人が目につく。
はぁ。どうせ悪口なんでしょう。敵国の王女など嫌われて当然。せめて、これ以上印象が悪くならないようにしなければ。
背筋を伸ばし、口元に笑みを保つ。そう意識するほど、ドレスの中で身体が強張っていく。
そっと隣を見上げると、アルベルト様が目を合わせてくださった。その穏やかな眼差しに、私は少しだけ肩の力を抜いた。
けれど、白髪交じりの髪を後ろへ撫でつけ、仕立てのよい礼服をまとった恰幅のよい紳士が近づいてきたときだけは、少し様子が違った。
私の隣で、アルベルト様の背筋がわずかに伸びた。
「ヴァルデン公爵」
アルベルト様は、挨拶に訪れた方の名と肩書を、必ず最初に口にしてくださる。たぶん、私のために。
ヴァルデン公爵は確か、王家の血を引く……。
「いやはや、ずいぶんと奥方を大切になさっていますなぁ。情が移るあまり、かつての敵国にまで肩入れなさらねばよいのですが」
ちょっと、いきなり失礼すぎない?
それまでに挨拶に来た方々にも、ときおり嫌味らしきものを言われたけれど、ここまであからさまなのは初めてだった。
私は一応、建前上は『両国の友好のため』に嫁いできたんだけど!?
そうだ、思い出した。
ヴァルデン公爵家といえば、現王家とは因縁のある家だ。
四代前の国王は、長男を差し置いて、優秀な次男に王位を継がせた。長男が納得していれば、それで収まったのかもしれない。けれど、実際にはそうではなかったらしい。
「能力不足」を理由に王位を継げなかった長男は、その悔しさから、妻には何よりも優秀さを求めた。そして選んだのが、中堅どころの商家に生まれた、国一番の才媛と名高い女性だった。
いくら才に秀でていても、相手は平民だ。王族の妻になるとは、誰も思っていなかったという。
けれど、彼女との間に生まれた子供たちは、そろって優秀だった。母のもとで十分な教育を受けた彼らは、母方の実家の商いを大きく広げ、周辺国にまで取引の網を築いた。
そうしてヴァルデン家は、王家に連なる血筋と莫大な財力を併せ持つ、アルディス王国でも随一の名家となった。
今では、自分たちこそが正統な王家だと、陰で主張しているとか……。
これは、慎重に対応しないといけないわね。
「初めてお目にかかります、ヴァルデン公爵。アデリアと申します。こうしてご挨拶できますことを、うれしく存じます」
私は、公爵の嫌味には触れずに微笑んだ。
公爵も、何事もなかったかのようにその挨拶を受けた。
「お目にかかれて光栄です、アデリア王女。我が国での暮らしには、もう慣れましたかな」
「はい。皆様によくしていただいております」
「それは何より。しかし、この夜会の空気には、何かお感じになるものもあるのでは?」
笑みを浮かべたまま、公爵は続けた。
「我が国の兵は、ずいぶん血を流しましたからな。遺族たちが、あなた様のお輿入れをどのような気持ちで迎えているかと思うと——」
「公爵」
アルベルト様の声が、低く響いた。
「その話を、今、彼女にする必要がありますか」
「これから我が国の一員になられる方です。知っておかれたほうがよいこともあるでしょう」
「この婚姻は、我が国も合意のうえで結んだものです。彼女お一人に、そのような言葉を向けるのは控えてください」
アルベルト様の口調が強くなった。
いくつもの視線がこちらに向いている。私はグラスを握り直した。
最悪の空気だ。
アルベルト様のお顔から、いつものお優しい表情が消えている。
けれど、公爵は気にした様子もなく、飄々と続ける。
「ずいぶん大切にしておいでで」
「当然です。妻なのですから」
ためらいのないお返事だった。
胸が熱くなるより先に、私をかばったせいで、アルベルト様のお立場が悪くなってしまわないかと不安になった。
公爵が、再び私に視線を向けた。自分の優位を確信しているかのような嫌な笑い方をしている。
「アデリア様とは、またじっくりお話しする機会をいただきたいですなぁ」
「僕が同席する場でなら」
「ははは。承知いたしました」
公爵は、ほんのわずかに頭を下げた。
王族に対するものとは思えないほど軽い礼を残し、人の輪へ戻っていく。
「すみません」
アルベルト様のお声に、顔を上げた。
「不愉快な話を聞かせてしまいました」
「いいえ。気にしておりません……」
慌ててそう答えたものの、グラスを持つ指には、まだ力が入っていた。
嫌味を言われることなら、覚悟していたつもりだった。けれど、アルベルト様の目の前で、あそこまで露骨に敵意を向けられるとは思っていなかった。
私は、公爵の去ったほうへ目を向けた。
すでに何人もの貴族が彼を囲み、親しげに言葉を交わしている。先ほどのやり取りを見ていたはずの方も、その中にいた。
王家の血を引き、財力も人脈も持つ人物が、人前でああしてアルベルト様を牽制する。しかも、その周りには、あれほど人が集まっている。
戦争中、アルディス王国の軍は、有利に進軍していたと聞いている。故国の城が一つ落ちるたび、人々の顔色が変わっていったことを、私も覚えていた。
それなのに、どうして講和を急いだのか。ずっと疑問だったけれど、その理由が少し見えた気がした。
国内にこんな相手を抱えていたのなら、いつまでも国外に兵を向けておくわけにはいかなかったのかもしれない。
「顔色がよくないよ。もう十分、挨拶はしたから、休むかい?」
顔を上げると、アルベルト様が心配そうに私を見ていらした。
先ほど公爵に向けていた厳しさは、もうどこにもない。
この方は、どれほどのことに気を配っていらっしゃるのだろう。
微笑んで言葉を交わす相手が、味方とは限らない。ご自分の王位さえ脅かしかねない人が、同じ広間にいる。
それなのに、私の顔色まで気にかけてくださる。
「……ありがとうございます。私は大丈夫です」
そう答えて、アルベルト様の腕に添えた手に、少しだけ力を込めた。
思い返せば、私はここに来てから優しくしてもらってばかり、甘えてばかりだった。昨日なんてくっついて寝たいなんてわがままを言って。
この方にも、心の休まらない事情があるなんて、考えもしなかった。
「少しでも、あなたの役に立てる妃になりたい。みなさまに認めてもらえるような……」
思わず口にすると、アルベルト様は少し驚いて、それから微笑んだ。
「ありがとう。心配させてしまったかな? あのくらいのことはよくあるから、気にしなくていいんだよ」
また、私の心配をしてくださる。
私も、この方が笑っていられるように、何かしたい。
暗殺者として送り込まれた偽の王女が、こんなことを考えるなんておかしいってわかってる。
でも……あなたを好きになってしまったから。
あなたが何を抱えているのかも知らず、ただ優しさを受け取っているだけの女ではいたくなかった。




