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政略結婚の旦那様の暗殺を命じられましたが、いい人すぎて私には殺せません  作者: てるてる坊主


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7/10

優しい手

 自室の寝台に横たわったまま、私は天蓋を見つめていた。


 夕食はいらないと伝え、侍女たちにも下がってもらった。けれど、一人になったところで、考えは少しもまとまらなかった。


――暗殺者殿には、その愛をたっぷりと堪能していただきたい


 昼間に聞いたローデリクの言葉が何度も頭の中で再生される。


 ……何なのよ、それは。


 あのあと、ローデリクは何事もなかったように城内へ戻る扉を開けた。


「城の全景をお見せしましたし、案内はこれにて終了ということで」


 白々しいにもほどがある。


 腹立たしい。でも、それ以上に怖かった。


 王女ではないことも、黒百合の命令で動いていることも、知られている。


 今までどおり暮らせと言われたけれど、何かに利用して、用が済んだら処分するつもりなのかもしれない。


 あの男の気が変われば、明日にも捕らえられるのだ。


 大きな溜息をついたところで、扉を叩く音がした。


「アデリア。入ってもいい?」


 アルベルト様の声を聞いて、私は慌てて起き上がった。


「……はい」


 入ってきたアルベルト様は、寝巻きの上にゆったりとした上着を羽織っていた。手にした盆には、ポットとカップのほかに、小さく切った柔らかなパンと、湯気の立つスープの器が載っている。


「夕食を食べなかったと聞いたから。具合が悪いの?」


「すみません。少し疲れてしまって」


 彼はベッド脇の小卓へ盆を置き、私の顔をのぞき込んだ。


「そう。少しでも食べられればと思って、持ってきたんだ。無理はしなくていいけれど、スープだけでもどうかな」


 食べ物を見ても、全く食欲はわかなかった。けれど、せっかく持ってきてくれたのだ。


「ありがとうございます。あとで、いただきます」


 微笑んだつもりだったが、アルベルト様の眉は心配そうに下がったままだった。


「顔色も、あまりよくないね。熱はない?」


「ないと、思いますが……」


 彼が私の額へ視線を移し、そっと手を上げた。


「少し、触れてもいい?」


 うなずくと、額にかかった髪をよけられた。そのまま彼が身をかがめ、額と額が重なる。


 近い。


 息を止めた私をよそに、アルベルト様は真剣だった。


「熱は、なさそうかな」


 そっと離れてからも、心配そうな目をしている。


「休む前によいと聞いたお茶を、用意してもらったんだ」


「……ありがとうございます」


 差し出されたカップを両手で受け取る。やわらかな香りと温かさに、急に泣きそうになった。


「慣れない環境なのだから、疲れるのは当たり前だよ」


 彼は寝台の端に腰を下ろした。


「急いで慣れようとしなくていいから。ゆっくり休んで」


 この人は、優しい。私が本当の妻だったら、この優しさに包まれてただ幸せを感じていればよかったのに。


 それができないことが、無性に悲しい。


「……今夜は、隣で寝てもいいかな」


 私は顔を上げた。


「一人の方が休めるなら、僕は別の部屋で寝るよ。……でも、嫌でなければ、今夜はそばにいたい」


 夫なのだから、一緒に寝ると決めてしまっても、私は断れない立場だ。


 それなのに、この人は私の返事を待ってくれる。


「もちろんです」


 アルベルト様がほっと笑い、寝台の反対側へ回ろうとする。


 私は、その袖をつかんでいた。


「アデリア?」


「あの……ひとつ、お願いしてもよろしいですか」


「うん」


「くっついて、寝てもいいですか?」


 暗殺組織の女は幸せな生活なんて諦めるのが普通だ。でも、ひそかに恋愛小説を見てあこがれたこともあった。


 どうせ私の命は、あの宰相の気分ひとつだ。今は見逃されていても、突然処刑台に送られる可能性もある。明日もここにいられる保証さえない。


 それなら、最期まで聞き分けよくして、何になるのだろう。


 一度くらい、望んだっていいじゃないか。誰かにそばにいてほしいと、ひとりにしないでほしいと。


 この人の優しさにつけ込んでいる。そんなことは、わかっている。


 それでも今夜は、ひとりで眠りたくなかった。


 アルベルト様は私の言葉を聞いて目を丸くした。


「……もちろん」


 そう言って肩を抱いてくれる。答える声も、肩を抱く手も優しかった。横目で見たらどうしようもなくうれしそうな顔をしていて、こちらが戸惑ってしまう。


「ごめん。君が元気でないときに、喜ぶのもおかしいね」


「うれしい、のですか?」


「うん。頼ってもらえたから」


 胸の奥が、苦しくなった。


 彼が隣へ入り、布団を掛け直してくれる。私が体を寄せると、背中へそっと腕が回された。


「苦しくない?」


「はい」


 寝巻き越しの胸元に、頬を寄せる。


 柔らかな布の下の身体は、想像していたよりずっと逞しかった。背中に回された腕にも、力がある。それなのに、私に触れる手つきは、どこまでも優しい。


 これが演技だとは思えなかった。


 この人は、きっと何も知らない。


 では、あの宰相は何を考えているのだろう。


 暗殺者だと疑っている女を、主君と二人きりにして。こんなに近くにいることまで許している。


 ――その愛を、たっぷりと堪能していただきたい。


 結局、この意味のわからない言葉の通りの行動をしてしまった。


 あの男の罠にかかっているということなのかもしれないけれど、今はそんなことはどうでもいい。背中に添えられた手が温かかった。


 私はアルベルト様の寝巻きの袖を、ほんの少し握った。


 ああ、もう。好きになってしまったんだ、私。


 ***


 私室の窓辺に立ち、俺は杯の中の赤いワインをゆっくりと揺らした。


「今頃は仲良くやっている頃か」


 杯に口をつけ、誰にともなく呟く。


 夕食を取っていない妻が気になるのなら、様子を見に行けばいい。そうアルベルトに勧めたのは俺だ。


 ただし、仕事着のままでは、顔を見たらすぐに戻るつもりだと思われる。先に寝巻きに着替えてから訪ねてはどうか、とも。


 あいつは素直に頷いていた。


 今夜はもう仕事に呼び戻されないとわかれば、彼女も安心して話せるだろう、と。


 頭の中にチェス盤が浮かぶ。


 自陣の王。そのすぐ隣へ、敵が送り込んできた駒。


 本来なら、盤上から取り除くべきものだ。


 だが、今はまだ、その必要がない。


「ヴァルネアは、こちらの王を殺せない」


 講和の証として花嫁を迎えた直後に、アルベルトが死ぬ。


 そんなことになれば、誰もがヴァルネアの仕業だと考える。暗殺を立証できるかどうかなど、報復を求める者たちには大した問題ではない。


 アルベルトは、平時に見せる優しい顔だけの男ではない。自ら兵を率いて勝利を重ね、軍の信頼を集めている。


 ヴァルネアにしてみれば、何としても排除したい相手だろう。


 だが、殺せば、その王を慕う兵たちを敵に回す。


 今のヴァルネアに、その軍を迎え撃つ余力はない。


 あちらから届く報告は、どれも芳しくなかった。


 戦費で疲弊した国庫。責任を押しつけ合う貴族。王命に従わなくなりつつある地方。


 国の内側を立て直し、再び軍を動かせるようになるまでには、少なくとも二年は必要だろう。


 暗殺を企てるなら、まずはその準備を整えてから。


 それまでは花嫁に信用を得させ、王の習慣や警備を調べさせる。定期的に報告を受け、時機を待つ。


 おそらく、そんなところだ。


 もちろん、相手が常に理にかなった判断をするとは限らない。


 だから、念のため、講和の条件にも一文を加えておいた。


 王妃と行動を共にしている間に国王が死亡した場合、別に明確な犯人がいると認められる場合を除き、王妃による加害とみなす。その責任は、王妃を送り出したヴァルネア王国が負う。


 無茶な条件だと、向こうの使者は抗議した。


 事故も急病もあり得るではないか、と。


 ごもっともだ。


 だが、こちらが譲らなければ、最後には飲んだ。


 国境を越えて攻め込まれるよりは、ましだと考えたのだろう。


「あの娘には、どこまで知らせているのやら」


 軍備が整うまでは手を出すな。


 それまでは妻として信用を得ておけ。


 せいぜい、その程度かもしれない。


「もう、ほだされかけているんじゃないか」

 

 今朝、アルベルトの前でアデリアが見せた笑顔を思い出す。


 敵として送り込まれた娘が、妻として扱われる。


 アルベルトの性格を考えると、失敗を責めず、不安を気遣い、明日も隣にいてほしいと望むだろう。


 それを毎日続けられるのだ。


「あの人たらしを、二年も相手にするわけだ」


 本人には、誰かを籠絡しているつもりなどない。


 迎えた妻だから大切にする。泣いていれば心配する。喜んでいれば、自分もうれしくなる。


 だから、厄介なのだ。


 王の隣に送り込まれたあの娘は、チェスで言うならさしずめポーンか。


 送り込んだ側にとっては、使い捨てても構わない一兵卒。


 だが、こちらにとっても価値が低いとは限らない。


 この駒が、自らの意思でこちらにつけば。


 敵が思っている以上に、大きく形勢が変わる。


 もちろん、そう簡単に裏切るとは限らない。


 組織への忠誠があるのかもしれない。逆らえばどうなるか、骨の髄まで教え込まれているのかもしれない。


 だが、時間はある。


 黒百合に従って生き延びる道しか知らないのなら、それ以外の道を、毎日目の前に置いてやればいい。


 ここに残りたいと思う理由を、増やしてやればいい。


「そのまま、本当にアルベルトを愛してしまえばいい」


 残っていたワインを飲み干し、窓辺の小卓へ杯を置く。


「存分に、大切にされてくれ。暗殺者殿」


 決断のときが来たとき、あの娘は母国とアルベルトのどちらを選ぶのか。


 その答えが楽しみだ。

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