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政略結婚の旦那様の暗殺を命じられましたが、いい人すぎて私には殺せません  作者: てるてる坊主


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10/10

何があっても

 最悪だ。シドに見抜かれた。


 私は夫婦の寝室で、広い寝台の上に膝を抱えていた。隣はまだ空いている。アルベルト様は、お仕事が長引いているらしい。


 夜会の間、あの方を見るたびに顔が緩んでいた、と言われても否定できない。たぶん、そうだったんだろうと自分でも思う。


 今後は気をつけなければ。でも、気をつけるって、どうやって?


 この気持ちを、なかったことにするの?


 孤児だった私は、幼い頃に黒百合に拾われてからずっと、言われたとおりに生きてきた。礼儀作法を覚えろと言われれば覚えた。侍女として屋敷へ入れと言われれば入った。自分の人生を自分で決めることなんて、ほとんどなかった。


 食べさせてもらい、育ててもらったのだから、組織の役に立つ。与えられた仕事をこなして、生き延びる。周りの子供たちもみんなそうだったし、それ以外の生き方なんて、考えたこともなかった。


 それでも、ひそかに恋愛小説を読むたび、憧れた。好きな人に会うために服を選び、たった一言に喜んだり、眠れなくなったりする。私も一度くらい、そんな恋をしてみたかった。


 けれど、知らなかった。誰かを好きになると、ただ会えるだけでは足りなくなるなんて。


 笑ってほしい。疲れているなら、休んでほしい。困っているなら、頼ってほしい。あの方が私に向けてくださる優しさを、私も返せる人間になりたい。


 そこまで願ってしまってから、危ないから諦める?


 ……冗談じゃない。


 そもそも私、正体がバレたら死ぬような場所に、何度も送り込まれてきたじゃない。今回は、三か月の教育で王女になれと言われたのだ。おまけに、宰相のローデリクにはほとんどバレている。


 命令に従っていたって、明日も生きていられる保証なんかない。だったら、腹をくくるしかない。


 もし、黒百合にあの方を傷つけろと命じられても、従えない。そのときは、組織ではなく、あの方を選ぶ。


 もちろん、見抜かれないようにはする。人前では顔を引き締めるし、シドにも、次はうまくごまかしてみせる。


 でも、二人きりのときまで、この気持ちを押し殺すのはやめよう。初めて、自分で選んだ人なのだから。


 そこまで決めて、私は寝室の扉へ目を向けた。


 ……それにしても、遅いような。せっかく覚悟を決めたのに、肝心の旦那様が来ない。


 膝をほどき、寝台を下りる。鏡の前で髪を整えていたら、扉を叩く音がした。


「アデリア。まだ起きている?」


「はい。お待ちしていました。お話がしたくて」


 入ってきたアルベルト様が、扉を閉めたところで手を止めた。


「……そっか。うれしいな」


 その笑顔に、こちらまで顔が緩む。でも、二人きりならいい。さっきそう決めたばかりだ。


「お茶を召し上がりませんか?」


「うん。いただこうかな」


 彼がソファへ腰を下ろす間に、お茶を注ぐ。


「ありがとう。いい香りだね」


「お仕事は、もうよろしいのですか?」


「今夜の分はね。明日の分まで片づけようとすると、朝になってしまうから」


 そんなにお忙しいのは、なぜなのだろう。夜会でのヴァルデン公爵とのやり取りも、関係しているのだろうか。


 尋ねかけて、ためらった。ようやく仕事を終えたところで、立ち入ったことを聞いてもいいものか。


 私が言葉を探していると、アルベルト様が焼き菓子の皿を差し出した。


「君も、食べて。甘いものは好き?」


 侍女が一緒に用意してくれた焼き菓子を勧められ、うなずく。


「どんなものが好きなの?」


 アデリア王女の好みを、頭の中で探す。確か、薔薇の香りをつけた、王都で人気の――。


 だめだ。名前が出てこない。


「はちみつをつけた焼きたてのパン、です……」


 何を普通に答えているのよ、私。


「ずいぶん簡素なものが好きなんだね。僕も、軍で野営をしていたときに食べたよ」


「アルベルト様も、召し上がるのですか?」


「うん。疲れているときは、あの甘さがうれしかったな」


「はい。温かいうちにつけると、じんわり染みて……」


「そうそう。つい、もう一つ食べたくなるんだ」


 実感のこもったお返事に、笑ってしまった。


「今度、用意してもらおう。一緒に食べたいな」


「……はい。ぜひ」


 王女ではなく、私が好きなものだった。それを覚えてくれて、また一緒に食べようと言ってくださる。


「ほかにも教えて。君のことを、もっと知りたいんだ」


 頬が熱くなった。知ろうとしてくださっているのは、妻になったアデリア王女のこと。それは分かっている。


 それでも、うれしかった。


「では、私からも伺ってよろしいですか?」


「もちろん。何が聞きたい?」


 彼はすぐにうなずいた。


 好きな食べ物。休みの日の過ごし方。尋ねたいことは、いろいろあった。


 けれど、その少し疲れたお顔を見ていると、夜会でのことが頭に浮かんだ。ヴァルデン公爵を前に、いつもの笑みが消えた横顔。


 私も、この方の支えになれたら。何に心を煩わせているのか、少しでも知ることができたら。


「……夜会でのことが、気になっていたんです。ヴァルデン公爵とは、以前からお考えが合わないのですか?」


 アルベルト様の指が、カップの取っ手に触れたまま止まった。彼は少し目を伏せ、それから、私を安心させるように微笑んだ。


「多少、意見の違うことはあるよ。でも、君が気に病むことはないんだ」


「私をかばってくださったせいで、ご面倒を増やしてしまったのではありませんか?」


「それは違う。君のせいじゃない」


「では、何が……」


 尋ねかけると、彼は困ったように眉を下げた。


「君に心配をかけたくないんだ」


 気遣ってくださるのは、うれしい。でも、私が見たいのは、私を安心させるための笑顔じゃない。


 あなたが心から笑ってくださることが、私の幸せなのだ。そのためにできること、私にだって少しはあるはず。


「……私には、話せませんか?」


「そういうわけではなくて」


 言葉が途切れる。その先を待っても、彼はすぐには続けられなかった。


 私のことは知りたいと言ってくださる。でも、ご自分のことは教えてくださらない。


「やっぱり、私は信用されていませんか?」


 思ったよりも細い声が出た。アルベルト様が、顔を上げる。


「アデリア?」


「敵だった国から来たのですから、仕方がないとは思います。でも、私……」


 何を言っているのよ、私。


 もともと信用されるような人間ではない。私も偽物だが、本物のアデリア王女、そしてヴァルネア国王もアルディス王国の領土を狙っている。まさに悪役だ。


 分かっているのに、喉が詰まった。


「すみません。こんなことを申し上げるつもりでは……」


 笑って取り繕おうとしたら、かえって目の奥が熱くなった。慌てて顔を伏せる。


 正体がバレたら死ぬかもしれない。それでも、この恋は諦めないと決めたのに。


 この方に信用されていないかもしれない。たったそれだけで、どうしてこんなに苦しくなるのだろう。


 カップを置く音がして、温かな手が私の手をそっと包んだ。顔を上げると、アルベルト様がこちらを見つめていた。


「君を疑って、話さなかったわけじゃない」


「……では、どうして」


「本当に、心配をかけたくなかっただけなんだ。でも、黙っていたら、かえって不安にさせてしまったね」


 首を振る。うまく返事ができず、もう一度、首を振った。


 この方は、本当に私のことを考えてくださっていただけなのだろう。


「……私も、あなたのことを知りたいんです」


 ようやく、それだけ言えた。


「楽しいことだけでなくても……。あなたが何を気にかけているのか、私にも教えていただけたらと」


 アルベルト様は、少し驚いたように私を見つめた。


「ありがとう」


 彼はうれしそうに目を細めた。包まれた手に、そっと力がこもる。


「心を通わせようとしてくれる妻が来てくれて、僕は本当に幸せ者だよ」


 偽物の妻なのに。あなたと心を通わせたいと願ってしまって、ごめんなさい。


 本当のことは、言えない。それでも、あなたの力になりたい気持ちだけは、本物だから。


 何があっても、私があなたを守ります。この命にかえても。

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