一難去ってまた一難
食事を終えるころには、セラフィーナもぽつぽつと話すようになっていた。
嫁ぎ先から届いた肖像画のこと。語学の教師が厳しいこと。持っていきたい本が多すぎると、侍女に困った顔をされたこと。
泣いて、嫌だと言いながらも、覚えるべき言葉を覚え、持っていくものを選んでいる。
ただわがままを言っているだけのお姫様だと思っていたけれど、それは少し違ったらしい。
彼女の話に相槌を打ちながら、暗殺組織・黒百合で潜入の訓練を担当していた先生の言葉を思い出した。
腹を割って話すと、意外といい方向に転がることがある。だから、窮地に陥ったときの最終手段として覚えておくように、と。
まさか、嫁いだ翌朝に使うことになるとは思わなかったけれど。
奥の手を切るには早すぎた気もするが、終わりよければすべてよし、ということにしておこう。
食事が終わった後は二人で席を立ち、食堂の扉へ向かう。
「嫁ぐのは、まだ先なんでしょ?」
「ええ。出立は半年後の予定です」
「それまで、私でよかったら愚痴でも聞くしさ。嫌なこと、全部ためておかなくてもいいんじゃない」
隣の足音が止まった。
振り返ると、セラフィーナがまた顔をゆがめている。
「お姉さま~……!」
「ちょっと。今、拭いたばっかりでしょ」
勢いよく腕に抱きつかれ、私はよろめいた。
その勢いで扉を開けたものだから、廊下に立っていたアルベルト様と不意に目が合った。
「……アデリア」
彼は私を見て、それから私の腕にすがるセラフィーナを見た。
セラフィーナの赤い目に気づき、わずかに表情をこわばらせる。
「君を信じて待とうと思ったけれど……やっぱり心配で」
私は背筋を伸ばした。
肘掛けにだらしなくもたれて会話していたなんて、気づかれてはいけない。
「ご心配ございませんよ。このとおり、仲良くなりました」
「お姉さまと、お話ししていたのです」
セラフィーナが私の腕を抱く力を強める。
それを見て、アルベルト様の顔から、ようやく緊張がほどけた。
「セラフィーナがあれだけのことを言ったのに、向き合ってくれてありがとう。君はとても寛大な人だね」
寛大。
褒められて悪い気はしない。アルベルト様から向けられた言葉をかみしめていた私の耳に、聞きなれない声が入ってきた。
「そう、わたくしたちすごく仲良くなったんですのよ」
セラフィーナが一層体を寄せてくる。
「……僕の妻なんだけどな」
思わず顔を上げると、アルベルト様が少しすねたようにこちらを見ていた。
その表情は、なんですか。
そんな顔をされたら、政略結婚だということを忘れてしまいそうになる。
「陛下」
見知らぬ声が聞こえ、私は廊下の先へと目を向けた。
艶のある黒髪を首の後ろで束ね、細い銀縁の眼鏡をかけた男が静かにこちらに歩いてきていた。整った顔立ちだが、切れ長の目が鋭く、微笑んでいない口元と相まって、近寄りがたい
濃紺の上着には皺ひとつなく、脇には書類挟みを抱えていた。
「どうしても様子を見たいというわがままを聞いて、仕事を抜け出してここに来たのです。もう仕事に戻っていただけますね?」
「ああ、すまない。急いで戻る」
アルベルト様は素直に頷き、私へ向き直った。
「今日は忙しくて、こんなふうに顔を出すくらいしかできなくて、ごめん。夜にゆっくり話そう」
「はい。お仕事、頑張ってくださいませ」
彼は名残惜しそうに微笑むと、廊下の先に控えていた従者を伴い、足早に去っていった。
黒髪の男だけが、その場に残る。
「忙しくしたんですよ。俺が、ね」
低い呟きが聞こえた。
見ると、男の口の片端が持ち上がっていた。笑っているのに、目は少しも笑っていない。
……今、何か不穏なことを言わなかった?
「この短い時間で、セラフィーナの懐柔に成功したのですか」
眼鏡の奥の目が、私を捉える。
「昨日は震えていて、ただの小娘かと思いましたが。なかなかやりますね」
いきなりなんなの、この男は。
私が返事をするより早く、セラフィーナが一歩前へ出た。
「懐柔だなんて、失礼なことを言わないで。お姉さまは、わたくしのお話を聞いてくださったのよ」
「それは何よりです。あなたも人の話を聞けたのなら、なおよいのですが」
「話を聞くことくらいできるわよ!」
「おや。それは失礼」
まるで失礼だと思っていないような声だった。この二人は相当に仲が悪いらしい。
セラフィーナの眉が、きりきりとつり上がる。
男はそんな彼女からあっさり視線を外すと、私に向かって、形ばかりは申し分のない礼をした。
「さて、アデリア様。ご挨拶が遅れました。私は陛下の従弟であり、この国の宰相を務めております、ローデリクと申します」
この男が例の宰相ね。『ずいぶん支えてもらっている』と初夜にアルベルト様が話していた、あの……。
「ぜひ、この私にこの城をご案内する栄誉をいただけないでしょうか」
さっきは小娘呼ばわりしたくせに?
態度からすると、敬う気持ちなどかけらもなさそうだが、言葉遣いだけは仰々しい。
「案内なら、わたくしがしますけど」
セラフィーナが、すかさず言った。
ローデリクは笑みを保ったまま、彼女を見下ろした。
「アデリア様とお話がしたいので、邪魔者はどいてくれますか?」
「邪魔者って何よ!」
「宰相命令ですよ」
セラフィーナが口を開きかけ、止まる。
私の腕に添えられた手が、ぎゅっと強くなった。
どうやら彼女にも、この男の言葉を突っぱねられない事情はあるらしい。
「……分かったわよ!」
勢いよく言い返してから、セラフィーナは私へ身を寄せた。
「お姉さま、あいつは超性格悪いので、気をつけてくださいね!」
小声のつもりなのだろうけれど、十分に聞こえる。
「忠告が済んだのなら、お引き取りを」
「はいはい、もう行きますよ!」
去り際にもう一度、心配そうな目を私に向けてから、セラフィーナは廊下を歩いていった。
その背中が角を曲がるまで見送り、私は隣の男へ目を戻す。
ローデリクは、当然のように私が歩き出すのを待っていた。
「では、参りましょうか。アデリア様」
丁寧な呼びかけなのに、背筋がぞわりとする。
せっかく、セラフィーナと普通に話せるようになったと思ったのに。
朝から二連続で厄介ごとは、勘弁してちょうだい……。




