彼女の事情
温かな料理が次々とテーブルに並べられていく。
焼きたてのパンに、湯気の立つスープ。香草を添えた白身魚と、薄く切られた肉の煮込み。
本来なら食事の進み具合に合わせて運ばれてくる料理を、今日は最初にすべて出してもらうよう頼んでいた。途中で給仕が入ってきては、二人きりで話すことができないからだ。
最後に果物と菓子まで運ばれてきたところで、私は控えていた侍女に声をかけた。
「ありがとう。あとは二人でいただきたいの。終わったら呼ぶから」
侍女は一瞬だけセラフィーナへ目を向けたが、すぐに頭を下げた。
扉が閉じる。
向かいに立つセラフィーナの肩が、びくりと揺れた。
さっきから、私と目を合わせようとしない。何か言いかけては口を閉じ、落ち着かなげに視線をさまよわせている。
嫁いできたばかりの、実質的には敗戦国から差し出された王女。その私が、これほど強気に出るとは思っていなかったのだろう。
けれど、国の力関係はどうあれ、私は隣国の王女であり、アルベルト様の妻となった身だ。身分を考えれば、セラフィーナの言動は不敬にあたる。アルベルト様の前では許すと言ったけれど、二人きりになってまで穏やかに済ませてもらえるか、不安になっているらしい。
さて。
私は椅子を引くと、どかっと腰を下ろした。
セラフィーナが目を見開く。
「で、あんたも座ったら?」
「……え?」
「お、は、な、し! するために来たんだから、立ったままじゃ話せないでしょ」
私と椅子を交互に見てから、セラフィーナがおずおずと腰を下ろした。その背筋は、さっきよりもぴんと伸びている。
私は肘掛けに片肘を預け、わざと気の抜けた声を出した。
「アルベルト様の前では許すみたいなこと言ったけどさー。あんた、私にあれだけ失礼なこと言ったわけじゃんか」
「そ、それは……」
「だから、私がちょっと失礼なこと言っても、おあいこよね?」
セラフィーナは何か言いたげに顔を上げたものの、私と目が合うと、気まずそうに黙り込んだ。
「別に、あんたもそのままでいーよ。今さら取り繕われても疲れるし。アルベルト様に告げ口したところで、どっちを信用してくださるかは、ねえ?」
にっこり笑うと、彼女は悔しそうに目を伏せた。
よし。ひとまず、こっちの調子に持ち込めた。
これは、貴族の礼儀がまだ十分に身に付いていないことを隠すための作戦だ。『あえて崩してるだけよ』作戦とでも名付けようか。
とはいえ、まるきり見当違いの演技ではない。相手を明確に格下だと見なした貴族が、人前でかぶっていた上品な仮面を外すところなら、何度も見たことがある。
私は貴族として振る舞った経験こそないけれど、貴族が振る舞うところを、侍女として壁際に立って眺めてきた経験なら豊富なのだ。
礼儀を知らないのではない。知っていて、お前には使ってやらない。
そう見せられれば、多少のぼろはごまかせる。たぶん。
「先に食べよ。冷めるともったいないし」
スープを口に運ぶと、セラフィーナもためらいがちに匙を取った。
けれど、ひと口飲んだだけで、その手は止まってしまう。
私はパンをちぎりながら、何でもないことのように切り出した。
「あんたの言いたいことは、分かるのよ」
セラフィーナが顔を上げた。
「誰も聞いてないから、本音で言うけど。ヴァルネア王国は卑劣。それは、まあ、そうなんじゃない?」
あっけにとられた顔をしているセラフィーナを横目に私は淡々と続けた。
「でもさ、考えてもみて。女って、道具なのよ」
自分で口にして、思ったより苦い言葉だと思った。
「国がさ、『アルディス王国との国境地帯に住む同胞が迫害されている。彼らを救うための侵攻だから、これは正義の戦争だ』って言ったとするじゃない。王女が一人で『いいえ、ただ領土が欲しいだけでしょう』なんて言って、止められると思う?」
セラフィーナは持っていたスプーンを宙に浮かせたままポカンとしている。
「こっちに来てからだって同じ。仮に私が『ヴァルネア王国は卑劣な国なので、お詫びいたします』って言ったとすれば、うちの国王は『アルディス王国に洗脳された』って言い張ってまた戦争になるだけ」
「そんな……」
セラフィーナは戸惑うように私を見つめた。
「それにね。私のお母様だって、元は他国の出身なの。父にはほかに側妃もいる。私がここでヴァルネア王国の行いを糾弾したならば、お母様がどういう立場になるか……分かるでしょ」
私は、本物のアデリアの身の上を借りて話していた。
アデリアだけではない。役に立たなくなった女が、どれだけ簡単に居場所を失うかはよく知っている。
かちゃり、と小さな音がした。
セラフィーナがスプーンを落とした音だ。
その手が震えていた。
「……ごめんなさい」
先ほどまでとは違う、ひどく頼りない声だった。
「本当は、わたくしも、同じなの。自由に話すことなんてできない」
ぽたり、と白いテーブルクロスに染みができる。
「西の国境が接しているエルゼリア王国の貴族との結婚が決まっていて……。その家と結びつけば、街道の安全も、戦のあとの物資の輸送も、よくなるのですって」
私はちぎりかけたパンを置いた。これは真剣に聞かなければいけない話だろう。
「でも、エルゼリア王国の言葉は、まだ少ししか話せないの。知らない土地へ行くのが怖いと、お母様に申し上げたら、人前では口にしてはいけないって。万が一にもお相手の家の耳に入ったら一大事だからって……」
セラフィーナは、膝の上へ視線を落とした。
「国同士が手を取り合うと決めたのだから、わたくしも喜んで嫁がなければならないの。いろんな人に、ありがとうと言われて……。もう、嫌だなんて言えないでしょう?」
次の涙が落ちる。
「だから、喜んでお受けしますと、お返事したの。みんな、わたくしが喜んでいると思っているわ」
最初の印象は最悪な子だったけど。
知らない土地へ嫁ぐ不安さえ、国の方針にそぐわなければ口にできない。
そこまで聞いてしまうと、ただわがままな娘だと片づけるわけにはいかなかった。
「……お兄様にあこがれていたの。本当は結婚したかったの」
セラフィーナは、消えそうな声で続けた。
「でも、お兄様は結婚の祝福しかしてくれなかった。よい相手だと言って」
なるほど。
いとこ同士なら結婚も不可能ではないとはいえ、政略結婚で外部とのつながりを作るのが普通だ。アルベルト様はたぶん、この子のことははなから眼中にない。
「それは、仕方がないんじゃない? アルベルト様って、政略結婚を否定してないし、むしろ積極的にしてる側でしょ」
セラフィーナが濡れた目をこちらへ向ける。
「貴族、特に王族の結婚なんて、政略があって当たり前で。それが責務だから、決まった相手を一生懸命愛そうって考える人。だから、釣り合う相手なら反対なんてしなさそう」
「……そうなんです」
彼女は手元の布を握り締めた。
「お兄様は、立派なお方で……。ご自分もそうなさるのだから、わたくしにだけ責務を押しつけているわけではないんです」
「うん」
「家族も、わたくしに釣り合う年齢の、見目のよい男性を探してきてくれました。乱暴な方ではないと、何度も確かめてくださって……。だから、これが一番いい道だと、分かってはいるんです」
セラフィーナが顔を覆ってテーブルに突っ伏した。
「分かっているのに、嫌なの……!」
思った以上の声量に、私は椅子の上でビクリとした。
「ごめんなさぁい……! 自分が、つらいからって、アデリア様に、あんな、ひどいこと……!」
「あー、分かった。分かったから」
「アデリア様は、もう、知らない国にいらしてるのにぃ……!」
涙を拭こうとして、セラフィーナが袖を持ち上げる。
私は反射的に、卓上の清潔な布を取った。
「ああ、袖で拭かないで。ほら、こっちを使って」
彼女の手に布を握らせ、そのまま水差しを取る。
「水も、いったん飲んで。少し落ち着くから」
杯に水を注ぎ、セラフィーナの前に置いた。
水差しを戻したところで、彼女がじっと私を見つめていることに気づく。
……しまった。王女が給仕してどうする。
「ヴァルネアではね、こういうときは、その……」
「お姉さまって、お優しいのね」
助かった。
今のは優しさではなく、昔の仕事の癖だけれど。
それに、いつの間にかお姉さまと呼ばれている。
「……いいから、飲みなさいよ」
セラフィーナは両手で杯を持ち、少しずつ水を飲んだ。まだしゃくり上げてはいたが、どうにか呼吸は落ち着いてきたようだった。
私は彼女が杯を置くのを待ってから、口を開いた。
「私の人生、結構いろいろあったのよ。だからあれくらいのことは平気」
「……でもっ!」
「謝ってくれたでしょう? それでおしまいにして、できればこれからは仲良くしてほしいわ」
「……ありがとうございます。こんな優しいお姉さまが来てくれてよかった」
まさかの和解である。
もっと面倒な駆け引きが必要になると思っていた。少なくとも、泣いている彼女に水を注ぐ展開は、まったく予定になかった。
思いつきで始まった『あえて崩してるだけよ』作戦がこんなに成功するとは。無事に乗り切れて、本当によかった。




