朝食をご一緒に
「なんてお可哀想なの、お兄様」
眠りの底まで届いた大きな声に、私は眉を寄せた。
お可哀想?
誰が? 何で?
「彼女は疲れているんだ。もう少し休ませてあげたいから、静かにしてくれるかな」
聞き覚えのある声に、目を開けた。
見慣れない天蓋。柔らかな枕。窓から差し込む朝の光。
隣の寝床は、もう空だった。
……そうだ。結婚したのだった。
夫を殺すために嫁いできて、その隣で朝まで熟睡したのだ。
任務への緊張感は、どこへ置いてきたのだろう。
「でもわたくしはどうしても納得がいきません! 勝手に攻め込んできたくせに、負けそうになった途端、王女を差し出して講和を求めるなんて……。そんな卑劣な国の王女を、お兄様が生涯の伴侶として迎えなければならないだなんて、あんまりです」
「その件は、重臣たちとも十分に話し合ったんだ。君の父上も賛同してくださったよ」
アルベルト様は、なだめるように言った。
「それに、僕自身が納得して迎えた妻だ。可哀想だなんてことはないよ」
どこの誰かはわからないが、彼女はこの結婚にたいそうご不満なようだ。『お兄様』と呼んでいたけど、この国に王女はいないはず。
まあ、ヴァルネア王国が卑劣な国という点には全く異論がない。
彼女が言っていたことは完全に事実だし、そのうえ送り込んだ王女は身代わりで、夫を殺せと命じられている。
彼女も、そこまでは卑劣だとは知らないはずだ。
知っている私としては、何一つ言い返せない。
でも、ごめんなさい。こちらも命がかかっているもので。
私は身を起こした。
昨夜のアルベルト様は、約束どおり何もしなかった。寝台の端へ寄りすぎた私を見て、「落ちてしまうよ」と心配し、自分のほうが端へ移動してくれた。
そこまでは覚えているけれど、その先は記憶にない。平民の固い寝台が日常だったのに、急にふわふわの羽毛布団の上に寝たから、あまりの気持ちよさに熟睡してしまった。
私は慌てて上着を羽織り、鏡の前で髪を整える。
夜の化粧は肌への負担を考えて最小限にする、とヴァルネアでは教わった。こちらでも同じだと、昨夜、侍女に確認してある。
少し地味だけれど、おかしくはないはずだ。
扉へ近づくと、女性の声がさらにはっきり聞こえた。
「お兄様は国のために自分を犠牲にしすぎです!平気なはずはないと、お兄様のお気持ちを思うと、昨夜はなかなか眠れませんでしたの」
「君が心配するようなことはないよ」
穏やかな返事だったけれど、その声にはかすかな苛立ちがにじんでいた。これまでも、同じやり取りを何度となく繰り返してきたのだろうか。心配は要らないと伝える口ぶりにも、どこか疲れが感じられる。
「私の前でまで、お気持ちを隠さなくてもよろしいのに」
……これ、どうしたらいいの?
迷った末に、私は扉を開けた。
「おはようございます」
廊下にいた二人が、同時に振り向く。
アルベルト様の前に立っていたのは、朝から見事に着飾った令嬢だった。栗色の巻き毛に、薔薇色の頬。淡い青のドレスは、細い腰によく似合っている。
彼女は私を見ると、ぱちりと瞬きをした。
「まあ……なんて地味なお顔」
思わず漏れた、といった声だった。
「昨日は、あれほど華やかでいらしたのに。作り物でしたのね。それでは、お兄様のお隣には……」
「セラフィーナ」
アルベルト様の声が低くなる。
予想通りの反応だ。
昨日のように華やかに化粧をした顔を期待していれば、今朝の私は、さぞ物足りなく見えるだろう。
化粧をすれば、美人と名高いアデリア王女のふりができる。目鼻立ちが特段悪いわけではない。ただ、眉もまつ毛も髪の色と同じ淡い金色で、素顔ではどうにも目元の印象がぼんやりしてしまうのだ。
令嬢の顔を見返す。そこには、期待外れのものを見た落胆よりも、どこか満足そうな表情が浮かんでいた。
「失礼いたしました。昨日のお姿と、ずいぶん印象が違いましたので」
私が地味顔で、ご令嬢はずいぶんうれしそうだ。
その隣で、アルベルト様は明らかにうろたえていた。
「アデリア。今の話は、どこから……?」
「少し前からです」
「いや、その、違うんだ」
何が違うのか尋ねる前に、彼は続けた。
「僕は、君をきれいだと思っているよ。昨日も、今も。それは、本当に」
「ありがとうございます」
「ただ、仮にそうでなかったとしても、気にしないというか……いや、今の君がそうだという意味ではなくて」
ご自分の言葉に困ったように、眉が下がる。
昨日、あれほど堂々と結婚の誓いを口にした人が、今は言葉を選び損ねて、ますます焦っている。
「君にとっては、ついこの間まで敵だった国だろう。たった一人で来て、心細かったはずなのに。昨夜は、僕に歩み寄ろうとしてくれた。結婚できて幸せだとまで言ってくれて……それが、うれしかったんだ」
声が、少しだけ小さくなる。
「だから、僕まで君を歓迎していないとは、どうか思わないでくれ」
……どうしよう。
さっきまで、面倒ごとにどう対処しようか考えていただけだった。
なのに今は、頬が熱い。
この人は、私が傷ついたかもしれないと思って、こんなに慌てているのだ。
その姿が、申し訳ないけれど、かわいい。
「大丈夫ですよ、陛下。ちゃんと伝わっております」
「本当に?」
「はい」
彼はようやく、ほっとした顔になった。
その横で、セラフィーナ様の笑顔が固まっている。
「セラフィーナ。先ほどの言葉は謝ってほしい」
アルベルト様は彼女へ向き直った。
「それから、廊下で僕を待つのも、今後は控えてくれるかな。ここは、僕たちの私室の前だ」
「私はただ、お兄様を案じて……」
「ありがとう。でも、妻を侮辱されるのは困る」
静かだけれど、譲る気のない声だった。
観念したのか、セラフィーナ様は唇を引き結び、それから私へ頭を下げた。
「申し訳ございませんでした、王妃様」
「慣れていますから、気にしておりませんわ」
そう答えると、彼女は顔を上げた。あれだけはっきり注意されたというのに目はまだこちらをにらみつけている。
「改めまして。セラフィーナ・ヴェルネと申します。ヴェルネ公爵の娘で、陛下のいとこですわ。幼い頃から、兄妹のように育ちましたの」
にらみつけながらも形式だけは完璧なお辞儀ができるのは、さすが公爵令嬢だ。
「陛下のお妃にはわたくしを、との声も多かったのですけれど」
「君との婚約を約束したことはないよ。誤解を招く言い方はやめてほしい」
アルベルト様が、すぐに言い添える。
「……そうですが」
彼女はまた、私を見た。
その目に浮かんだ恨めしさには、さすがに少し呆れる。
「陛下がなんと言われようとも、アルディスの国民はあなたを、ヴァルネアの王族を憎んでおります。それはおわかりになりますでしょう?」
再び彼女をたしなめようとしたアルベルト様を、私はそっと片手を上げて制した。 心配そうにこちらを見る彼に、小さくうなずいてみせる。
もちろん、分かっている。
勝手に戦争を仕掛けてきた国の王女を、昨日から王妃になったのだからと、すんなり受け入れられるわけがない。
講和の条件として婚姻を受け入れた以上、その件を面と向かって蒸し返さないのが貴族の礼儀だと教わった。けれど、礼儀どおりに振る舞えることと、気持ちが納得することは別だ。
私だって、逆の立場なら面白くないだろう。
だからといって、こちらはそのとおりですねとは言えない立場だ。
ヴァルネアにも、開戦を正当化するための言い分はあった。どれほどバカバカしい言い訳でも、王女としてこの国に来た以上、その言い訳を守らなければならない。
傷ついた顔でもすれば、満足してもらえるのだろうか。それとも、怒って言い返すところを見たいのか。
どちらにしても、ご期待に添える気はしない。
「お気持ちは、お察しいたします。ただ、大変申し訳ないのですが、その件について、私の口から何か申し上げることはできませんの」
私は、にっこりと微笑んだ。
どうせ、周り中が敵だらけなのは、ここへ来たときから同じなのだ。
だったら少し、意表を突くことでもしてみましょうか。
「でも、あなたがお気持ちをお話になることを止めるつもりはございませんわ。よろしければ朝食をご一緒にいかがですか?」
セラフィーナ様が、目を瞬かせた。
そう。その顔が見たかった。
別に、立派な策があるわけではない。ただ、相手の予想どおりに動いてあげる必要もないのだ。
「この国のことを、いろいろ教えていただきたいです」
完全に思いつきだった。けれど、若くて思ったことがすぐに顔と言葉に出るこのご令嬢は、情報収集の相手としては案外適任かもしれない。
「ええ、でも……」
私はアルベルト様へ向き直った。
「陛下はお仕事へ向かわれるところだったのでしょう? どうぞ、お気になさらず」
「……君は、それでいいの?」
心配そうな目だった。
「はい。私がお誘いしたいのです」
しっかりと目を合わせて答えると、彼は少し迷ってからうなずいた。
「分かった。では、あとで様子を聞かせてくれ」
それから、セラフィーナ様へ向き直る。
「妻の厚意に甘えて、これ以上失礼を重ねないように。今朝のことは、君の父上にも話しておく」
そう言った後、アルベルト様は私に優しく微笑み、その場を去っていった。
その背中が廊下の角へ消えると、セラフィーナが憎しみを込めた目でにらみつけてきた。
「……あなた、正気?」
「もちろんです。セラフィーナ様こそ、いまさら逃げたりしませんよねぇ?」
私は、少し意地悪く答えた。
アルベルト様がいなくなった後に取り消すと思われていたのかもしれない。
残念。
あなたに何を言われても、私は朝食をおいしくいただくつもりですので。




