奇跡のような、現実
「あ……!」
思わず、挨拶より先に声が漏れた。
ブレンダの妹は私を見て立ち上がると、「ごきげんよう、お姉様のご学友ですか?」と大人っぽいセリフを舌ったらずに向けてくる。
「彼女は『アイシャ』。まだ9歳の私の妹よ。見ての通り、顔の目立つ場所に痣があるせいで外に出られないの。」
ブレンダは眉をひそめながら説明した。
――こんな小さな子が外にも出れないなんて……そう思うと、やるせなくなる。
私は屈みながら「私、アキコって言います。……アイシャちゃん、この痣、痛む?」と尋ねてみた。
するとアイシャちゃんは目を伏せ「たまに、すっごい熱くなるんです。これ、嫌いですわ。」と口にする。
以前、私の手首にある小さな痣でさえあれだけ痛んだのだ。ここまで大きかったら相当辛いだろう。
「……私、ちょっと治してみます。」
振り返り、ブレンダにそう告げてから痣に触れる。
正直、私の申し出はかなりリスキーなものだった。
というのも、痣を吸収できたのはユーリ会長を治した1回だけ。
再現性も謎なら効果も未知だ。……でも、今はとにかくやるしかない。
アイシャちゃんの痣に触れながら、「治れ」と念じる。しかし、上手くいかなかった。
(焦るな、思い出して……あの時、なんて思った?……そうだ。治してあげたい、って思ったんだ。)
もしかしたら、痣を吸い取る条件は……「祈り?」そう気付いて、「アイシャちゃんの痣を治したい」と念じてみる。
すると、アイシャちゃんの痣はどんどん小さくなっていった。
(やった!)
「――っ!ブレンダお姉様!ほら、できました!」
勢いよく振り返った時、ブレンダの顔が苦しそうに歪む。
「あなた……」
ブレンダは手で口を覆いながら、震えていた。
そして突然こちらに手を伸ばし、私の髪を耳にかける。
「……ここに、黒い痣なんかなかったはずよ。説明して。」
震えた声でそう要求してから、ブレンダは私の目の横を撫でた。
……そうか。会長の時も同じ場所に痣が移っていたし、今ブレンダが撫でている場所に痣があるのか。
(顔……に……)
予測できたこと、覚悟の上だ。
私は冷静に「私の能力は、闇の魔力の浄化じゃなくて吸収なんです!」と笑顔で説明してみせた。
ブレンダの手の震えは大きくなり、彼女は強く唇を噛み締める。
「約束通り、ブレンダお姉様の痣も――」
そう言ってブレンダに手を伸ばした瞬間、思い切り右手を弾かれた。
何が起こったのか理解できなくて、私は笑顔のまま固まってしまう。
「……お、お姉様……?」
異様な雰囲気を察して、不安そうに声を上げるアイシャちゃん。
ブレンダは掠れた声で「……な……」と、何かを呟いている。
「な……なん、ですか?」
やっと出てきた声で尋ねると、ブレンダが「馬鹿にするなっ!」と叫んだ。
「…………え……」
「あなた……!どうして先に闇の魔力を吸収するって言わなかったの!?手に痣がある私でさえ、婚約者を見つけるのが難しいのよ。顔に痣なんかできたら、殿方に相手されないことくらい予想できたでしょう!」
その言葉を聞いて、胃のあたりがちくりと痛む。……予測できたこと、ユーリ会長も以前似たようなことを話していた。
なのに改めて言われると、少しその事実が重く感じてしまう。
(私……こんな時に……『ユーリ会長は顔に痣がある女の人をどう思うんだろう』なんて考えてるの、変だよ。覚悟があったからここに来たのに。)
「ねえ分かってるの!?あなたの人生は今、崩壊しかけてる!そこまでして治して欲しいだなんて……頼んで……ないわ……!」
ブレンダは、ダムが決壊したみたいにボロボロと涙を流した。
――ああ、やっぱりこの人……根っからの悪人なんかじゃ、ないんだ。
「で、でも、約束ですし……!この痣、たまに痛むでしょ?だからブレンダお姉様も治します!」
そう申し出ると、ブレンダはその場に蹲り「痛いのは……!あなただって、同じじゃない……!」と言って、声を上げ泣き出してしまう。
私は困惑した様子のアイシャちゃんの手を握り、ブレンダが泣き止むのを――しばらく待っていた。
……
10分ほど経過した頃、ブレンダはやっと落ち着いて「失礼、取り乱したわ。」と口にする。
立ち上がると、「私の痣は治さなくて結構。……その代わり、説明して。どうしてあなたとエレノアはミュラー先生の後をつけていたの?」と尋ねてくるブレンダ。
――誤魔化しても、無駄だ。そう思った私は「リリー様を助けたかったんです。」と真っ直ぐブレンダを見て言い放つ。
「……そう。そっか、あなたはリリーへの質問リストを持っている。だからその場を紙に転写することで、『ミュラー先生がリリーをはめようとしてる』って証拠にする気だったってことね。合ってるかしら。」
険しい顔で問われ、私は警戒しつつ「仰る通りです」と答える。
「……なら一応忠告しておくけど、それだけじゃちょっと弱いわ。ミュラー先生が個人的にリリーを気に入っていて生徒に情報集めをさせた、とか言われたら一応言い逃れできる。……信用は下がるでしょうけどね。」
ブレンダは意外にも、失敗の可能性を提示してくれた。確かにそうだ、ミュラーに目論見があるかどうかなんて、チグリジアの幹部からの証言でもない限り確かめようがない。
「それより、ミュラー先生が暴かれて困るのは……化粧品のほうじゃないかしら。」
「化粧品……あの、問題になっている?」
「……そうよ。アイシャ、これお姉ちゃんに頂戴な。」
ブレンダが小さなお菓子の箱を手に取ると、アイシャちゃんは「ど、どうぞ。」と許可を出す。
それから、ブレンダは「今問題になっている化粧品は、ミュラー先生が作った物よ。」と箱に向かい声を発してから、私に差し出してきた。
「え……これ……」
「声を閉じ込めたの。叩くとまた聞ける。」
どうしてブレンダがこれを渡してきたのか理解できず、受け取ろうとした手が一瞬止まる。
「何よ、罠なんかじゃないわ。ミュラー先生があの化粧品を作ったことなんか、チグリジアのメンバーなら皆知ってる。……それを、渡しただけ。」
ブレンダはそう言って私に箱を握らせた。
「あなたも知っている通り、ミュラー先生は痣が隠せる化粧品で女の子を釣って、副作用を訴えた子をチグリジアに入れ、特効薬と称してそれを回復する薬を渡す……そんな循環でメンバーを集めているの。」
「……最低……」
「でも、そこまでは証拠がない。今あなたの手元にあるのは『ミュラー先生が化粧品を作った証拠』だけ。特効薬の裏付けまで取れれば……ミュラー先生を追い詰めることができるかもしれない。」
ブレンダはそう語ってから「もう帰りなさい、いつまでも居られても迷惑よ。」と言って私の背中を押す。
「ま、待って!どうしてここまでしてくれるんですか……!?」
そう質問すると、ブレンダは少し間を開けた後「……ただの、気まぐれ。」と返してきたのだった。
★ ★ ★ ★
アキコを見送ってから、アイシャはブレンダに無邪気な笑顔を向け「痣が治せるなんて、アキコさんは奇跡を起こす魔法使いみたいですね!」と言う。
「……いいえ、あれはたまたまよ。だから絶対にあの子が痣を治した、なんて触れ回っては駄目。わかった?」
いつもは優しい姉の厳しい口調に、アイシャは萎縮しつつも「わ、わかりましたわ……」と返事をした。
ブレンダはアイシャの方に向き直り、しゃがみ込むと――痣の無くなったアイシャの顔を愛おしそうに見つめている。
「どう……されたのですか?お姉様。」
優しく微笑み「……私はね、あなたが……誇れるようなお姉ちゃんでいなくてはいけないの。」と口にしてからアイシャを抱きしめるブレンダ。
耳の横で微かに聞こえるブレンダのすすり泣く声を聞いて、アイシャは子供ながらに、自分の身に起きたことが奇跡なんて綺麗事ではないことを悟ったのだった。




