第14話:晴れぬ白霧、交錯する宿命
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孤島に満ちていた激闘の熱気が、引いていく波のように静まり返っていた。
荒々しい岩肌と浅瀬の境目に力なく倒れ伏す、上半身だけの巨獣の姿。
下半身を失い、断ち切られた断面から体液を垂らした『ネメア・レオンの屍鬼』。雷の精霊が放った極大の雷撃球をその身で受け止め、最後の上半身特攻まで己のすべてを絞り尽くした肉体は、すでに限界を迎えていた。
死霊術によって繋ぎ止められていた固有の魂の残滓が、音もなく昼の空へと静かに不気味に溶けて消えていく。
ラグナ――『ロック』は、漆黒の防刃コートの裾を風に揺らしながら、無言でその光景を冷酷に澄んだ赤い瞳で見つめていた。
肉体と魂は同一の存在でなければならない。
魂が完全に潰え、消滅した肉体が再び立ち上がることは二度とない。器を一度失った固有の魂が戻ることはないのだ。
『死霊術』という呪われた力によって縛り上げられた道具に過ぎなかった。だが、死線を共に潜り抜け、己の盾となり、牙となって十分に役目を果たした駒であった。
「……小僧」
背後から、低く重々しい声が響いた。
三叉の槍を背に担ぎ、豪快に肩を揺らしながら歩み寄ってきたのは『黒鮫の海賊団』の首領――エーギルだった。その傍らには、面傷のある副官のバルバが静かに佇んでいる。
「もう動かねえのか?」
「ああ。動かない」
ロックは感情の起伏を一切見せず、短く冷淡に言い捨てた。
エーギルは傍らの巨獣の骸へ視線の向きを変え、エラ呼吸のヒレをピクリと揺らした。
「海の男としちゃあ、戦い抜いた猛者をそのまま腐らせるのは性に合わねえ。……俺たちの流儀で『船葬墓』で送ってやりたいんだが……構わねえか?」
「……任せる。好きにしろ」
ロックは帽子を深く被り直し、「……世話になったな」と小さく呟いた。
一切の未練を示すことなく身を翻して呟いたその言葉を、唯一聞き取ったエーギルの口元がわずかに緩んだ。
「野郎ども! 小舟を一艘引いてこいッ!!」
エーギルの豪快な指示のもと、海賊たちがテキパキと動き出す。
海岸の岩場の上に小舟が引き揚げられ、ネメア・レオンの遺体が載せられると、薪とともに油が注がれた。火矢が放たれると凄絶な炎が立ち上り、陸の上で激しく焚きつけられた船葬墓から黒煙が空へと昇っていく。
その光景を、ロックは表情一つ変えずに見つめていた。
己の身を削り、敵の命を喰らって明日を歩む。その冷徹な道程において、この魔獣はすでに消費し尽くした糧の一つに過ぎない。
ずきりと、右肩の奥から骨を軋ませるような激痛が走った。
激闘の中、アインヘリヤルが放った一閃。漆黒の防刃コートは刃を完璧に弾き返して斬られはしなかったものの、殺す勢いで叩きつけられた重圧は殺しきれず、激しい打撲となって右肩を苛んでいた。
ロックは肩掛けのカバンから、濃密な緑色の液体が満ちた小瓶を取り出した。『ハイポーション』だ。
栓を抜き、一気に喉へと流し込む。
腹の底から湧き上がる温かな熱気が全身の血管を巡り、右肩を苦しめていた激痛と鈍い痺れが、嘘のように急速に引き去っていく。
(……ヘカテの言った通りだったな)
頭の片隅で、娼館の地下倉庫で旅の持ち物を吟味していた時の記憶が蘇る。
荷物の中から通常のポーションを探し出そうとしていたロックの手を、ヘカテの艶やかな指先がそっと制した。
『――これにしなさいな、ロック』
差し出されたのは、上質なガラス瓶に入ったハイポーションだった。ヘカテは煙管の紫煙をくゆらせ、可笑しそうに目を細めて言ったのだ。
『仕事道具と己の命に関わるものまでケチるんじゃないわ。土壇場のひと口で生き残れるかどうかが決まるのよ』
冷たい回復の感覚が引いていくとともに、ロックは静かに息を吐いた。
「……よし、縛り上げ完了だ」
副官のバルバが、転がされていた『アインヘリヤルの捕虜』を頑丈な拘束用のロープで手足・関節ごと固く縛り上げた。
だがその直後――ピクッと捕虜の指先が揺れ、閉じられていた瞼が薄く開いた。
「なに……!? 意識を戻しただと!?」
バルバが驚愕の声を上げた。ロックやエーギルたちの顔にも一瞬、驚きが走る。
強力な麻酔シリンジを直接打ち込まれてから、まだ大した時間も経っていない。あまりにも早すぎる覚醒。
拘束され、周囲の状況を一瞬で把握した『アインヘリヤルの捕虜』は、無感情な瞳のまま一切の躊躇もなく、奥歯を強く噛み砕いた。
「っ……被検体……1800……」
不気味な言葉を残した瞬間、男の口端から黒紫色の血がダラリと溢れ出した。奥歯に仕込まれていた毒薬による即座の自害。全身を痙攣させた後、男の瞳から完全に光が失われた。
己の甘さを激しく痛恨した。シリンジの一刺しで生け捕りに成功したと過信し、口内の隠し毒への警戒や猿ぐつわの処置を怠っていた。情報を吐かせる貴重な捕虜を、己の隙によって自害させて失ったことに、胸の奥で鋭い悔恨の火が燻る。
「チッ……! 過度なドーピングで、麻酔への抗体が出来上がってやがったか……!」
エーギルが不満そうに唾を吐き捨て、苦々しい顔で男の死体を蹴飛ばした。
「教皇の狂信者どもめ、情報を吐くくらいならハナから死ぬつもりだったってわけだ。使えねえクソ袋が。おい、野郎ども! 死体は海へ放り投げておけ!」
「了解です」
エーギルは気を取り直すように鼻を鳴らすと、バルバに指示を出した。
「バルバ、予定通り娼館の姉ちゃんへの使者としてお前が同行しろ。『黒鮫の海賊団』は本日この時をもって、娼館の偽装船への襲撃を全面停止。教皇派の補給船と密輸船のみを狙い撃ちにして、海の路を干上がらせてやるとな」
バルバは重厚な木箱を小脇に抱えていた。エーギルから手渡された伝説の逸品――【神契の秘銀短剣】がそこに収められている。
「――またな、小僧」
エーギルはニヤリと笑うと、子供をあしらうように大きな手でロックの頭をポンポンと雑に撫でた。
ロックは帽子を抑えながらパッと身を引くと、露骨に不貞腐れた表情を浮かべ、帽子を目深に被り直してそっぽを向いた。
隠し港に用意されていたのは、海賊団が誇る快速の隠密船だった。
船底から甲板へと上がったロックは、不貞腐れた態度を一瞬で氷解させ、肩掛けのカバンから『伸縮式望遠鏡』を引き抜いた。筒を伸ばし、レンズを覗き込む。
荒れ狂う海原の水平線、複雑に入り組んだ岩礁の死角、遠ざかっていく孤島――どこから教皇派の追手が現れても即座に対処できるよう、冷徹な赤い瞳で周囲の警戒を怠ることなく全方位の索敵を続ける。
捕虜を失った悔恨を冷徹な思考で押し殺しつつ、体内に残るアインヘリヤルたちの高質な『魂のストック』、そして教皇派を海上から追い詰める【海上同盟】の手応えを確かめる。
(……残る手掛かりはレヴィ男爵だけか……)
太陽が南天へと差し掛かり、温かな昼下がりの光が海面を輝かせていた。
使者バルバと秘銀短剣を乗せた船は、死の罠が待ち受けるノルズ港・東側の娼館『黒猫の戯れ』へと向けて、黒い波を蹴立てて滑り出した――。
太陽が南天を巡り、街にやわらかな光が降り注ぐ昼下がり。
ノルズ港の東側に位置する娼館『黒猫の戯れ』の玄関ホールには、浮ついた表情の男――レヴィ男爵が立っていた。
「ふふん……公務の経費を浮かせたこの金で、昼間から極上の女と遊ぶ……これぞ男の醍醐味というものだな」
胸ポケットの金貨をチャリンと鳴らし、品のない笑みを浮かべるレヴィ。
出迎えた護衛ガレナスの報告を受け、階上から降りてきたのは、優雅で美しき主――ヘカテだった。
「まあ、レヴィ様。実は私、以前から貴方様のことがとても気になっておりましたの……。ねえ、本日の相手にはぜひ、私を指名していただけないかしら?」
甘く耳を撫でるような声音で囁きながら、ヘカテは色っぽくレヴィの胸元を人差し指でツッと滑らかになぞった。
「ぐっ……、う、うむ! 当然だとも! 今日は君を指名させてもらうぞ!」
レヴィはゴクリと大きな生唾を飲み込み、鼻腔をくぐり抜ける洗練された甘い香水の匂いをうっとりと堪能した。
「本日はとっておきの特別なお部屋で、たっぷりサービスさせていただきますわ」
「おお! たっぷりサービス、とな! ハハハ、苦しゅうないぞ!」
「まあ……嬉しい」
ヘカテは可憐に微笑むと、そのまま豊満な胸をレヴィの身体へとしなやかに押し付け、隙間なく密着させた。
その瞬間、香水の香りに混ざり合ったサキュバス特有の魅了の術が、直接レヴィの内に潜む『欲望』へと干渉した。
相手の欲望を無限に爆発させ、精神を内側から解きほぐして破滅させる絶対の術。
「……うう……ん……ああ……っ、なんという……心地よさだ……っ」
あまりの甘美な快楽の濁流に、レヴィは至福の表情でトロリと蕩けた唸り声を上げた。そのまま白目を剥き、口端からだらしなく唾液を垂らしながらガクガクと膝を震わせ、情けなく腰を抜かしてヘカテの足元へと崩れ落ちた。
膝を突き、虚ろな顔で足元に転がる男を見下ろしながら、ヘカテは自らの魅了の力が遺憾なく発揮されたことを確認した。
指先で口元を覆い、何かを思案するように目を細める。
(……やはり、私の魅了の力は完璧。……なら、どうしてあの時は効かなかったのかしら?)
雨の降りしきる街道、ノルズ港へと向かう密室の馬車の中。
ヘカテは膝を交える白銀の少年――ロックに対し、いま目の前の男を一瞬で骨抜きにしたこの魅了の香気を、惜しげもなく充満させていた。
いかに意思の強い男であろうと、一息吸えばサキュバスの奴隷へと成り下がる絶対の術。
実際、少年もその洗練された極上の香りを「心地よい上質なもの」として素直に受け入れ、呼吸を満たしていたはずだった。
だが、甘い香りを漂わせ、その奥にある欲望を刺激しようとしても、少年の瞳には一切の揺らぎも混ざり物も現れなかった。ただ冷徹に澄み切った赤い瞳で、ヘカテを見つめ返していただけだった。
(私の香気は、確実にあの少年の体内へ入っていた……。なのに、なぜ彼の『欲望』には一切私の術が引っかからなかったのかしら……?)
通常ではあり得ない違和感。
だが、その異質さゆえに、サキュバスとしての本能が激しく揺さぶられたのも事実だった。
簡単に手に入らない、底知れず恐ろしい存在。だからこそ、愛おしく、好ましい――自らの足で闇を歩む、かけがえのない『共犯者』として。
「フフ……呆気ない男」
ヘカテは冷めた瞳で玄関ホールのベルを鳴らした。
影からガレナスが音もなく姿を現す。
「ガレナス。この豚を地下の隠し部屋へ転がしておきなさい」
「畏まりました」
ガレナスが白目を剥くレヴィを抱え上げて去っていくのを見届けると、ヘカテはドレスの裾を揺らしながら螺旋階段を上り、3階の自らの執務室へと戻った。
執務机の革張り椅子に深く腰掛けたその時、静かなノック音とともに扉が開いた。
足を踏み入れたのは、漆黒の防刃コートを纏ったロック、そして見慣れぬ男――バルバだった。
「お帰りなさい、ロック。無事に戻ったようね。……それで、厄介な海賊どもは根こそぎ片付いたのかしら?」
ヘカテの問いに対し、ロックは感情を交えずに冷徹な口調で報告を始めた。
海賊島へ到着した直後に突如として現れたアインヘリヤル・審問班との激闘。ネメア・レオンの屍鬼を盾にし、死霊術の従者を駆使して敵の隊長らを打倒したこと。そして、教皇派という共通の敵を前に首領エーギルと利害が一致し、襲撃の停止と手打ちに至った経緯を淡々と語り尽くした。
ロックの報告を静かに聞き終えたヘカテは、予想外の展開に驚きつつも、感心と熱を帯びた眼差しで少年を見つめ、可笑しそうに口元を緩めた。
「ふふ、なるほどね。刺客を退けただけでなく、海賊の頭まで丸め込んで手打ちにしてくるとは……本当に貴方は期待以上の成果を持ち帰ってくれるわ。……それで、そちらの男は?」
「『黒鮫の海賊団』首領エーギルの副官、バルバだ」
ロックが短く紹介すると、バルバは小脇に抱えていた重厚な木箱を恭しくヘカテの執務机の上へと置いた。
「娼館の主に渡せと、頭から預かってきた品だ。……これまでの非礼をお詫びする」
バカン、と木箱の蓋が開けられる。
そこに収められていたのは、深海の秘銀で鍛え上げられ、幾重もの蒼白の光を解き放つ美しき対の短剣――【神契の秘銀短剣】だった。
「まあ……!」
一目見ただけで一国を買えるほどの資産価値と絶対の切れ味を秘めた国宝級の逸品に、普段は余裕を崩さないヘカテですら思わず息を飲み、目を丸くした。
単に相手を排除するだけでなく、自らが想定していた以上の圧倒的な手土産と、教皇派の補給船のみを狙い撃ちにして海の路を干上がらせるという破格の好条件を持ち帰ってきたロック。ヘカテの胸中で、この白銀の少年に対する評価がさらに一段と跳ね上がっていた。
「……素晴らしいわ。その条件、喜んで受け入れさせてもらうわ……【海上同盟】の成立よ」
ヘカテの口元が、心底満足そうな妖艶な笑みに歪んだ。
「さて……ロック」
ヘカテは秘銀短剣を慈しむように撫でると、冷徹な赤い瞳の少年へ視線を向けた。
「毒の杯へ飛び込んできた獲物が、地下で待っているわ。……レヴィ男爵よ。骨抜きにして地下の隠し部屋へ転がしてあるわ。じっくりと話を聞こうじゃないの」
「……行こう」
ロック、ヘカテ、マリア、バルバの4人は、石造りの静寂が支配する地下の隠し部屋へと足を進めた。
地下隠し部屋の冷たい石畳の上。
そこには、手足を縛られ、甘美な快楽の濁流に呑まれたレヴィ男爵が、だらしなく白目を剥いて転がされていた。口端から唾液を垂らし、夢心地の唸り声を上げている。
(……惨憺たる有様だな。生傷ひとつないところをみると……マリアの尋問ではないな。ヘカテがサキュバスの力を使ったのか?)
男の骨抜きにされた無様な姿を見下ろし、ロックはヘカテの秘められた異質な力と思案をめぐらせた。
ヘカテが冷めた瞳で見下ろし、術をわずかに緩めて語りかけた。
「ねえ、レヴィ様。私に隠し事はなしよ……。貴方は誰に頼まれて、あの少年――ラグナを狙わせたの?」
「あ……ふふ……っ、ア、アインヘリヤル……諜報班の人間だよぉ……っ」
レヴィは恍惚とした表情のまま、あっさりと自供を始めた。
「連絡があってねぇ……暗殺を生業にしている傭兵を雇って……ラグナを襲わせるよう……指示されたんだぁ……」
「その依頼人の名前は?」
「知らな~い……っ! 正体を知ろうとしたら……消されるからねぇ……っ。名前なんて聞かないのが……長生きのコツさぁ……。でも……アインヘリヤル諜報班からの依頼であることは……間違いないよぉ……っ」
レヴィ男爵はヘカテの術に抗う術もなく、スラスラと口を割っていく。
「なぜアインヘリヤルは、それほどまでにラグナという少年を消したがっているの?」
ヘカテの問いに、レヴィはニチャニチャとした不気味な笑みを浮かべた。
「ひひっ……ラグナなんて……存在そのものが『偽物』なんだよぉ……。あいつは……両親が何か重大な秘密を隠すための……『偽装家族のパーツ』に過ぎないんだぁ……っ」
「……どういう意味だ?」
背後からロックが氷のように冷たい声を発した。
「そのままの意味さぁ……っ。『人造神計画』……その過程で生み出された数多の失敗作……『被検体No.1800』こそが、ラグナなんだよぉ……。有効活用のために……アルヴィスとヘーニルがあいつを引き取って……息子のフリをさせていただけなんだぁ……っ」
「――っ!?」
衝撃の告白が、地下室の空気を氷結させた。
(ボクは……本当の子供ですら無かったというのか……?)
ラグナという自分自身の存在そのものが、温かな眼差しを向けてくれていた両親の血を引く子ではなく、ただ利用されていた道具に過ぎなかったという凄絶な真実。
怒りすら湧き上がらない。ただ、胸の奥底が凍りつき、壊れた人形のように心が暗闇の中へ折れて落ちていく感覚だけが、冷たく全身を締め付けた。
ヘカテが眉をひそめ、冷徹に問い重ねる。
「……その『人造神計画』とは一体何なの? 両親が隠していた『秘密』とは何のこと?」
「『人造神計画』は文字通り……神を作る計画さぁ……詳しいことまでは……知らないよぉ……。ただ……両親が何か怪しげなことをしていたことまでは知っているよぉ……。推測だけど……あいつが今使っているという……忌まわしい『死霊術』の力に……何か深く関係しているんじゃないかなぁ……?」
レヴィ男爵は教皇ヘルモズが自らの魂を別の肉体へ移し替え、1000年以上も生き続けているという深層の真実までは知らなかったが、その言葉には十分すぎるほどの重みが宿っていた。
ロックは胸の奥で渦巻く巨大な謎と痛みに耐えながら、赤い瞳の冷徹さを保って更なる質問を浴びせた。
「……貴様は、なぜこのノルズ港に来た?」
「指名手配された……ラグナの捜索と……身柄の拘束だよぉ……」
「同行している仲間は何人いるの?」
ヘカテが冷たく問うと、レヴィは「7名さぁ……」と答えた。
「7名……? 聖導国にとってかなり重要なことなのに、人数が少ないわね。何か理由はあるの?」
ヘカテが問い重ねると、レヴィはニヤニヤと笑った。
「ふふ……人数なんて関係ないよぉ……。『シルヴィア』という強者がいるんだからねぇ……っ。彼女がいれば……何人いようと問題ないのさぁ……」
『シルヴィア』――。
その名が出た瞬間、室内の一同は再び息を呑んだ。
エルフの聖騎士シルヴィア。その実力を高く評価されて、アルヴェイラ領域から派遣されている剣士である。
(シルヴィア……!)
ロックの脳裏に、かつての記憶が瞬時に蘇った。
生前、両親が生きていた頃、町でたまたまシルヴィアが両親と立ち話をし、雑談を交わしていた光景を何度か目撃したことがあった。
(そうか……シルヴィアは、両親を監視し、誘導していたアインヘリヤルの一員だったのか……!)
「シルヴィアは……アインヘリヤルの一員なのか?」
ロックが鋭く問うと、レヴィは「さあねぇ……彼女がアインヘリヤルのメンバーかどうかまでは……知らないよぉ……」と虚ろに首を振った。
その時――バタバタと慌ただしい足音が響き、尋問室の扉が開いた。ガレナスが急ぎの面持ちで飛び込んでくる。
「ヘカテ様! 急報です!」
「どうしたの、ガレナス?」
「エルフの聖騎士率いる一行が、昨夜ロック様が『赤い鉱石』を発見した借金男の隠れ家だった洞窟へ向かって移動を開始しました!」
ロックの赤い瞳に、鋭く冷酷な光が宿った。
「……対峙する。決着をつける刻だ」
ロックは即座に出撃の準備を整え始めた。ヘカテは静かな動作で視線をガレナスへ向ける。
「ガレナス。ロックに同行して手伝ってあげなさい」
「かしこまりました」
さらに、海賊の使者バルバも腰の曲刀の柄に手を当て、力強く一歩前に出た。
「俺も行くぜ。頭から『ロックの身を守れ』と命じられているからな。海の男が二言は言わねえ」
「……感謝する」
ロックは地下の保管庫へ向かうと、マリアの施術によって酷い拷問の痕が残りつつも完璧な『防腐処理』を施された女ビーストテイマーの肉体の前に立った。
ロックは不気味な生傷の残る死体の冷えた額へ手をかざした。
「――『屍鬼召喚』!」
その瞬間、凄絶な代償がロックを襲った。
術の行使に伴い、死者が抱いていた無念、怨念、そして呪詛の波が脳内へと怒涛のごとく逆流する。脳髄を直接灼かれるような強烈な悪夢と激痛に、ロックは顔を蒼白に歪め、歯を食いしばって激しく苦しみながらその呪詛に耐え抜いた。
ドクンッ! と不気味な死霊魔力が満ち、拷問痕の残る女テイマーの肉体が跳ね起きた。筋力制限が解除され、生前以上の動きを可能とする強力な屍鬼の誕生。
ロックは、ガレナス、曲刀を抱えるバルバ、そして女テイマーの屍鬼を率い、夜の闇に紛れて東の外縁――借金男の隠れ家だった洞窟へと急行した。
夜の静寂が支配する東の外縁、岩山の前。
シルヴィア率いる捜索部隊は、洞窟の入口手前に転がる「片腕のない男の死体」を発見し、一斉に緊張を高めていた。
「……警戒しなさい。片腕が引きちぎられている……ただ事ではないわ」
シルヴィアの鋭い指示を受け、バルドルをはじめとする聖騎士たちが剣を引き抜き、円陣を組みながら慎重に洞窟内部へ足を踏み入れる。
洞窟を進むと、内部には魔獣の残骸が、見るも無惨な肉塊となって転がっていた。原形を留めておらず、何の魔獣か判別すらつかない。
「ここで凄惨な戦闘があったようですね……」
バルドルが息を呑むと、シルヴィアは冷徹な眼差しで洞窟の奥を見つめた。
「ええ。慎重に進みましょう」
奥へ進むと、隠れ家全体が何者かによって徹底的に荒らされた形跡が広がっていた。倒れた棚や散乱した道具類。
シルヴィアは静かに周囲を観察し、思考を巡らせる。
「……誰かがここで、『何か』を探していたようね」
シルヴィアは足元を注意深く調べると、倒れた棚の裏側の岩盤に、小さな隠し穴が開いているのを発見した。中を覗き込むが、すでに空っぽである。
「探しものは……すでに持ち去られたようね」
シルヴィアがポツリと呟いた、その瞬間だった。
(――っ!?)
シルヴィアの背筋に、氷を突きつけられたような凄絶な悪寒が走った。
洞窟の外から、不穏でドロリとした気配が急速に近づいてくる。
「何か来ます……! 全員、迎撃態勢! 出口へ戻ります!」
シルヴィアの叫びに、バルドルたちは即座に身を翻し、入ってきた洞窟の出口へ向かって警戒しながら駆け戻った。
月明かりが照らし出す、洞窟の外へ出た瞬間――。
そこには、夜の静寂の中に立ち塞がる一行の姿があった。
ガレナス、曲刀を構える海賊バルバ、拷問の痕を残したまま生気のない瞳で佇む女テイマーの屍鬼。
属性と因果を纏うその中央に立つひとりの少年。
月影を背負い、夜風を孕んだ漆黒の防刃コートを纏うその佇まいは、まるで闇の底から現れ出でた死の先導者のようであった。深くかぶった帽子の庇の陰で、白銀の髪が一筋流れる。
「……ラ……グナ……?」
シルヴィアの薄い唇から、微かな戦慄とともに名が漏れ出た。
一方、その隣でクレイモアを構えるバルドルは、目の前に立つ人物のあまりの変貌ぶりに、息を詰めて固まっていた。
一筋残らず完全な白銀へと変色した髪、病的なまでに蒼白な肌、そして一切の体温を感じさせない冷酷に澄み切った赤い瞳。かつての儚く心優しい親友の面影をどこにも見出すことができず、バルドルはその人物がラグナであると認識することすらできずに呆然と立ち尽くしていた。
宿命のふたりが、夜の静寂の中でついに交錯する――。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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