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死者を統べる者は、魂を喰らって明日を歩む  作者: 涼風あさ
地獄編

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第11話:毒酒の杯、純愛の饗宴

お読みいただきありがとうございます。毎日19:10頃に更新します。

その後は、毎週 月・水・金曜日 の 19:10で更新していきます。

ノルズ港の北側に位置する宿屋『海風亭』。一階の食堂から流れる煤けた灯火が、旅の垢と血の匂いを残す男たちの影を蠢かせていた。


「――落ち着け、バルドル君。今夜はまず身体を休めるのが先決だ」


二階へ続く階段の手前で、シルヴィアが凛とした声を響かせた。その佇まいは洗練されたエルフ特有の理知的な静謐さを纏い、焦燥に瞳を揺らすバルドルをまっすぐに見据えている。


「ですが、シルヴィアさん! 一刻も早く街での聞き込みを始めなければ……! ラグナの手がかりだって、いつ消えてしまうか――」


「先程の教訓を忘れたの?」


シルヴィアの冷徹な一言に、バルドルはぐっと言葉を詰まらせた。


「あの『ヤルンヴィド・バスター』との激戦で、部隊の半数以上が怪我を負っている。軽傷とはいえ、まともに動けるのは私とあなた、そしてレヴィ男爵の3人だけ。この状態で夜の街に飛び出して二次被害を出せば、捜索どころではなくなるわ。元より、情報収集は万全の体制で行うのが鉄則よ」


正論だった。感情に任せて先走ろうとする己の未熟さを痛感し、バルドルは悔しそうに拳を握りしめながら息を吐いた。


「……すみません。僕が……甘かったです」


「解ればいいの。……レヴィ男爵、部屋割りはこれでよろしいでしょうか?」


シルヴィアが振り返ると、後ろで大げさに溜め息をついていたレヴィ男爵が、疲れた顔で頷いた。


「ああ、異論はないよ。個室は私とシルヴィア君、バルドル君で3部屋。怪我をしている隊員4人はふたり一部屋で二部屋……計5部屋だな。公務の経費とはいえ、あまり豪奢な宿をとって本国から監査が入っても鬱陶しいからのう。この程度の宿が一番だ」


レヴィ男爵はさも「部隊の懐事情を考慮した勤勉な上官」といった体で額の汗を拭ってみせた。


だが、その真の思惑は別にある。公務の経費を節約しているのは単なる建前で、明日の夜、この街の東側にある『黒猫の戯れ』へ自腹で繰り出すための「秘密の小遣い」を浮かせたいという、酷く世俗的な欲望ゆえであった。


(ふふ……まあ、ラグナのガキが今夜中に見つかるはずもない。全7名の部隊なら、ふたり一組で3ペアを作ればひとり余る……。「東側の区画に偏屈で気難し屋の知人がいる、私ひとりの手で情報を探ってこよう」とでも言い訳すれば、怪しまれずに娼館へ行けるというものだ)


己の完璧な計算に心の中でほくそ笑みながら、レヴィ男爵は「では各自、明朝まで解散!」と手を叩いた。


自室の鍵を受け取り、あてがわれた部屋へ入ったシルヴィアは、静かに木扉を閉めた。外套を脱ぎ、窓辺に歩み寄って月を見上げる。


「……?」


不意に、胸の奥を刺すような微かな悪寒。北門を潜り抜けたあの瞬間、街の『東側』から漂ってきた、ドロリと濁った不快な気配。


(あの違和感は何だったのかしら……。ただの気のせいなら良いけれど)


シルヴィアは一瞬だけ東の夜空を見つめた後、静かに窓のカーテンを引いた。


同時刻。ノルズ港の東側、入り組んだ暗闇が渦巻く裏路地。


月明かりすら届かない『黒猫の戯れ』の裏手で、つばの広い帽子をかぶった少年――ロックは、手押し荷車のシーツの上から周囲に視線の気配を走らせた。誰もいないことを確実に見極めると、隠された重厚な鉄扉を開け、地下へと続く石造りの暗道へ手押し荷車を滑り込ませた。


地下尋問室の前に到着したラグナは、手足の関節を完璧に固縛され、強力な麻酔で昏睡している女ビーストテイマーの姿を見下ろした。


(プロの暗殺者だ……麻酔が切れた後、自害や暴走を試みる可能性は否定できない)


ラグナは体内に保管していた『グラットン・ハイエナ』の魂を一つ念じ、頭の中で消費した。


『死霊召喚(ゴースト・コール)』


その瞬間、ドクンッと頭蓋の奥が痺れ、死に際の野獣が放つ粘着質な怨念の波が脳裏をかすめる。ラグナは眉根を寄せてその負荷を強靭な意志力で小さく耐え抜いた。魔獣ゆえに負荷は軽微だが、死霊術の本質である「呪詛」は確実に肉体を苛む。


直後、青白い冷気が地面から立ち上り、一頭の『死霊(ゴースト)』が顕現した。


「この女を見張れ。意識を取り戻すか、不審な動きを見せたら即座に精神を削れ」


『死霊(ゴースト)』が低く唸り、不可視化して昏睡する女の真上に浮遊し、静かに監視態勢に入った。見張りを完了させたラグナは、防刃コートの裾を翻し、螺旋階段を上って3階にあるヘカテの執務室へと向かった。


3階の重厚な扉をノックし、室内へ足を踏み入れる。豪奢な革張り椅子に腰掛け、煙管の紫煙をくゆらせていたヘカテが、妖艶な笑みを深めた。


「お帰りなさい、ロック。無事に戻ったようね」


「……ああ。頼まれていた回収物だ」


ラグナはコートの左ポケットから、油汚れの布に包まれた小包を取り出し、ヘカテの執務机の上へと置いた。ヘカテが細い指先で布をめくると、暗闇の中でドロリと歪に脈動する深紅の結晶――『赤い鉱石』が露わになる。


「何の鉱石かは知らないが、危険なものであることは伝わってくる。……地下室にあった大層な金庫にでも入れておくんだな」


ラグナの言葉に、ヘカテは口元を歪めて深く頷いた。


「ええ、重々承知しているわ。……ガレナス、これを地下隠し倉庫の特製金庫へ」


ヘカテが指を鳴らすと、執務室の影からひとりの男が音もなく姿を現した。右の頬に深く刻まれた大きな傷跡。静かに一礼して鉱石を受け取るその無駄のない足さばきと殺気を消し去った佇まいに、ラグナは皮膚が粟立つような鋭い悪寒を覚えた。


(強い……! 立て続けに死闘をくぐり抜けてきたから解る。ただの従者じゃない……幾多の命を削り、死線を越えてきた本物の手練れだ)


ラグナの警戒する視線を受け流し、ベテランの護衛・ガレナスは深く一礼すると、鉱石を手に地下の隠し倉庫へと静かに消えていった。


ガレナスが去った後、ラグナは静かに胸ポケットから一冊の古びた手帳を取り出し、ヘカテの机の上に提示した。


「ヘカテ……ボクと、さらなる『共犯関係』を結ぶ気はないか?」


ヘカテの鋭い瞳が、僅かに細められた。


「共犯関係、ですって?」


「この手帳は標的の隠れ家で見つけたものだ。そして……ボクを追ってきたと思われる同業者の女暗殺者を返り討ちにし、麻酔で眠らせて地下尋問室に転がしてある」


ラグナは手帳を開き、そこに記された暗号めいた文字と、両親の名をヘカテに見せた。


「ボクを狙う刺客は絶えない。ボクはもう『ラグナ』という過去の名を捨てた。これからは泥を舐めてでも、化け物になってでも『ロック』として生き抜き、両親を死に追いやった黒幕を炙り出す。……もし君がボクを完全に囲い込み、手下として使い潰すのではなく、本当の協力者になりたいなら――この手帳の解読と、あの女の尋問に手を貸してほしい。この毒酒の杯を、一緒に煽ってほしいんだ」


静寂が室内を支配した。ラグナの赤い瞳に宿る、底知れぬ漆黒の覚悟。それを見つめるヘカテの唇が、次第に歓喜に歪んでいく。


(……素晴らしいわ。庇護を求める子供の顔は完全に消え、己の足で闇を歩む『男』の顔になっている……!)


ヘカテにとって、目の前の少年は単なる道具ではない。己の歪んだ所有欲と狂気的な愛着を満たす、極上の愛玩動物であり、相棒であった。自ら「共犯者」になることを求めてきたその覚悟に、ヘカテの心が激しく歓喜で震える。


「ええ……いいわ、ロック。喜んでその毒酒の杯を飲み干してあげましょう。……フフ、尋問と解読の協力ね? ならば、尋問(拷問)に関しては極上のスペシャリストを呼んであげるわ」


ヘカテが卓上のベルを鳴らすと、数秒後、扉がすこし開いて小柄な眼鏡メイドが頭を覗かせた。


「あ、あの……っ、お呼びでしょうか、ヘカテ様……っ。あ、ロック様も……お、お帰りなさいませ……っ」


丁寧でおどおどとした口調で体をすくませる眼鏡メイド――マリアだった。


「えっ……っ!? ロ、ロック様を傷つけようとした、悪魔のようなお方……が……地下にいらっしゃるのですか……っ!?」


地下尋問室へと続く階段を降りながら、マリアは両手でずっしりと重い革製の大きなカバンを大事そうに抱え込み、声を震わせていた。大きな眼鏡の奥の瞳が揺れている。だがそれは決して怯えではない。ロックという存在を害そうとする不遜な存在が、この世界に存在して良いわけがないという、根底からの驚愕と憤怒による揺らぎであった。


「ええ、マリア。プロの暗殺者らしく口が硬そうだからね。貴女の腕で、じっくりと解(ほど)してあげなさい」


ヘカテの言葉に、マリアはぎゅっとカバンの取っ手を握りしめた。


「は、はい……!」


これから己が果たすべき役目――王子様(ロック)の敵を排除し、その役に立つという揺るぎない決意を込めて、深く頷いた。


尋問室の扉を開けると、拘束台の上で身悶えする女ビーストテイマーの姿があった。


「くっ……ガキ……どこだ……レオを返せ……っ!」


(やはり、麻酔が切れかかっているか……)


ラグナの脳裏に、尋問室に待機させていた『死霊(ゴースト)』からの念視映像が直接流れ込んでいた。麻酔が切れかけて暴れそうになる女の様子をラグナに送り、排除の許可を求めてきていたのだ。


(知能の低いネメア・レオンと違い、グラットン・ハイエナは群れで狩りをする分、『屍鬼召喚(ネクロ・ライジング)』で術者の意思を汲み取る精度や知能が高いな……)


死霊術の従者ごとの知能差と性質を冷静に考察しながら、ラグナは『死霊(ゴースト)』へ「待機」の思考命令を送って制御した。


ラグナは冷徹な眼差しで女を見下ろすと、隣に立つヘカテへと視線を向けた。


「手帳の解読は上の執務室で行う……ヘカテ、いいか?」


「ええ、構わないわ。……マリア、任せていいかしら?」


ヘカテが静かに促すと、マリアは深々と頭を下げた。


「は、はいっ! ヘカテ様、ロック様、どうか上の執務室でお茶でも召し上がっていてくださいませっ……! わたし、失礼のないよう『丁寧』にお聞きしてみますので……っ!」


ふたりが尋問室を退出し、マリアは中から重い鉄扉をカチャンと施錠した。


密室に残されたのは、拘束された女テイマーと、大きなカバンを抱えた小柄なメイドのふたりだけ。


「な……何よ……っ! ガキを呼び戻しなさいっ!」


女が血走った目で叫ぶと、マリアは抱えていたカバンを木製の作業台へと静かに置いた。


パチン、と金具を外してカバンの口を開く。そこから取り出され、テーブルの上に次々と並べられていったのは――異様な形状をした数々の医療器具だった。磨き上げられた極小のメス、骨を削る鋸、肉を広げる開創器、見たこともない試薬が詰まったガラス瓶の群れ。洗練された拷問・解剖器具の数々が、冷たい金属音を立てて整然と並べられていく。


「なっ……あんた……一体何を……っ!?」


「ふざけるんじゃないわよ……! あの白銀のガキが私に何をしたか知ってるの!? 私の最愛の恋人を凄惨で残酷な手口で叩き潰して殺し……我が子同然に大切に育ててきたペットたちまで全部殺したのよ!! あいつは人間じゃない、血も涙もない悪魔よ!! ろくな奴じゃないわ!!」


狂乱する女テイマーの絶叫が地下室に木霊する。しかし――マリアの表情から一切の感情が消えた。


眼鏡の奥の瞳が、底なしの暗闇のように落ち窪む。


「……当然の報い、ですわ」


「……は?」


「ロック様に牙を剥く敵であるならば……どんな惨たらしい目に遭おうと、命を奪われようと、それは当然の報いですもの。ロック様は何も悪くありませんわ」


一切の情赦も温度もない声。女テイマーが寒気に息を呑む中、マリアは静かにカバンの底へと手を伸ばした。


取り出されたのは――ラグナが処分を頼んでいた、血と泥に塗れた旧い衣服とマント。


本来なら焼却処分されるはずのそれを、マリアは世界で最も尊い宝物であるかのように、両手で優しく抱きしめた。


「あぁ……ロック様……」


マリアは恍惚とした表情を浮かべると、その服に顔を深く埋めた。


「すぅー……っ、はぁぁ……っ……」


何度も、何度も深く深呼吸を繰り返す。ラグナの残香を肺胞のすみずみにまで満たすかのように、うっとりと目を閉じ、全身を震わせながら服の匂いを堪能する。


「ロック様……わたしの王子様……。こんな汚れたわたしを必要としてくださる、世界で唯一のお方……。わたし、ロック様のためなら……なんだっていたしますわ……っ」


しばらく服の匂いを堪能していたマリアだったが、名残惜しそうに顔を上げると、頬を赤らめたままカバンの奥へと丁寧に仕舞い込んだ。


その異様な光景を目の当たりにした女テイマーは、背筋に氷を突きつけられたような戦慄に体を震わせ、引きつった声を上げた。


「あんた……イカれてるの!?」


その問いに対し、マリアは静かに眼鏡の位置を直すと、温度の入らない瞳でくすりと微笑んだ。


「……ええ、狂っていますとも。ロック様への愛に」


パチン、とカバンの金具を留める音が虚ろに響く。


「……さて」


マリアはテーブルの上に並べられた医療器具の中から、最も細く鋭利なメスと試薬のシリンジを手に取り、拘束台へとしずしずと歩み寄った。


「や、やめ――あぁぁぁあああっ!?」


指爪の隙間に滑り込んだ冷たい鋼と、神経を焼くような激痛に、女テイマーが絶叫を上げた。


「あぁっ……申し訳ありませんっ! 痛いですよね……っ、ごめんなさいっ……! でも、本当のことを話してくださらないと……わたし、もっと恐ろしいお薬を使わなければならなくなりますわ……っ!」


マリアは泣きそうにおどおどとした口調のまま、解剖学の知識に裏打ちされた正確無比な手つきで手元を動かしていく。


「お願いですから……本当のことを教えてくださいませっ……! ロック様を傷つけようとした悪い人が誰なのか……わたしに、教えてください……っ!」


マリアは心の中でそっと付け加える。


(――でも、急いで本当のことを話す必要はありませんわ。教えてくださらなければ……それだけ長い時間、ロック様の敵である貴女を、苦しめて差し上げられますもの……)


痛覚を十倍に跳ね上げる試薬、皮膚を削ぎ落とすメス。拷問は刻一刻と、女テイマーの命を削り落としていく。呼吸は浅くなり、血の海の中で女の瞳から光が消えかけ、まさに瀕死の境界線へと達したその時――。


コンコン、と静かなノック音が地下室に響いた。


マリアは解錠し重い鉄扉を開いた。入ってきたのは衰弱したラグナの腕を治療したあの闇医者だった。闇医者は血みどろの拷問現場にも一切顔色を変えず、マリアや女テイマーと誰ひとりとして目を合わせようとはしなかった。ただ淡々と、どこか投げやりに尋ねる。


「……いつも通りで良いかね?」


「はい」


マリアが普段通りの整った口調で小さく返答すると、闇医者は無言のまま拘束台へ歩み寄り、手に青白い治癒魔法の光を宿した。ズタズタに引き裂かれ、瀕死だった女テイマーの肉体が、治癒魔法の力によって急速に再生し、呼吸を取り戻していく。


「あ……が……っ? な……何……治療……!?」


死の淵から引き戻された女テイマーは混乱し、藁にもすがる思いで闇医者へ泣きついた。


「た、たすけ……助けてくれ! こいつらイカれてる! 金なら払う、助けて――」


闇医者は女の命乞いを完全に無視し、仕事が終わると一言も発さずに背を向け、尋問室を出て行った。


治療が行われている間、マリアは静かにカバンの隙間から一枚の羊皮紙のメモを取り出していた。そこには、ラグナの不器用でまっすぐな字でこう記されている。


『嫌な思い出しかないので、焼却処分してください』


マリアはそのメモを、胸の前で愛おしそうにキュッと抱きしめた。まるで、大好きな意中の人から生まれて初めてもらった『ラブレター』であるかのように。うっとりと頬を染め、世界で一番の宝物を見るような瞳で、その文字をいつまでも見つめ続けていた。


その背後で、完全に傷が癒えた女テイマーに、再び悪夢の時間が訪れようとしていた――。


3階執務室の机の上。手帳に書かれた花言葉の暗号を精査していたヘカテの指先が、ぴたりと止まった。


『ダリアの進呈:アルヴィス』『アザミの受諾:ヘーニル』


ヘカテの顔から、先ほどまでの余裕のある笑みが消えていた。


「……ヘカテ? 何か解ったのか?」


「ロック……貴方の両親の名に添えられたこの花の名……ただの暗号ではないわ」


ヘカテは紫煙を深く吹き出し、重々しく告げた。


「『ダリア』と『アザミ』……これは、アスガルド聖導国の教皇直轄・非公式部隊の暗号よ」


「教皇直轄の……非公式部隊……!?」


「公には存在しないとされる都市伝説……教皇に絶対の命を捧げ、法も倫理も無視してどんな汚れ仕事もこなす特務機関。――その名は『アインヘリヤル』」


ラグナの背筋に、氷のような寒気が走った。清廉潔白な聖騎士であったはずの両親。その調査記録に刻まれていたのは、国家の最高暗部の名だったのだ。


「さらに手帳の取引記録を読み解くと……貴方の両親は殉職する前、この非公式部隊を仲介し、地下組織から『赤い鉱石』を極秘裏に買い取ろうとしていた形跡があるわ」


「父さんと母さんが……あの鉱石を……!?」


衝撃の事実がラグナの頭脳を殴りつける。両親は一体何のために、そのような忌まわしい冒涜の鉱石を求めていたのか。そしてなぜ、教皇の暗部が関わっているのか。


ヘカテは煙管を置き、氷のように冷たい真顔でラグナを見つめた。


「相手はアスガルド聖導国の頂点……教皇ヘルモズの懐刀よ。真相を暴こうとすれば、一国を敵に回すことになるわ。……ロック、貴方に聖導国と事を構える覚悟はあるの?」


問いかけに対し、ラグナは微かに唇を歪めた。その赤い瞳には、一切の迷いも恐怖も存在しなかった。


「……最初から言ったはずだ。『毒酒の杯を飲む』とね。ボクは化け物になってでも、どんな泥を舐めてでも生き延びて、両親の死の真相と黒幕を全員殺して引きずり降ろす」


静かだが、天地を揺るがすほどの昏い決意。それを受け止めたヘカテは、しばらくラグナを見つめた後、くすりと喉を鳴らして笑った。


「……フフ、ハハハッ! 見事だわ、ロック。完璧よ」


ヘカテは立ち上がり、ゆっくりとラグナへ歩み寄った。その瞬間、室内の空気が歪んだ。圧倒的な重圧と、甘く濃厚な「死と魅了」の魔力が部屋を満たしていく。


ヘカテの背後に、幻想的な真紅の燐光と、妖艶な異形の気配が立ち上る。


「そこまでの覚悟を見せてくれたなら……私も真の姿でお応えするのが礼儀というものね」


彼女の瞳が、人間のそれから怪しく輝く魔性の瞳へと変貌していく。


「私の真の名はスカディ。……ムスペリア魔王尊立国から聖導国の動向を探るために送り込まれたスパイであり、魔族――『サキュバス』よ」


ヘカテ――スカディは、妖艶極まりない笑みを浮かべ、ラグナの頬を優しく撫でた。そのままそっと、艶やかな人差し指を少年の硬く結ばれた薄い唇へと滑らせ、吐息を吹きかける。


「ふたりだけの……秘密よ、ロック」


世界は常に、嘘と仮面で覆われている。互いに偽りの名を名乗り、互いに隠し持った刃の毒を呑み干した瞬間、世界はふたりだけの歪んだ真実に塗り替えられた。


仮面を剥ぎ取り合うことでしか触れ合えぬ者たちの、倫理も裁きも届かぬ暗闇の誓い。指先から伝わる冷たい背徳の感触とともに、彼らは「孤高の生」を捨て、同じ業(ごう)の深淵を分かつ、真の共犯者へと昇華した。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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