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Loose

 「七瀬、おつかれ。今日はそろそろ上がっていいぞ」


 「あ、うん、お疲れ様です」


 23時を回る頃にマスターにそう声をかけられた。

 ここは俺のバイト先であるROCK Cafe&bar【Loose】。

 週1回、バンド演奏が聴ける店だ。


 店には小さなステージがあり、主には無名のインディーズバンドがここで演奏をしている。

 もちろん毎週無名バンドという訳ではなく、イベントを組んで少し有名なバンドに来てもらう事もある。


 ーー高校を卒業した頃、まだ【店舗募集】と書かれていた、この店の前を通りかかった俺に声をかけてきたのがマスターだった。


「君、バンドをやっているのか?」


 大きなギターケースを肩にかけている俺にそう言い「実はここでバンド演奏が出来るカフェがやりたくてな」そんな風に突然夢を語り出したオッサンに少し戸惑いながらも、すごく共感出来るものを感じた。


「もし良かったら、アルバイトとして一緒に働いてくれないか?」


 そんな何もかもが突然の事だったが、仕事を探していた当時の俺には絶好の機会だった。ミニライブの場所も提供してくれる、働かせてくれる、そんな好条件のまない訳がなかった。


 それからは仕事以外でもマスターとは頻繁に会うようになり、バンドメンバーはもちろん、ヤス兄とも仲良くなって、もはや今では親戚のオジさんのような存在だ。


 ーーまあそんな訳で、俺はバンド活動をしつつ、ここでバイトをしている訳だが。


「どうした?今日はずっと上の空だったじゃないか」


「え!?あ、いや…ごめん、」


「あー、いやいや謝る事じゃない。仕事はきちんとやってたしな。何か悩み事でもあんのかなって思っただけだよ」


「いや、悩みってほどでもないよ。マスターありがとう」


「そうか?ならいいんだが」


 マスターは白髪混じりの髭を撫でるように触って「ふむ」と俺を見た。


 マスターも昔はバンドをやっていて、そこそこには売れている人だったらしい。だが、メジャーデビューを直前に音楽の方向性でメンバーで揉めたらしく呆気なく解散。

 その後も1人で活動しつつ、新しいバンドも組んだりはしたが残念ながら以前のように華やかな活動には至らなかったらしい。

 そして今は新しい世代のバンドマンを応援したいという思いで、この店をやっている。


「まあ、Sevensも今は踏ん張り時だしな。ファン層が定着してくると新規がなかなか入りにくかったりするし」


 俺の悩みを見透かした様にそう言うマスターは、ちらりと俺を見て続けるように口を動かした。


「まあ、何がキッカケでヒットするかは分からんもんだしな。今の時代は特にだよ。SNSや配信、色んなツールで思いがけず有名になれる事だってあるしなぁ…おっと、くれぐれも悪い方向で有名にはなるなよ」


「はは、そうだね。気をつける」


 そんな冗談を交えながら、マスターと笑いあっていると「カランッ」と入口の扉が音を鳴らした。


「おっ、いらっしゃい」

「こんばんは」


 顔見知りなのか、軽い挨拶をした女性がカウンターに座った。


「七瀬くんも、こんばんは」


「え?」


「あれ?私の事もう忘れちゃった?」


 見覚えのない女性にそう言われ、カウンターに座る女性をじっと見つめる。

 そう言われてみると、どこか見覚えがあるような…


「あ、ああ!君は!」


 髪の毛を下ろしているから気が付かなかった。


「カフェの!」


「正解~!ふふ、私最近この辺に引っ越してきてね。ここお気に入りなの」


 そんな風に話していると「雪ちゃん、いつものでいいかな?」とオーナーが棚からカップを取り出した。


「はい、お願いします」


 長い黒髪を下ろしている彼女は、より一層綺麗で大人びて見えたが、昼間見たのと同じ子供っぽい愛嬌のある笑顔で笑った。


 ボコボコとお湯が沸騰する音が聞こえ、湯気を立てる熱湯をマスターがドリッパーに注ぐ。

 そんな光景を横目に、目の前に座る彼女に見とれていると挽きたての珈琲豆の匂いと、少し甘い香りがふわりと漂った。


「ん?なにこれ、蜂蜜?…と、塩?」


 普段出しているどの珈琲メニューにも、蜂蜜はもちろん、塩なんて入れていないはず。それどころか、マスターの手元をよく見てみるとメニューにないブレンドをしたであろう豆がいくつも出ている。


「ああ、これな。雪ちゃん専用オリジナルコーヒーなんだ。前に好みを聞いて雪ちゃん用にブレンドしたんだよ、な」


 そう言いながら、彼女へウインクを飛ばす中年おじさん。あ、いやマスター。

 それに対し「いつもありがとうございます」なんて笑顔で返事をしている。


「名前でも付けようか……うーん、」


 からかうような目線を俺に送りながら専用メニューに名前まで付けようとするマスターは彼女との仲良しぶりを見せつけているようだ。

 そんな状況に、なんだか少し焦るように声が出た。


「あ、ああ!そうだ!200円!」


「え?ああ、それはいいって」


「いやそういう訳にも…」


 話を遮った俺に少々口元を緩ませたマスターが「200円?」と不思議そうな顔をし、彼女へ珈琲を差し出した。


「あ、いやそれが…」


 そして軽く経緯を話すと「ははは!それは格好がつかないな」なんて笑われてしまう始末だ。


「七瀬、この後なんか予定あるのか?」


「いや?ないけど」


「じゃあ、ほれ。着替えて雪ちゃんの隣に座って。1杯珈琲をご馳走してあげればいいんじゃないか?」


「ああ!なるほど!そうですね、ぜひそうさせて下さい」


 マスターの提案に、俺が彼女へそう言うと「あれ?七瀬くん、お店は?」と首をかしげた。


「ちょうど今終わった所なんです。着替えてくるんで少し待っててください」


 そう一言残し、急いでスタッフルームへ向かい、着替えを済ませた。

「足りなかった200円払っただけなのに、かえって気を使わせちゃったかな」なんて後ろから聞こえてきたが、正直そういう訳でも無かったりする。


 実を言うと少し彼女と話したかった、という本音もあったからだ。

 一目惚れ、と言うのだろうか?そこまでご執心ってほどではなかったが、彼女に対し少し恋愛感情的な好意を持っていたのは事実だ。


「おまたせしました」


 着替えを済ませ、彼女の横に並んで座る。


「あはは、なんか店員さんとお客さんみたい」


「あ、ああ…まあ実際そうではあるんだけど」


「まあまあ、今は仕事も終わってプライベートになった訳なんだし、タメ口で話そうよ。歳も一緒なんだしね」


「え?そうなの?」


 そういえば、なんで彼女は俺の事を知っていたんだ?

 年齢どころか名前までしっている様子だったし。


「はは、七瀬お前、何で彼女は俺の事を知ってるんだ?って顔だな」


「そ、そりゃそうだよ!」


 俺は今日初めてカフェで働く彼女と会って、【雪】という名前すら今マスターが話しているので知ったばかりだ。

 それを彼女は俺の年齢まで知っているとは、疑問を持たない方がおかしい。


「実はな、」


 口元を少しニヤつかせながら顎髭を触るマスターは、もったいぶった口調で話し始めた。

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