ノート
「まあ落ち着け、ヤス。お前が混乱するのも分かる、俺だって驚いてるさ」
「いや落ち着けって言われたって……」
ヤス兄はなんとか状況を把握しようと、ずっと額をグリグリと指で揉んでいる。
「それに、この内容……少し気になるところが多いのもある」
「……内容、?」
ヤス兄は力尽きたような声で目を顰めながら開かれているノートを見る。
「気になるって言ったって……こんなの各方面から嫌がらせされていたって事実だろ、」
見たくない、そんな風にノートから目を背ける。
「それはそうなんだが……」
言いにくそうに、マスターが俺をチラリと見た。
「【あの人】とか、【呪い】とか……そういう言葉、だよね」
「ああ……単なる【嫌だった事を書く日記】じゃなさそうにも見える」
「どういうこと?」
ノートから目を背けていたヤス兄が、俺たちの会話に眉をひそめながら再びノートへと目線を動かした。
「ほら、よく読んでみろ。文章の節々にそういう事が書いてあるだろう」
マスターに言われ、ヤス兄がまじまじとノートを読み返す。
確かに、ページをめくってもめくっても、「呪い」「あの人」など、他にも共通するワードが何度も出てきている。
「……まあ、確かに。言われてみるとそんな事も書いてあるけど……呪いなんて何かの言い回しとかじゃないのか?俺たちだって歌詞によく入れるだろ、何かに例えた言葉とか……それにあの人ってのは嫌がらせしてた名前も知らない奴だってことかもしれないし」
ヤス兄の言っていることは正論だ。
普通に考えたら、そう思える。
だけど「呪い」という言葉に関して、俺には心当たりがある。
しかし、病院でのあの話をするべきなのかどうか、いまだに悩んでいた。
「でも、ここ。よく読んでみて」
そう言い、まず呪いの話は後回しにすることにし、気になるある一行を指さす。
【美和の時と同じ。あの人はまた繰り返してる。最悪だ。】
「ここの文章が何だって言うんだ」
だんだんと、少しイライラした様子でヤス兄が返事をする。
「この書き方だと、この美和って人はユキの知り合いのはず。で、【あの人】は繰り返してる……繰り返してるってことは前にも同じことをしたってことだろ?名前も知らない人に何度も同じことをされるなんておかしいよ」
「言いたいことは分かるけどさ……だったら何で名前を書かないんだよ。この美和って人は名指しで書いてるのに、おかしいじゃないか」
「それは、そうだけど……でも、あえてその人だけ名前を避けてるとも考えられるよね?それに「あの人」は何度か出てくるし、同一人物だと考えるのが妥当じゃない?」
だがヤス兄は、そんな俺の言葉を振り切るような勢いでページをめくる。
「こっちの呪いってやつだって、昔母親に言われた言葉が呪いみたいに残ってるって意味じゃないのか?」
そして更に詰め寄った口調でヤス兄がトントンとノートを指さす。
「ユキちゃんが母親に本当に呪われてたってか!?そんなことあり得ないだろ!どうやって人を呪うって言うんだよ!?言ってみろよ!」
徐々にヒートアップするヤス兄は、ドンっとテーブルに拳を叩きつけた。
「それは、……」
病院での話をすべきなのかどうか、ヤス兄の混乱している様子を見れば見るほど話すのを躊躇してしまう。
「ヤス、落ち着け。七瀬だってふざけて言っている訳じゃ無いんだ、それくらい分かるだろう」
「っ、……」
マスターの言葉に唇を噛み締めるヤス兄。
額にはなんだか少し汗が滲んでいるようにも見える。
「ルカと重ねて見るのはやめろ。これはユキちゃんの話であって、ルカとは別問題だ」
「別に、そう言う訳じゃ……」
「え、ルカちゃんの話、マスター知ってたの?」
あの話は、マスターには話さなかったはず。
多少は気づいていたかとも思ってはいたが、2人の様子を見る限り全て知っている雰囲気だ。
「……黙ってて悪い。マスターには相談してたんだ、1年前のあの記事が出る前から」
言いながらうな垂れるようにそう言った。
「色々アドバイスも忠告もされてた……なのに俺はルカを助けてやれなかった。何も見えてなかったんだよ、自分のことに必死でさ、そうやって言い訳ばっかりして」
いつも飄々としていて、あまり人に弱い部分を見せないヤス兄が泣きそうな顔で握ったままの拳をギュッとさらに握りしめる。
もちろんあっさり別れた、だなんて思っていない。
だが、別れた後も普段通りに振舞っていたヤス兄の辛い気持ちをちゃんと知ろうとしていなかった、そう思い知らされる。
「……だからもうウンザリなんだよ、呪いとか名前も知らないアイツとか、ルカの時にもそんなの散々あった。じゃあなんだ?ルカの手紙に書いてあった【一生幸せになれない呪い】ってやつも有効ってことか?そしたらルカはどうなるっていうんだ?俺と別れてもずっと地獄のような生活をしてるのか?」
ぶつけ所の無い怒りを込めて取り乱すヤス兄は「もう訳わかんねぇよ」とノートに手を置いた。
「なんなんだよ、これ……本当に、」
そしてポロポロと涙を零し始めた。
「……ヤス兄、?」
「なんで……なんでだよ、」
涙で濡れた顔を上げたヤス兄の唇が少し震えているのが分かる。
「……なんでこのノートから、こんなの……感じるんだよ……」




