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事情聴取

 あれから何分経ったのだろうか。

 未だ枯れることのない涙を流しながら、上手く定まらない視界で目の前の壁をぼんやりと眺める。


 すると、ヒンヤリとした感覚が俺を抱きしめるような、冷たいのに温かい、そんな矛盾した感覚が俺の背中を包んだ。

 ユキの眠っている部屋の扉から冷気が漏れている?

 いや、違う。この空気は漏れ出ているというより俺を、この場にいる俺だけを確実に包み込んでいる。


「ユキ……?」


 何でかは分からないが、ユキだと、そう確信めいた感覚があった。

 もしかしたら俺の妄想だったのかもしれない。

 あまりの混乱で頭がおかしくなっただけのかもしれない。


 でも、俺には聞こえたんだ。


「ナナ、泣かないで。」


 ユキの声が。


「ユッ……」


 名前を口にしようとした時、冷たい指が俺の唇の動きを止める。

 姿形は見えない。ただ、そんな感覚があっただけだ。


「ごめんね、ナナ。私のせいでアナタを傷つけてしまった」


 ユキのせいじゃない!

 そう声にしたくても、ヒンヤリとした指の感覚が唇に触れたまま、口が、喉が、凍りついたかのように動かず声が出ない。


「でも、これだけは信じて……私はアナタを愛してた。本当に愛してた、愛してしまったの」


 そんなこと分かってる!疑ったことすらない!

 何度声を出そうとしても、金縛りのように全身がピクリとも動かない。


「……お願いがあるの。ナナ、どうか……私の呪いを解いて」


 呪い……?


「まだ何も終わってない」


 一方的にそう話すユキは「真実を見極めて、本当の私を探して」と耳元で囁いた。


「最後まであなたを巻き込んで…ううん、自分勝手でごめんね。こんな私を愛してくれてありがとう、ナナ……」


 そして、ふっと身体が軽くなり、ユキの気配がなくなる。

 動けるようになった勢いで、その場に両手をついた。


 ユキの言葉に、また涙があふれる。

 自分勝手だったのは俺の方だ。ユキはいつも笑顔で俺を支えてくれて…


 そう思い、ふとユキの言葉が頭を過ぎる。


 呪い、終わっていない、真実……


 呪いってなんだ?

 まだ何も終わってない……?

 真実を見極めて本当のユキを探す…?


 一体なんの話なのかは全く分からないが、今のがユキだったことには間違いない。

 なぜだか分からないが、それだけは断言できる。


「…ユキ、わかったよ」


 そう一言言い、立ち上がった。


 まだ理解は出来てないけど、出来る事から始めよう。


 それには、まず何があったのかを知らなければ。

 俺の目の前で起きた一瞬の出来事だけが全てではないはずだ。


 ユキの声と、そんな思いで足を動かした。


 涙で滲む視界を手のひらで拭い、振り返り、ユキがいる部屋の冷たい扉に手を当てる。


「ユキ、行ってくる…呪いは必ず俺が解くから、安心して待ってて」


 扉越しにユキへそう呟くと、ヤス兄が向かった先へと俺も歩を進めた。


「……七瀬、」


 壁に背をつけて待っていたヤス兄が俺に気がつき、声をかけた。

 その横にはスーツを着た男性もいる。


 多分警察の人だろう。

 ずいぶん待たせてしまったが、男性は嫌な顔をする事もなく俺に一礼した。


 二人が待っていたのは【夜間受付】と書かれた、薄暗く静かな場所だった。


 泣き腫らした俺の顔を見て「お気持ちお察しいたします」と警察の男性も俺に声をかける。


「はい、……待たせてしまったようで、すみませんでした」


 まだ流れてくる涙をまた拭い、鼻を啜った。


「こんな時に大変申し訳ないのですが、お話を聞かせていただきたいので、あちらの車までよろしいでしょうか」


 丁寧な口調で、入口の外に待機している車を指し示した。


「はい」


 短く返事をして、男性の後ろをついて行く。

 案内された車の中は暖房が効いており、狭い車内を暖かい空気が包んでいる。

 外はまだ雪が降り続いており、温度差で窓ガラスが曇っている。


「私は本件担当の佐野と申します。早速ですが……」


 そう言いながら、メモのようなものを取り出しパラパラとめくり始めた。


「事故当時の事をお伺いできますか?……もちろん、今はお話できる範囲で構いません」


「……はい」


 思い出したくもない、つい数時間前の出来事。

 だが、ユキの為にもきちんと知らなければ。

 そう思い、口を開いた。


「俺たち二人は婚姻届を出そうと、市役所に向かう途中でした」


 俺の話に相槌を打ちながら、佐野さんがメモをとる。


「市役所前の大きい交差点で……信号が赤だったので、俺たちは信号が変わるのを待ちました。信号が青に変わって、俺たちが交差点内に入った瞬間……ほんの一瞬でした。ユキが俺より少し前を歩いていたんです。そしたら車が物凄いスピードで突っ込んできて……」


 そこまで話すと、止まっていた涙がまたポロポロと出てくる。


「……ゆっくりで大丈夫ですから」


「はい、……ありがとうございます」


 まだ血痕が残る手で涙を拭ながら、俺は続けた。


「多分ワンボックスカー…あの、軽バンっていうんですかね。そんな感じの車だったと思います。実際、俺はほとんど放心状態だったので……その後の周りの詳しい状況とかはあまり覚えていないんです。すいません……」


「いえ、大丈夫ですよ、場所が場所だけに目撃者も多数いますので。それと、通報してくれた方ですが、お知り合いの方でしょうか?」


「通報した人……?ああ、そういえば……」


 そうだ、混乱する俺に声をかけてくれた人だ。

 その人が警察と救急車に連絡をしたと言っていたはずだ。


「確か、40代くらいのスーツを着た男性だったと思います……知り合いではないです」


「なるほど……そうですか、」


「その人が何か……?」


「あ、いえ、通報者の方が不明でして……まあ、あれだけ人がいたので連絡だけして名乗らず帰宅したと言う事もよくあります」


「あの……因みに、運転手の人は……」


「今は署で事情聴取を受けています。本人も概ね認めていますので直ぐに逮捕となると連絡がきています」


「そうですか……」


 それを聞き、グッと拳に力が入ってしまう。

 例え事故だったとしても、車道が赤信号で突っ込んでユキを……殺した犯人だ。

 何があっても許せる人物ではない。


「……どんな人なのかとか、聞いてもいいんでしょうか」


「ええ、まあ貴方は芸能人なので、直ぐにニュースにもなるでしょうから」


「え、ニュース……?いや、ニュースになるのはわかりますけど、俺が芸能人なのと関係が……?」


「……」


 少し迷った様子で口をグッと閉じた佐野さんは、目を閉じフーッと大きく息を吐いた。




「落ち着いて聞いてください……トラックを運転していたのは20代の女性でした。聴取では貴方のファンを名乗っています」




「………………は、?」


 全身に鳥肌が立ち、息が止まったかと思った。


「お、れの……ファン……?」


「……まだ聴取が終わっていないので、今はこれ以上言えませんが、おそらく明日のニュースにはなるでしょう」


 俺のファンが、ユキを殺した……?


 嘘だろ……?


「な、なんで!?なんで……!俺をいますぐソイツの所に連れて行ってくれ!直接聞く!」


 意味がわからない……

 何で俺のファンで、それでユキを殺すってことになるんだ!?


「落ち着いてください!今は無理です!」


 興奮する俺をなだめるように肩を抑える佐野さんは「貴方も無関係じゃない、進展があればきちんとお話しますから!」と揺れる車内で大声を出された。


 すると、コンコンと車の窓を叩く音が聞こえる。

 混乱する中、窓の外を見ると曇りガラス越しに人影が見える。

 佐野さんが結露した窓を手のひらで雑に拭うと、ヤス兄の心配そうな表情が見えた。


「あ、ああ……どうかされましたか?」


 ノックをしたのはヤス兄だったらしく、俺の肩を押さえつけたままの佐野さんが窓を開けそう聞いた。


「いや、……なんか揉めてるように見えたんで……」


「いえ、……揉めていた訳じゃ……先ほど保久さんにもお話した事を、」


 佐野さんがそこまで言うと、察したかのようにヤス兄が声をかけてきた。


「……おい、七瀬。気持ちはわかる。俺だって今直ぐ犯人の所に殴り込みに行きたい気分だ。俺が七瀬の立場だったらきっと大人しくしていられないと思う……でも、まずはきちんと状況を整理しよう。俺たちは……自分たちの事で精一杯で周りで何があったのか、……起きていたのかを、見れていなかったのかもしれない……」


「……っ、」


 それを聞いた俺は先ほどのユキの言葉を思い出し、強張った肩の力が抜け、脱力するように車のシートに背を預けた。

 そんな俺の様子に、ほっとした佐野さんも俺の肩から手を離す。


「さっきアサヒとマコにも連絡したから、もうすぐ来ると思う。佐野さん、お話中すみませんでした」


「いえ、こちらこそ助かりました」


 そう二人が交わすと、再び窓は閉められ、佐野さんの目線が俺に向けられた。


「申し訳ないですが、犯人に関して今伝えられるのはそれだけです。正式に逮捕されれば面会もできますが……保久さんも言っていた通り、我々警察も事件の全貌を明らかにしなければいけません。七瀬さんが取り乱すのも無理はありませんが……もう少しだけ捜査協力にお時間いただいてもよろしいでしょうか」


 落ち着いた声でそう言われ「…はい」と力なく返事を返す俺に、佐野さんはまたゆっくりと口を開いた。

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