6.リタ、実家へあいさつに行く 3
店は大通りから少し入った場所。
住宅街に入る手前、小さな商店街の一角にある。
表は店。
だが玄関は裏手にある造り。
住居スペースは二階と、店の奥。
王都とはいえ郊外のため、思っているより広い。
小さな中庭。
そこにはハーブが植えられている。
店で使う香草パンは、ここから採れるものだ。
乾燥させて、お茶にすることもある。
店内には小さなイートインスペース。
母がブレンドした紅茶を出すこともある。
――そんな、いつもの家。
「館長、こちらです」
停留所からの道を、並んで歩く。
館長は相変わらず表情が少ない。
けれど、いつもより少しだけ静かだった。
目の奥に、わずかな緊張。
「いい家だな」
中庭のハーブを見て、ぽつりと呟く。
その一言だけで。
胸がきゅっと締まる。
(夢みたい……)
この家に、館長がいる。
しかも――結婚の挨拶のために。
スーツ姿で。
「おい、リタ」
声で引き戻される。
気づけば立ち止まっていた。
(だめ、ちゃんとしないと)
頭が追いつかない。
ただ案内するだけなのに、それだけでいっぱいいっぱい。
「父と母が待っています。こちらです」
中庭を抜け、玄関へ。
木製の扉。
金属のドアノブ。
開けると、すぐキッチン。
奥にリビング。
木の家具と、季節の花。
リタにとって、一番落ち着く場所。
その空間に、館長を連れてくる。
それだけで、現実が少し歪む。
リビングに入る。
両親の前に立つ。
そして、母と父が振り返る。
そこに、館長が一歩前へ出る。
「初めまして。ミハエル・マートンと申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
すっと頭を下げる。
迷いのない所作。
父に向けた、はっきりとした声。
母がすぐに笑顔で応じる。
「ようこそ。お待ちしておりました」
柔らかい声。
ぴりっととた空気が少し緩む。
「こちら、リタさんから伺っていたお店の菓子です。よろしければ」
「まあ、お父さん。お土産よ」
自然なやり取り。
それを見ているだけで、リタの心臓が早くなる。
(これ……本当に結婚の挨拶みたい……)
……いや、実際そうなのだが。
今さら実感が押し寄せる。
視線を向ける。
父。
椅子に座ったまま、館長をじっと見ている。
動かない。
(お父さん……!)
焦る。
挨拶くらいしてほしい。
けれど、よく見れば、父の手はわずかに固まっている。
緊張している。
(あ……)
理解する。
自分と同じだ。
似ている。
だから、わかる。
「お茶、用意してきますね。お父さん、お願い」
「ああ……」
ようやく出た声。
ぎこちない。
父も背が高い。
館長も同じくらい。
並ぶと、空気が張る。
「改めまして。リタさんとお付き合いさせていただいております、ミハエル・マートンです」
再び丁寧な言葉。
――けれど。
「堅いのはいいよ」
父が少しだけ笑う。
「うちはそんなに構えなくていい」
リタも続ける。
「館長、いつも通りで大丈夫です」
一瞬の間。
館長が、小さく頷く。
「……ありがとうございます」
空気が、少し柔らぐ。
「リタが幸せなら、それでいい。ただ……急でね」
父の言葉。
正直な本音。
「ごもっともです。私の事情で、急な話となってしまいました」
館長は視線を逸らさない。
真っ直ぐに受け止める。
「兄の死により、家を継ぐことになりました。結婚も、それに伴うものです」
静かな説明。
……だが。
「ただ――」
一拍。
「それがなくとも、いずれリタさんと一緒になりたいと思っていました」
(え……?)
思わず息を飲む。
聞いていない。
そんな話。
館長の声は、揺れていない。
「仕事ぶりを見ていました。私情を挟むべきではないと思い、伝えられませんでしたが」
真剣な瞳。
「相手は、リタさんしかいないと考えています」
言い切る、迷いなく。
父がゆっくり頷く。
「……そこまで思ってくれているなら」
少しだけ、力が抜ける。
「リタは普通の娘だ。貴族にふさわしいかはわからん」
正直な言葉。
……でも。
「それでも、あんたがそう言うなら」
受け入れる声。
「ありがとうございます」
館長が頭を下げる。
リタはただ、黙っていた。
言葉が出ない。
ただ――胸の奥が、じんわりと熱い。
それからは穏やかな時間。
持ってきたチョコレートムースケーキ。
ミセス・ココアの限定品。
それを囲んで、会話が続く。
少しずつ、笑いも混じる。
(空が、きれい……)
ふと窓の外を見る。
晴れた空。
いつもの景色。
――なのに、すべてが少し違って見える。
(わたし、本当に結婚するんだ……)
まだ実感はない。
けれど。
確かに、少しずつ現実になってい――た。




