51.リタ、新しい家族がふえる2
それから、数か月がたった。
リタのお腹は、すっかり大きくなっていた。
何かと身の回りのことを手伝ってくれるミハイル。
そして、先輩として何かと気にかけてくれるローラ。
義両親もあたたかく見守ってくれている。
ルークも、まるで兄弟が増えるように楽しみにしていた。
屋敷の空気は以前より明るく、穏やかだった。
新しい家族を待つ。
それが、こんなにも幸せなことなのだと、リタは初めて知った。
そして――出産の日は、静かに始まった。
その朝。
リタは、いつもとは違う違和感で目を覚ました。
お腹の奥が痛む。
「……っ」
小さく息を呑む。
隣で眠っていたミハイルが、すぐに目を開けた。
「リタ?」
「……たぶん」
ゆっくりと呼吸を整える。
「始まったみたいです」
一瞬、ミハイルの表情が止まる。
けれど次の瞬間には、静かに起き上がっていた。
「分かった」
その声は落ち着いている。
だが、よく見ると少しだけ手が震えていた。
思わず、リタは小さく笑ってしまう。
「……ミハイルさんのほうが緊張してませんか?」
「している」
即答だった。
その真剣な顔がおかしくて、リタはまた笑う。
最近のミハイルは、育児の本ばかり読んでいた。
きっと出産についても、たくさん調べていたのだろう。
次の痛みが押し寄せ、思わず顔をしかめる。
すぐにミハイルが手を握った。
「大丈夫か」
「……はい」
まだ耐えられる。
そう思っていた。
けれど、時間がたつにつれて痛みは少しずつ強くなっていく。
波のように押し寄せる痛み。
息を整えても、逃げ場がない。
「っ……」
思わず声が漏れる。
額に汗がにじむ。
助産師たちの声が聞こえる。
呼吸を促される。
けれど、痛みで頭が真っ白になりそうだった。
(……怖い)
不意に、そんな感情が込み上げる。
本当に無事に生まれてくるのか。
自分はちゃんと、この子を守れるのか。
不安が胸を締めつける。
――そのときだった。
ぎゅっと、手を握り返される。
「リタ」
ミハイルの声。
視線を向けると、彼はずっとそばにいた。
「ここにいる」
短い言葉。
けれど、その声だけで少し呼吸が楽になる。
「君は、一人じゃない」
まっすぐな言葉だった。
その瞬間。
リタの胸の奥で、不思議と恐怖がやわらいだ。
そうだ。
一人じゃない。
ずっと。
ミハイルは、自分の隣にいてくれた。
次の痛みが来る。
リタは息を整えた。
そして、ミハイルの手を強く握り返す。
「……会いたいです」
かすれる声で言う。
「この子に」
ミハイルの目が、わずかに揺れた。
それから、やわらかく目を細める。
「ああ」
静かな声。
「俺もだ」
それから、どれくらい時間がたったのか分からない。
長かったような。
一瞬だったような。
痛みの波に飲み込まれながら、必死に呼吸を繰り返す。
そして――
その瞬間は、突然訪れた。
部屋の空気を震わせるように、小さな産声が響く。
一瞬、世界が止まった気がした。
「……あ」
涙が、自然とあふれる。
聞こえる。
生きている声。
小さくて。
けれど、確かに力強い命の音。
やがて、そっと腕の中へ預けられる。
小さな体。
温かくて、やわらかい。
小さな指が、かすかに動いた。
「……会えた」
震える声で呟く。
胸がいっぱいだった。
その隣で、ミハイルが静かに息を吐く。
振り向くと、彼は赤ん坊を見つめていた。
今まで見たことがないほど、やわらかな表情。
まるで壊れものを見るみたいに、そっとその小さな手へ触れる。
「……小さいな」
かすれた声。
その目が、少しだけ赤かった。
リタは思わず微笑む。
「泣いてます?」
「泣いていない」
即答だった。
けれど、声が少し震えている。
そのままミハイルは、そっとリタの額へ触れた。
「……ありがとう」
静かな声。
「頑張ってくれて」
リタはゆっくり目を閉じる。
疲れているはずなのに、不思議と心は満たされていた。
腕の中の命。
隣にいるミハイル。
あたたかな体温。
(……家族が増えたんだ)
その実感が、胸に静かに広がっていく。
窓の外では、やわらかな光が空を染め始めていた。
長い夜が明けていく。
まるで、新しい人生の始まりを祝福するように。




