表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王立図書館長が突然辞職することになったのですが、なぜか部下の私に求婚してきました  作者: 杜咲凜
第五章 空を見上げた先に

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/52

52.リタ、今日も空を見上げる

 春の風が、庭をやさしく吹き抜けていた。

 白いユリが揺れる。

 その向こうを、小さな足音が駆けていく。

 

「おかあさま!」

 

 弾む声。

 リタは思わず笑みを浮かべ、振り返った。

 まだ幼い娘が、本を抱えたままこちらへ走ってくる。

 

「走ると転びますよ」

「だいじょうぶ!」

 

 元気よく答えながら、勢いよくリタへ抱きついてくる。

 その後ろから、少し困ったような声がした。

 

「……だから走るなと言ったんだ」

 

 ミハイルだった。

 以前より少し柔らかくなった表情で、こちらへ歩いてくる。

 腕の中には、まだ小さな娘。

 二人目の子どもだ。

 娘は眠そうに目をこすりながら、父親の肩へ頬を預けていた。

 

「ミハイルさん、顔が少し怖いです」

「怖くしているつもりはない」

「子どもたちが少し怯えています」

「……そうか?」

 

 真面目に悩み始めるミハイルに、リタは小さく吹き出した。

 そんなやり取りも、今では日常だった。

 

 あれから、数年が経った。

 領地には小さな図書室ができ、子どもたちが本を借りに来るようになった。

 読み書きを覚えたばかりの子どもたちが、目を輝かせながら本を開く姿を見るのが、今のリタの楽しみだった。

 そしてミハイルは、相変わらず忙しい。

 けれど、以前よりよく笑うようになった。

 

 夜は家族で食卓を囲む時間を大切にし、休日には子どもたちへ本を読んで聞かせている。

 不器用なのは変わらない。

 けれど、その不器用ささえ愛おしかった。


 「おとうさま、これ読んで!」

 

 長女のエレノアが、本を差し出す。

 ミハイルは少し困った顔をしながらも、本を受け取った。

 

「……またこの本か」

「好きなんです!」

「昨日も読んだだろう」

「でも今日も読みたい!」

 

 最近、リタは子育てをしながら絵本を作った。

 リタが好きだった異世界転生の物語を、子どもでも楽しめる作品にしたのだ。

 知り合いの絵本作家と一緒に作ったその本は、今ではエレノアのお気に入りになっている。

 

 その制作過程は、どこか懐かしい感覚があった。

 まるで、遠い記憶の中で、スーツ姿の自分もこうして本を作っていたような。

 

 異世界転生の物語がきっかけで出会ったリタとミハイル。

 だからこそ、娘がその本を好きになっているのが、どこかおかしかった。

 

「……分かった」

「やったー! おとうさまだいすき!」

「そう言って、この前は寝る前に五回も読まされた」

 

 ふう、と小さくため息をつくふりをする。

 けれど、その目はどこか優しかった。

 そう言いながら、エレノアの頭を撫でる。

 

 その光景を見ながら、リタはふと空を見上げた。

 高く、澄んだ青空。

 

 昔から、空を見るのが好きだった。

 前世でも。

 この世界でも。

 苦しいときも。

 泣きたかったときも。

 いつも、空を見上げていた。

 けれど今は。

 一人で見上げているわけじゃない。

 

「リタ?」

 

 不意に名前を呼ばれる。

 振り向くと、ミハイルがこちらを見ていた。


 「どうした」

 「……いえ」

 

 リタはやわらかく微笑む。

 

「幸せだなって思って」

 

 一瞬、ミハイルが目を見開く。

 それから、少しだけ照れたように目を逸らした。

 

「……そうか」

 

 短い返事。

 けれど、その耳が少し赤い。

 リタは思わず笑ってしまう。

 

「笑うな」

「ふふ、ごめんなさい」

 

 そんな会話をしていると、次女が小さく目を覚ました。

 眠そうなまま、ミハイルの服をきゅっと握る。

 その瞬間。

 ミハイルの表情が、驚くほどやわらかく崩れた。

 リタは静かに目を細める。

 

(……変わったな)

 

 最初に出会った頃。

 彼は、どこか遠い人だった。

 静かで、優しくて。

 けれど、何かを失うことを恐れている人。

 

 今でも、その傷が完全に消えたわけではないのだろう。

 エレナのことも。

 前世のことも。

 本当の答えは、きっと誰にも分からない。

 自分が本当に“彼女”だったのか。

 それとも、ただ面影を重ねていただけなのか。

 

 けれど、あれから思い出すことも少なくなった。

 

 子育て中心の生活は、存外忙しい。

 疲れて眠ってしまう。

 それこそ、夢なんて見ないくらいには。

 

 遠い記憶は、少しずつ薄れていくのかもしれない。

 

 ――それでも。

 リタは、きっとこれからも空を見上げるのだろう。

 それが、もう癖のようになっているから。

 こうして空を見上げて。

 今という時間を生きている。

 それが、リタの幸せだった。

 

 風が吹く。

 白いユリが、やさしく揺れた。

 その花を見つめながら、リタはそっと思う。


 (……最初から)

 

 きっと、ずっと。

 私は、この人が好きだった。

 理由なんて、もういらない。

 

 ミハイルがこちらへ歩いてくる。

 自然に、手が重なる。

 温かい。

 少し大きくて、落ち着く手。


「……リタ」

「はい」

「これからも」


 静かな声。

 けれど、その先は聞かなくても分かる。

 リタは、迷わずうなずいた。


 「ええ」

 

 そして、小さく笑う。

 

「ずっと、一緒です」

 

 その言葉に、ミハイルもやわらかく微笑んだ。

 空には、春の光が広がっている。

 穏やかで。温かくて。

 どこまでも優しい空だった。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。


リタとミハイルの物語を、最後まで見届けていただけてとてもうれしいです。


この作品は、かなり前に考えていた物語を、今の自分で改めて最後まで書ききった作品でした。


不器用な二人が、少しずつ同じ景色を見られるようになっていく。

そんな時間を書きたいと思いながら執筆していました。


前世の記憶や、エレナの存在については、

あえてはっきり答えを決めない形にしています。


それでも二人は、“今”を選び、共に生きていく。

その未来を書けてよかったです。


少しでも、この物語を楽しんでいただけたなら幸いです。


本当にありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ