50.リタ、新しい家族がふえる1
最近、少しだけ体調が違っていた。
朝になると、妙に眠い。
食事の匂いに敏感になったり、逆に今まで好きだったものが食べたくなくなったり。
立ち上がった瞬間に、ふらりと視界が揺れることもある。
(……疲れているのかな)
最初は、そう思っていた。
領地での生活にも慣れてきたとはいえ、環境は大きく変わった。
図書室の準備も始めたばかりで、考えることも多い。
だから、少し疲れが出ているだけなのだと。
けれど、ある朝。
食堂へ向かう途中で、不意に強い吐き気を覚えた。
「……っ」
思わず壁へ手をつく。
その瞬間、後ろから足音が近づいた。
「リタ?」
ミハイルだった。
すぐに駆け寄ってくる。
「どうした」
「だ、大丈夫です……」
そう答えようとして、また少し気分が悪くなる。
ミハイルの表情が変わった。
「顔色が悪い」
そのまま当然のように、リタの肩を支える。
「今日は休め」
「でも……」
「でも、じゃない」
珍しく強い口調だった。
「すぐ医師を呼ぶ」
「そこまでじゃ……」
「リタ」
静かな声。
けれど、有無を言わせない響きがあった。
結局そのまま部屋へ戻され、午後には医師がやって来た。
診察は静かに進んだ。
いくつか質問を受け、脈を確認される。
そして――
医師は、やわらかく微笑んだ。
「おめでとうございます」
その言葉に、リタは瞬きをする。
「……え?」
「ご懐妊です」
一瞬、頭が真っ白になる。
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「本当に……?」
思わず問い返す。
医師は穏やかにうなずいた。
「ええ。まだ初期ですが、間違いありません」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
驚き。戸惑い。
そして、それ以上に――うれしい。
気づけば、そっとお腹へ手を当てていた。
まだ何も感じない。
それでも、そこに新しい命があるのだと思うと、不思議なくらい胸が満たされていく。
医師が帰ったあとも、しばらくぼんやりしていた。
窓の外を見る。
やわらかな陽射し。
風に揺れる白いユリ。
(……家族が、増える)
その実感に、胸がいっぱいになった。
やがて、部屋の扉が開く。
ミハイルだった。
「医師から話を聞いた」
少しだけ息を乱している。
急いで戻ってきたのだろう。
リタは思わず、小さく笑った。
「そんなに急がなくても……」
「リタのことが心配なんだ。それ以上大切なものはない」
真顔で返される。
そのまま、ミハイルはゆっくりとリタの前に膝をついた。
そして、お腹へそっと触れる。
壊れものに触れるみたいに、やさしく。
「……本当なのか」
珍しく、少しだけ自信のない声だった。
「はい」
リタがうなずくと、ミハイルは静かに目を閉じた。
安堵したように、小さく息を吐く。
「……そうか」
その声は、少し震えていた。
次の瞬間、そっと抱きしめられる。
強くではない。
けれど、大切なものを包み込むような抱擁だった。
「……ありがとう」
低く、かすれた声。
「本当に、うれしい」
リタの胸が熱くなる。
ミハイルの手が、背中をゆっくり撫でた。
「体は?」
「今のところは、大丈夫です」
「無理はするな」
即答だった。
「少しでもつらかったら言え」
「はい」
思わず笑ってしまう。
そんなリタを見て、ミハイルも少しだけ表情を緩めた。
「図書室の準備も、しばらくは無理をしない範囲でやればいい」
「……まだ何も言っていないのに」
「考えていることは分かる」
当然のように言う。
その声が優しくて、リタはまた笑ってしまった。
ミハイルはもう一度、そっとお腹へ視線を落とす。
そこにはまだ、小さな命が眠っているだけだ。
それでも。
その存在は確かに、二人の未来を変え始めていた。
「……家族が増えるんだな」
ぽつりと落ちた言葉。
その響きに、リタは胸がいっぱいになる。
「はい」
静かにうなずく。
ミハイルは、そっとリタの額へ口づけた。
「……この一年は、忙しくなるな」
その言葉に、リタは目を細める。
もう、親ばかの気配があるミハイル。
くすっと笑ってしまう。
リタ自身、初めてのことで不安がないわけではない。
けれど、一人ではない。
そう思えるだけで、こんなにも心強かった。
窓の外では、風に揺れる白いユリが、静かに陽射しを受けていた。




