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王立図書館長が突然辞職することになったのですが、なぜか部下の私に求婚してきました  作者: 杜咲凜
第一章 突然のプロポーズ

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4.リタ、実家へあいさつに行く 1

「館長、本当に行くんですか?」


「今さら何を言う。当たり前だろう」


 書庫で居残り作業をしていた最中、館長はごく当然のことのように言った。


 リタの実家へ、挨拶に行くと。


 その一言に、リタは本を持ったまま固まった。


 リタの家は、どこにでもある庶民の家だ。

 父と母が営む小さな店があり、広いわけでもなければ、特別な調度品があるわけでもない。


 そんな場所に、伯爵家の息子であり、王立図書館の館長でもあるこの人がわざわざ来る。


 改めて考えると、現実味がなかった。


「い、いえ……事後報告でもいいのかなって。うちはそんなに厳しくないですし……」


「そういうわけにはいかない」


 きっぱりとした口調。


 館長は意外と、こういうところだけ妙に真面目だ。


 いや、妙に、ではないかもしれない。

 この人は基本的にいつも生真面目だ。


 ただ、見た目が少しだけだらしなく見えるだけで。


 仕事中は制服をきちんと着こなしているが、休み明けには寝癖が残っていることもあるし、書庫に長時間こもったあとは袖をまくったまま出てくることもある。

 独身男性らしい、少しルーズな一面。


 そういう隙が、リタにはむしろ気楽だった。


 見た目まで完璧で、いかにも貴族らしい男性は苦手だ。

 何を考えているのかわからないし、どう接していいのかもわからない。


 その点、館長は不器用で、わかりにくいくせに、根は律儀で優しい。


 そこが好きだった。


「日程を聞いてもらえると助かる」


「は、はい……」


 返事はしたものの、リタの心は落ち着かない。


 (どうしよう……)


 親にどう説明すればいいのだろう。


 上司と結婚することになりました。以上。


 そんな一言で済むわけがない。


 いや、そもそも自分でもまだ処理しきれていない話なのに、他人に説明できるはずがない。


 リタが本気で悩み始めたとき、不意に視界に影が落ちた。


 次の瞬間、ぽん、と頭に手が乗る。


「館長……?」


 見上げる。


 館長はやはり背が高い。

 たぶん百八十センチくらいある。


 リタは小柄だから、こうして近くに立たれると、自然と見上げる形になる。


 いつもは机を挟んで話すことが多い。

 お互い座っていることが多いから、こうして身長差を意識することは少なかった。


 外で並んで歩いたことなど、一度もない。


「急がせるようで悪いな。不安なことはないか」


 低く、落ち着いた声。


 甘やかすような響き。


 こんな近い距離で、こんな声を向けられたことはなかった。


 リタはじわっと顔が熱くなるのを感じた。


 (近い……)


 いや、それだけではない。


 こんなふうに、真正面から気遣われること自体が珍しい。


 思い返せば、館長は前から時々こうだった気もする。

 だが、それを意識したことはなかった。


「……ないって言ったら、嘘になります」


「そうだろうな」


「私でいいのかなって」


 ぽろりと零れた本音。


 館長はため息をつくように言った。


「またその話か。お前は、自信がなさすぎる」


「自信って、どうやったらつくんですか」


 半分やけになって言い返す。


「館長が平静すぎるんですよ」


「平静なわけないだろう」


 珍しく即答だった。


「嫁になる相手の実家に挨拶に行くんだぞ」


 その言葉に、リタの心臓がどくんと鳴る。


 嫁。


 そうだ。

 自分は、館長の嫁になるのだ。


 言葉にされると、途端に現実味が増す。


「でも、すごく落ち着いて見えます」


「見えてるだけだ」


 館長はそう言って、少しだけ視線を逸らした。


 その横顔を見て、リタはふと思う。


 この人は、感情を顔に出すのが苦手なのだ。

 ポーカーフェイスで、何を考えているのかわかりにくい。


 だから冷静に見える。


 けれど実際は、案外シャイで、不器用で、変に律儀だ。


 痩せた体つき。

 白い肌。

 やや吊り上がった目元。

 薄い唇。


 決して愛想がいいわけではないのに、見慣れたその顔が、今はどうしようもなく特別に見える。


 (この人が、私の……)


 夫になる人。


 そう思った瞬間、頭が沸騰しそうになる。


 館長はそんなリタを見て、ふっと笑った。


 そして、もう一度だけ、頭を軽く撫でる。


「ゆっくりでいい」


 その言葉は思っていたより優しかった。


「お前のその表情を見ているのも、案外面白い」


「館長!」


 思わず声が裏返る。


 からかわれている。


 ……たぶん。


 いや、絶対に。


 でも、完全に嫌というわけでもない自分がいて、余計に困る。

 だって、この世界に来てから、男の人とこんな近い距離で話したことなんてほとんどなかったのだから。


 この国では、結婚前の男女が二人きりで出歩くことはまだ少ない。

 ここ数年で、女性が公的機関で働くことも増え、昼間に男女が並んで歩く光景も見かけるようにはなった。


 けれど、それはあくまで仕事仲間としてだ。

 しかも、複数人で行動することがほとんど。


 制服を着ていれば、なおさら不自然ではない。

 リタがこの図書館に勤め始めて七年。


 時代は少しずつ変わっているが、それでも休日に異性と出かけるような習慣は、リタにはなかった。


 まして田舎では、そういうことに今も敏感だ。


 友人たちの多くは、すでに結婚している。

 子どもがいる人も多い。


 でも、自分は違うと思っていた。


 ……結婚も。

 ……子どもも。


 どこか遠い、別の世界の話。


 (子ども……)


 その言葉が頭に浮かんで、リタははっとする。


 館長と結婚するということは。


 その先には、当然そういう話もあるのではないか。


 リタはぶんぶんと首を振った。


 ……だめだ。

 今考えるには、情報量が多すぎる。


 今世でも彼氏なんていたことがない。

 前世だって同じだ。


 恋人がいたことのない自分が、いきなり結婚。


 それはもう、天地がひっくり返るような出来事でしかなかった。


 先のことなど、想像できるはずもなかった。

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