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王立図書館長が突然辞職することになったのですが、なぜか部下の私に求婚してきました  作者: 杜咲凜
第三章 領地での生活

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33.リタ、職場復帰に悩む

ベルミンガムで過ごす日々は、リタにささやかな変化をもたらしていた。


街に構えられた屋敷は、王都に比べればコンパクトなものだったが、この都市は地価も高い。

屋敷を持てるだけでも、さすが貴族だと感心してしまう。


それに、図書館への立地も良い。

乗り合いの馬車もあり、一人でも気軽に足を運べる。


治安も悪くない。昼間であれば、女性や子どもが歩いている姿も見かけるほどだった。


リタとミハイルは、ここでも変わらない生活を送っていた。

好きな時間に起き、簡単な食事を共にし、そのあとはそれぞれ好きな本を読む。


そしてミハイルはというと、ソファに山のように本を積み上げ、読みながらそのまま寝落ちしていることも珍しくなかった。


朝、リタが起き共有スペースのそこに彼がいる。


そのだらしなさが、どこか懐かしくて。


(……ああ、この人だ)


かつての職場の上司。

自分のよく知るミハイル。


思わず、微笑んでしまう。


身だしなみも、つい疎かになる。

ひげも剃らずにいると、さすがにメグに注意されていた。


それでも、リタが図書館へ行くと言えば、軽くうなずくだけで止めることはしない。


「メグと行きます」


そう伝えれば、「ああ」と短く返すだけ。


そのまま食事もそこそこに、本に戻るあたりが、いかにも彼らしい。

リタにとっても、その距離感は心地よかった。


食事を終えると、メグとともに屋敷を出る。

馬車を手配し、街の中心へ向かう。


図書館へ近づくにつれて、胸の奥が温かくなる。


(……やっぱり、好きなんだ)


本に囲まれて働くこと。

人と本をつなぐ時間。

見上げれば、天井まで届く本棚。

紙の匂いと、静かな空気。

ここが、一番落ち着く。

それは、結婚してからも消えることのなかった想いだった。


***


その日の夕方。

屋敷に戻り、ほっと一息ついていたときだった。


「リタ」


不意に、ミハイルに呼ばれる。

顔を上げると、いつもの穏やかな表情。

けれど、その奥にわずかな真剣さが混じっていた。


夕食を共にしながら、今日読んだ本や図書館で見つけた話をしているときだった。


ふと、視線を感じる。


「どう、かしました?」


問いかけると、ミハイルは一拍置いた。


「もし――」


静かに言葉を選ぶように続ける。


「戻りたいと思うなら、図書館で働くことを考えてもいい」


その言葉に、リタは息を呑んだ。


「……え?」


思わず聞き返してしまう。

ミハイルは落ち着いたまま続ける。


「ベルミンガムでもいいし、王都でもいい。

 方法はいくらでもある」


「でも……」


言葉がうまく出てこない。


「気になっているんだろう」


やさしく言い当てられる。


「……はい」


小さくうなずく。


「ここに来てから、ずっと……」


ミハイルはほんのわずかに目を細めた。


「顔を見れば、わかる」


逃げ場のない言葉だった。


「……本当に、いいんですか?」


ようやく絞り出した問い。

ミハイルは迷いなく答える。


「リタが幸せでいることが、一番大事だ」


その声音はやさしく、揺らぎがない。

けれど、リタの胸には、別の感情が広がっていく。


(……どうして?)


うれしいはずなのに。

どこか、重たい。

自由にしていいは、うれしいのに。

私だけ自由になるは許されるの?


「……ありがとうございます」


それしか言えなかった。

それ以上、ミハイルは何も言わない。

食事のあと、ふたりはいつものようにリビングのソファへ移動する。


並んで座り、それぞれ本を開く。

静かな時間。

ふと横を見ると、ミハイルの横顔。

その距離が、どこか遠く感じられた。


***


夜。

リタはひとり、窓辺に立っていた。

満月が、静かに街を照らしている。


(私は……どうしたいの)


問いが浮かぶ。

働きたい。

その気持ちは、確かにある。


けれどミハイルとの生活も、大切で。

失いたくない。


(どっちも、なんて……)


そんな都合のいいことが、許されるのだろうか。

ふと、思い出す。

――リタが幸せでいることが、一番大事だ。


(……ありがたいの。でも………)


自分のために、譲ってくれているのではないか。

本が好きなのは、きっと館長もだ。

そんな考えが、胸に引っかかる。


(もし、戻ったら……きっと仕事優先になる)


彼を置いていくことになるのではないか。

それは貴族の妻として期待を裏切ることになるのではないか。

不安が、静かに広がっていく。


「……はあ」


小さく息を吐く。

答えは出ない。

どちらも、本当の気持ちだから。


(……でも、答えはださなきゃ)


このままでは、いけないと思う。

本当の気持ちから目をそらしたままでは、何も変わらない。


「……ちゃんと、考えよう」


月明かりの中、そっとつぶやく。

ベッドに入るが、なかなか眠れない。

考えれば考えるほど、答えは遠ざかる。

そして、いつの間にか、意識は途切れていた。


***


翌朝。

目を覚ましても、答えはまだ見つからない。

けれど胸の奥に、ひとつだけ残っているものがあった。


(……逃げたくない。自分の気持ちから)


その小さな決意だけが、静かに残っていた。

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