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王立図書館長が突然辞職することになったのですが、なぜか部下の私に求婚してきました  作者: 杜咲凜
第三章 領地での生活

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31.リタ、新婚旅行へいく 


 あれから、数日が経った。

 ローラは王都へ戻り、入れ替わるように義両親が領地へ訪れた。


「暮らしはどう?不自由はない?」


 やわらかな声で問いかけてくるオーロラに、リタは静かにうなずく。


「はい、とてもよくしていただいています」


 その言葉に、ほっとしたようにオーロラが微笑んだ。

「ミハイルはどうだ?」


 隣で腕を組んでいたリッカルドが、低い声で問いかける。

 少しだけ、言葉に詰まる。


「えっと……お忙しそうではありますが……」


「ふむ……」


 リッカルドが何か言いかけたそのとき、


「旦那様」


 ぴたりとオーロラが制した。


「そういう時代ではありませんのよ」


「そ、そうなのか」


「ええ。女性が働く時代になりましてよ?そういうのは“余計なおせっかい”というのですって」


「……よくわからんな」


 眉をひそめるリッカルドに、オーロラはくすりと笑う。

 ふたりのやり取りは穏やかで、自然で――長い時間を共にしてきた夫婦のかたちだった。

 その様子を見ながら、リタはふと思う。


(オーロラ様みたいに、なれるのかな……)


 流れるような所作。柔らかな気遣い。

 あんなふうに、誰かを支えられる存在に。


「そうだ、リタ」


 オーロラがふと思い出したように声をかける。


「あなたたち、新婚旅行はまだでしたよね?」


「え……はい。領地に来てから、いろいろと……」


「だめよ」


 やさしく、けれどはっきりとした口調だった。


「これから先、時間はどんどん取れなくなります。今のうちに、ちゃんと行っておくべきですわ」


「リッカルド様?」


「あ、ああ……そうだな」


 どこかぎこちなく同意する。

 ふたりの間に、わずかに通じ合ったような空気が流れる。


「たまには夫婦水入らずで過ごすのも大切よ。景色が変われば、心も軽くなるものですから」


「そうだ。仕事のことは忘れて、ゆっくりしてこい」


 咳払いをひとつしてから、リッカルドが続ける。


「別荘はいくつもある。好きなところを使えばいい」


 その言葉に、リタの胸がじんわりと温かくなる。


(家族、なんだ……)


 自分のことを気にかけてくれる人たちがいる。

 それだけで、少しだけ心が軽くなった。


 ***


「で、旅行先なのだが」


 その日の夕食後。

 義両親が別宅へ戻り、館長とふたりきりになった食堂で、彼が切り出した。


「いくつか候補はあるが……ひとつ、気になる場所があってな」


「気になる場所?」


「ああ。リタ、前に話していただろう。気になる図書館があると」


 その言葉に、リタは顔を上げる。


「……商業都市ベルミンガム、ですか?」


「そうだ」


 あの場所。

 かつて研修で訪れた、大きな図書館のある都市。

 各地の司書や研究者が集まり、知識が行き交う場所。


「……行きたいです」


 思わず、言葉がこぼれる。

 館長が、少しだけ目を細めた。


「だと思った」


 その表情に、胸がほんの少しだけ緩む。

 けれど、すぐに別の不安が浮かぶ。


(そこまで、二人きりで……)


 馬車での長距離移動。

 ずっと、隣にいる。

 胸がどきりと高鳴る。


「……嫌か?」


 ぽつりと、館長が言う。


「い、いえ!そんなことは……」


 慌てて首を振る。


「ただ……少し、緊張するだけで……」


 正直に言うと、彼は少しだけ驚いたように瞬きをしたあと、ふっと笑った。


「俺もだ」


「え……?」


「こうして長く一緒に過ごすのは、初めてだからな」


 その言葉に、リタの胸が静かに揺れる。

 同じだったのだと、少しだけ安心する。


*******

 

 出発の日。

 リタは、少し緊張した面持ちで馬車に乗り込んだ。

 隣には館長――ミハイルが座り、いつも通り落ち着いた様子で本を手にしている。


「ほら」


不意に差し出されたものに、リタは目を瞬かせた。


「……これ」


見覚えのある装丁。

ずっと探していたシリーズの新刊――異世界転生ものだ。


「やっと手に入った」


「……ありがとうございます」


思わず本を抱きしめる。

胸の奥から、じんわりとうれしさが広がった。


「とても、うれしいです」


その反応に、ミハイルの口元がわずかに緩む。


「道中、退屈しないだろう」


「はい……でも」


「ん?」


「こうして一緒にいるだけでも、退屈しない気がします」


言ったあとで、はっとした。

恥ずかしさに耐えきれず、視線を落とす。

しばらく沈黙が落ちた。


「……そうだな」


静かに返された声は、どこか柔らかくて。

リタの胸が、じんわりと温かくなる。

やがて馬車が動き出し、窓の外の景色がゆっくりと流れていく。


ミハイルがカップを差し出した。


「温かいうちに飲め」


「ありがとうございます」


湯気の立つお茶をひとくち含む。


「……おいしい」


「だろう」


短いやり取り。

それだけで、心が落ち着く。


やがてリタはそっと本を開いた。

ページをめくる音だけが、静かに響く。


しばらくして、ミハイルがぽつりと口を開いた。


「……その本、どういう話なんだ?」


「異世界から来た女の子が……もとの世界の知識を使って、国を変えていく話です」


「そうか」


「……でも、その主人公、少し不思議で」


リタは視線を落としたまま続ける。


「ずっと大事なことを言えないんです」


ミハイルがわずかにこちらを見る。


「伝えたいのに、伝えられないまま……時間だけが過ぎていくんです」


少しだけ間があいた。


「……そういうこともある」


短い返事。

リタはほんの少し顔を上げた。


「でも……言わないと、伝わらないですよね」


思ったより素直な言葉だった。

ミハイルは答えない。

ただ本を閉じて、静かにリタを見ている。

その視線が、どこか遠くを見ているようで――


「……難しいものだ」


ぽつりと、そう呟いた。

それ以上、言葉は続かなかった。

また沈黙が戻る。

けれど、不思議と居心地は悪くない。


(……こういう時間、好きだな)


言葉は少なくても、同じ時間を共有している。

それだけで、満たされていく感覚があった。


――あの頃と同じ。


書庫で過ごした時間。

言葉を交わさなくても、隣にいるだけで安心できた。


***


夕方、最初の宿場町に到着する。

馬車の扉が開き、ミハイルが自然に手を差し出した。


「行くぞ」


一瞬だけ迷ってから、その手を取る。

ほんの少しだけ、強く握られた。

それだけで、心臓が跳ねる。


「……大丈夫か」


「はい……」


声が少し上ずっているのがわかった。


(……どうして、こんなに)


ただ手を取っただけなのに。

ふと視線が合い、ふたり同時に小さく笑った。


(……あれ)


こんなふうに、自然に笑える。

それだけで、不思議と不安がほどけていく。


***


宿ではメグも同行しており、部屋は別だった。

それにほっとしながらも、どこか拍子抜けした気持ちになる。


食事を終え、それぞれの部屋へ。

ベッドに腰を下ろし、リタは小さく息を吐いた。


(……何をすればいいんだろう)


恋愛も、夫婦も、わからないことばかりだ。

ふと、昼間の言葉を思い出す。


――言わないと、伝わらない。


本の中の言葉。

でも、それはきっと現実にも当てはまる。


(……でも)


まだ、勇気が出ない。

リタはそっと本を閉じた。


***


翌朝。

再び馬車に乗り、商業都市へと向かう。

昨日よりも、少しだけ肩の力が抜けている。


ミハイルは隣で本を読んでいる。

リタも同じように本を開いた。


言葉はない。

けれど、穏やかな時間が流れている。

――図書館で過ごしたあの頃のように。


上司と部下だったころ。

同じ空間で、それぞれ本を読み、気づけば時間が過ぎていた。

あの頃と、何も変わらない。

けれど、少しだけ違う。


(……今は、夫婦なんだ)


その事実が、静かに胸に落ちてくる。

未来のことは、まだよくわからない。

不安も、迷いもある。


それでも――

こうして隣にいられる時間が、確かにここにある。

リタはページをめくりながら、そっと目を細めた。


この旅は、ただの気分転換ではない。

――少しずつ、ふたりの距離を変えていくための時間。

そう思えたとき、リタの心はほんの少しだけ軽くなったのだった。

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