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王立図書館長が突然辞職することになったのですが、なぜか部下の私に求婚してきました  作者: 杜咲凜
第三章 領地での生活

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30.リタ、夫との関係に悩む

 数日、リタは部屋にこもっていた。


 本を開いてはいるものの、ページはなかなか進まない。視線は文字を追っているのに、意味が頭に入ってこないのだ。


 いつもなら屋敷の中庭を歩いたり、書庫に足を運んだりするのに――それさえも億劫になっていた。


(……自分が嫌になる……)


 ローラは優しい人だ。

 ルークも、あんなに愛らしい。

 誰かに何かをされたわけではない。傷つけられたわけでもない。

 それなのに、顔を合わせるのが怖くて、避けてしまう。

 やっと、この屋敷が自分の居場所だと思えたばかりなのに。


 気がつけば、また一歩引いて、自分を外側に置いてしまっている。


(結局、場違いなのは……わたし)


 そう思った途端、誰にも会いたくなくなる。

 今日の予定を尋ねられれば「読書を」と答えるだけで、部屋で食事も取れる。

 館長も忙しく、リタの行動に口を出すことはない。

 その優しさが、今は少しだけ苦しかった。



 ――今日こそは、館長に会おう。


 そう思って部屋を出た、そのときだった。

 廊下の先に、人の気配があった。


 

「……え、え……ん、で……」


 


 小さな声。

 聞き取れない言葉に、足を止める。

 そっと近づき、柱の影から様子をうかがう。


 そこにいたのは、ローラと館長だった。

 ふたりとも、見たことのないほど真剣な表情をしている。

 張り詰めた空気に、胸の奥がざわりと揺れる。


「わたしの気持ちを、知ってますよね……」


「気持ち?」


「そうです……ずっと。わたしは……」


「今さらだ」


 低く、抑えた声。


「でも……わたしは、小さいころからあなたを……」


「やめてくれ。何度も言ったはずだ」


「それでも……抑えられないんです」


 ローラの声が震える。

 その頬を、涙が伝っていく。 


 館長は深く息を吐き、乱暴に髪をかいた。

 その仕草が、かつての彼を思い出させて、リタの胸が締め付けられる。


「あなたは兄さんの妻だ。それ以上でも、それ以下でもない」


「……わたしは、あなたと結婚したかったのです」


「ローラは、兄さんの婚約者だっただろう」


 ローラは首を振る。


「わたしは……この家に嫁ぎ、二度も夫を亡くしました。それでもなお……あなたを想っているのです」


 その言葉に、空気が一瞬止まったように感じた。 


「俺にとっては、幼なじみだ。それに――家族だ」 


 静かな拒絶。


「……そうでしたか?」


 涙をぬぐいながら、ローラは問い返す。


「あなたも、同じ気持ちだと……思っていました」


「勘違いだ」


 はっきりと、切り捨てる。


「でも……!」


「仮にそうだったとしても、だ」


 館長の声が、わずかに強くなる。


「俺には大切な人がいる。……過去の話だ」

 

 その言葉に、リタの心臓が強く打った。


「……わたしを、支えてはくれないのですか」


 次の瞬間、ローラが館長に縋りついた。

 リタの視界が揺れる。

 息が浅くなり、足がすくむ。


「ああ……ローラにはルークがいる」


 館長の声は、静かだった。


「兄さんの忘れ形見だ。あの子を一番に考えてくれ」


「……母親ひとりで、何ができるというのですか……」


「不自由はさせない」


「ルークには、父親が必要です……」


「父親だけで育てるわけじゃない。両親もいる。屋敷の者もいる……リタもいる」


 その名前に、びくりと肩が揺れる。


「……でも……」


「悪いが、俺は応えられない。今までも、これからもだ」


 きっぱりとした拒絶。


「……そんな……」


 ローラの肩が崩れ、嗚咽が漏れる。

 館長はメイドに合図し、彼女を部屋へと下がらせた。

 やがて、足音が遠ざかる。


「……はあ……」


 重いため息を残して、館長もその場を去っていった。

 どれくらい、そこに立っていただろう。

 リタは動けなかった。

 胸の奥に、いくつもの感情が渦巻く。


 安堵。

 ――ちゃんと、断ってくれた。 


 理解。

 ――ローラの気持ちは、痛いほどわかる。


 そして――言葉にできない、小さな痛み。


(……どうしたら、いいんだろう)


 ローラは、この家に嫁ぎ、二度も夫を失った。

 それでも、この場所に留まり続けている。


 支えを求めるのは、当然のことだ。

 リタには、何もできない。

 理解はできても、答えは出せない。


 ただ――

(ルークは、守りたい)


 それだけは、はっきりしていた。

 けれど胸の奥に、棘のようなものが残る。


 館長の言葉は、嬉しかったはずなのに。

 そのはずなのに――

 どこか、素直に喜べない自分がいる。


 リタはゆっくりと目を閉じた。

 誰も悪くないのに、苦しい。

 想いが重なるほどに、息が苦しくなる。


 静かな廊下に、ひとり取り残されたまま。

 リタは、答えの出ない感情を抱えたまま、ただ立ち尽くしていた。

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