表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王立図書館長が突然辞職することになったのですが、なぜか部下の私に求婚してきました  作者: 杜咲凜
第三章 領地での生活

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/46

29.リタ、初めての嫉妬に悩む

 思いを通じてからというもの、日常はほんの少しだけ、けれど確かに甘さを増していた。


 その変化に、リタはどうしても慣れることができない。


 朝、鏡の前で支度をしていると、頬がほんのり赤く染まっているのがわかる。それを見て、さらに恥ずかしくなってしまうのだからどうしようもない。


「奥様、今日はどのような髪型にいたしましょうか」


 後ろから、メグの穏やかな声がかかる。


「えっと……お任せします」


「かしこまりました。では、この前ミハエル様がお好きだと仰っていた、淡いイエローのドレスに合わせてまとめましょうか」


 その名前を聞いた瞬間、リタの肩がぴくりと揺れた。


(ミハエル様……)


 対外的にはそう呼べるのに、ふたりきりになるとどうしても「館長」と呼んでしまう。


 長年そう呼んできた癖は簡単には変わらないし、なにより――恥ずかしい。


 名前を呼ぶだけで、顔が熱くなるのだ。


 そんなリタの様子を知ってか知らずか、彼はただ穏やかに微笑むだけで、無理に変えさせようとはしない。


 それがまた、くすぐったくてたまらなかった。


 最近は、食後にふたりでソファに並び、本を読む時間が何よりも心地よい。


 特別なことをしているわけではない。ただ同じ空間にいて、同じ時間を過ごす。それだけなのに、胸の奥が満たされていく。


 けれど――


 ふと視線が重なった瞬間、リタは息を詰めてしまう。


 ほんの一瞬、目が合っただけなのに。

 その視線が、まるで逃がさないとでも言うようにやわらかく絡んでくる。

 見つめ合う時間は、ほんの数秒のはずなのに、ひどく長く感じてしまう。


 耐えきれずに目をそらすのは、いつもリタのほうだった。


(こんなの……慣れる日なんて来るのかな)


 そう思いながらも、横顔を盗み見るのをやめられない。

 最近は、彼の目の下の隈も少しだけ薄くなってきていた。

 食事もきちんと取るようになり、休める時間も増えたのだろう。以前よりも、ずっと穏やかな表情をしている。


 あの頃――書庫にこもり、何かに追われるように本を読み続けていた彼。

 その姿を思い出すと、胸の奥がわずかに痛んだ。


(あのとき、何を焦っていたんだろう)


 知らない過去がある。知らない時間がある。

 年上の彼には、リタの知らない人生がいくつもある。

 すべてを知ることはできない。

 それでも――


(少しでも、分かり合えないのかな……)


 そう思うことは、わがままなのだろうか。

静かな幸福の中に、かすかな不安が混じる。


 それでも、そのぬくもりを手放したくないと思ってしまう自分がいた。


 


 ***


 


「奥様、そういえば来週、ローラ様がルーク様とこちらにいらっしゃるとのことです」


 髪を整えられながら、メグが何気なく告げる。


「……え」


 その名前を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと締め付けられた。

 分かっていたはずだった。

 準備が整えば来ると、事前に聞いていた。

 けれど、いざその日が近づいてくると、どうしても気持ちが沈んでしまう。


 ――金曜日の女神。

 そう呼ばれていた女性。

 館長の幼なじみであり、兄たちの妻だった人。

 誰もが認める美しさと、洗練された所作。

 比べること自体が間違っているとわかっていても、どうしても心が揺れてしまう。


(わたしなんて……)


 そう思う自分が、いちばん嫌だった。

 もう、ミハイルとは思いを通じ合った。

 だがちっとも自信なんてなかった。


 ***


 


 そして、その日が訪れた。

 屋敷の前に馬車が止まり、扉が開く。

 白いドレスに身を包んだローラと、青い服を着たルークが姿を現した。


「リタ、遊びにきたよ」


 ルークが駆け寄ってきて、無邪気に笑う。


「長旅、大変だったでしょう。大丈夫だった?」


「うん、もう慣れっこだよ」


 その笑顔に、自然と頬が緩む。

 ふと視線を上げた先に、館長と並ぶローラの姿があった。


 ふたりが並び立つと、あまりにも自然だった。

 まるで最初からそこにあるべき形のように。

 言葉にしなくても分かってしまう。

 積み重ねてきた時間の差。

 共有してきた過去の重み。


(……わたしなんか、かなわない)


 そう思った瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。


「リタ?」


 裾を引かれて我に返る。

 見上げると、ルークが心配そうにこちらを見ていた。


「……大丈夫よ。中に入りましょうか」


 笑顔を作る。

 うまくできている自信はなかった。


 


 ***


 


 それから数日、リタはルークと過ごす時間が増えた。

 ローラは体調を崩しやすく、部屋で休んでいることが多い。

 その間、ルークの勉強を見たり、本を読んだりする。


 穏やかな時間。

 けれど、時折目に入る光景が、リタの心を重くする。


 中庭を歩く、館長とローラ。

 自然に並び、言葉を交わすふたり。

 そこには、迷いも遠慮もない。

 ただ、長い時間で築かれた関係があった。


(……わたしは、場違いなのかもしれない)


 その思いが、胸の奥に沈んでいく。

 消そうとしても、消えない。

 ふくらんでいくばかりだった。


 




 食事の席では、まだ穏やかでいられる。


「今日はリタと植物の本を読みました」


「この時期にしか咲かない花もあるな」


 ルークと館長の会話は自然で、温かい。

 その光景は、どこか家族のようにも見えた。


(ここにいないほうがいいのは、わたしじゃない?)


 そんな考えが、頭をよぎるった。

 リタはあまりそのあとの記憶はない。

 自分がそこにいた感覚がなかった。


 その日の夜、ひとりベッドに入っても、眠れない。

 隣には、優しい眼差しを向けてくれる人がいるのに。

 なぜか距離を感じてしまう。

 自分が遠ざけているのだと、分かっているのに。


「はあ……」


 小さくため息がこぼれる。

 胸の奥に溜まったものは、吐き出しても消えなかった。


 好きなのに、苦しい。

 満たされているはずなのに、不安になる。

 答えのない感情が、静かにリタを蝕んでいく。

 眠れぬ夜は、まだ続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ