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王立図書館長が突然辞職することになったのですが、なぜか部下の私に求婚してきました  作者: 杜咲凜
第三章 領地での生活

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28.リタ、館長に聞いてみた

 リタは、数日では足りないほど悩んでいた。

 

 館長の真意を知りたい。

 そう決めたはずなのに――


 いざ彼を目の前にすると、何も言えなくなる。


(……もしかして)


 あれは聞き間違いだったのではないか。

 「好き」という言葉の意味を、自分が勝手に重く受け取りすぎただけなのではないか。


「好き……」


 ぽつりと呟いて、リタは頭を抱えた。

 これまで知っていた“好き”は、本の中のものだ。


 胸が苦しくなって、落ち着かなくなって、鼓動が早くなる。

 困難があって、涙があって、それでも最後には結ばれる。


 そんな物語を、何度も読んできた。

 だからこそ、恋とは――

 甘くて、苦しくて、それでも美しいものだと思っていた。


 けれど、現実は違う。

 胸が躍るどころか、不安と恐怖のほうが大きい。

 嫌われたらどうしよう。

 自分の気持ちが見当違いだったらどうしよう。

 答えの出ない問いがぐるぐると回り、ため息ばかりが増えていく。


 リタの様子がおかしいことは、館長も気づいているはずだった。

 それでも、何も聞いてこない。


 きっと――待っているのだ。

 リタが、自分で言葉にするのを。

 そういう人だから。


 でも、何をどう言えばよいかわからない。


「わたし、経験がなさすぎるから………」


 ***


 それから一か月。

 ある夜リタは、ようやく決意した。


 夕食を終え、隣り合うソファで静かな時間が流れているとき。

 リタは、意を決して正面に座り直した。

 館長は少し不思議そうに目を向けたが、何も言わずに頷く。


「あの……」


 声が少し震える。


「この前のこと、なのですが……」


「この前?」


 館長は首をひねり、少し考える。

 そして――


「……なんだったか」


 本当にわからないらしい。

 リタは一瞬、言葉を飲み込みかけた。

 けれど、ここでくじけてはだめだ。

 また、悩み続けるだけだ。


「私のこと、好き……とか」


 言ってしまった。

 その瞬間、館長の目がわずかに見開かれる。

 けれど、すぐに――柔らかな笑みが浮かんだ。


「ああ、それか」


 あまりにもあっさりと。


「言葉のままだが」


「そ、それが……どういう意味なのか……」


 自分でも情けないと思う。

 それでも、聞かずにはいられなかった。

 館長は、少しだけ真剣な顔になった。


「リタのことを――妻として、愛している、という意味だが」


 その言葉は、静かだった。

 けれど、確かに重く、まっすぐだった。

 リタの胸の鼓動が早まる。


「それって……」


 うまく言葉にならない。

 館長は、ほんの少し視線を落としてから続けた。


「初めて会ったときからだ」


 その一言に、リタは息を呑む。


「懐かしいような感覚があった。……そして、二度と離してはいけないと思った」


 そんなふうに思われていたなんて。

 ずっと、自分だけの片思いだと思っていたのに。

 胸の奥にあった不安が、少しずつ消えていく。


「私はずっと、君が好きだった」


 まっすぐな視線。


「けれど、言えなかった」


「……どうして」


「壊したくなかったからだ」


 短い答えだった。


「え……?」


「職場で、あの距離で、関係を続けていれば……それでよかった。そう思って、逃げていた」


 くしゃ、と前髪をかきあげる。

 その仕草が、どこか不器用で。

 リタの胸が、きゅっと締めつけられる。


「情けない話だろう?」


「そんなこと、ありません」


 思わず言葉が出た。


「わたしだって……同じです」


 視線を落としながら、続ける。


「こんなことがなければ、きっと……本に囲まれて、一生終わると思っていました」


 館長が、わずかに笑う。


「俺もだ」


 短く、でもどこか安心したように。


「あの空間で、リタと二人でいる。それで満足していた。……あの時間がずっと続くと、勝手に思っていた」


「わたしもです」


 自然に言葉が重なる。


「結婚なんて、考えたこともなくて……だから、今がまだ信じられません」


「奇遇だな」


 館長の声が、少し柔らかくなる。


「俺もだ」


 一瞬の沈黙。

 けれど、気まずさはなかった。

 むしろ――懐かしい。


「わたしたち、似てますね」


「知らなかったのか?」


 少し意地の悪いような口調で返される。


「職場ではよく言われていたぞ」


「え……そうだったんですか?」


 思わず顔を上げる。

 館長は、少し楽しそうに笑った。

 その空気に、リタもつられて笑ってしまう。

 まるで、あの頃のように。

 仕事の合間に、何気ない会話をしていた時間のように。


 夫婦になってから、どこか気を張っていた。

 失礼がないように。

 恥ずかしくないように。

 そんなことばかり考えて、本当の会話ができていなかった。


(やっぱり………)


 この人の前にいるときの自分が、一番自然だ。

 館長が、リタを見る。

 視線が合う。

 そして、静かに微笑んだ。

 それだけで、胸の奥が温かくなる。


 ――自分も、愛されていた。

 そして、愛されている。

 その事実が、ゆっくりと心に染み込んでいく。


 安心と、喜びと、少しのくすぐったさ。

 それらが混ざり合って、リタの中に根を下ろしていく。


 この瞬間、ふたりの関係は、ようやく本当の意味で、夫婦になり始めていた。

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