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王立図書館長が突然辞職することになったのですが、なぜか部下の私に求婚してきました  作者: 杜咲凜
第三章 領地での生活

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26/52

26.リタ、初めての一緒の夜

 領地へ到着した。

長旅の疲れを感じる間もなく、屋敷の人々が温かく迎えてくれる。


「おかえりなさいませ、ミハエル様」


「奥様も、ようこそお越しくださいました」


 柔らかな笑顔と、自然な所作。

リタは思わず肩の力が抜けた。


「リタです。」


 初めての場所なのに、不思議と安心する。


 王都で学んだ知識は確かに役に立つ。

 けれど――風の匂い。土の湿り気。

 人の声のやわらかさ。

 それらは、実際に来てみなければわからないものだった。


 その夜、土地の食材を使った料理が振る舞われた。     

素朴で、けれど豊かな味わい。

 温かい食卓に囲まれながらも、リタの心はどこか落ち着かなかった。


(……ステキな部屋)


 案内された寝室を見て、固まる。

 広いベッド。整えられた寝具。

 そして――ひとつしかない部屋。


(まさか……)


 当然だ。この屋敷では、ふたりは夫婦なのだから。

 今までとは違う。

 わかってはいた。

 けれど、実感として突きつけられると、心が追いつかない。


 そのまま、時間だけが過ぎていく。

 そして――やはり、館長は来なかった。


(……やっぱり)


 ほっとした。

 同時に、ほんの少しだけ――寂しいと思った。


 ***


 朝、目を開けた瞬間、違和感があった。


(……あれ)


 視界の端に、やわらかな色が映る。

 ベッドのそばに、花瓶に活けられた花。

 それは、リタが好きな種類だった。

 咲きたてのように瑞々しく、ほのかに香る。


(……どうして)


 屋敷の人の気遣いかと思った。

 けれど、ベッドの隣。

 わずかに乱れたシーツ。

 ――誰かが、ここにいた。


「ああ、おはよう」


 声に振り返る。

 寝間着のまま、新聞を手にした館長がそこにいた。


「リタ、眠れたか?」


「……っ」


 心臓が跳ねる。

 こんな朝は、初めてだ。


「長旅だっただろう。疲れていないか」


「だ、大丈夫です……」


 うまく視線を合わせられない。

 花へと視線を逃がす。

 館長はそれを見て、わずかに口元を緩めた。

 何も言わない。

 ただ、静かに見守っている。

 それだけなのに――胸の奥が、じんわりと温かくなる。


 こういうのが、“夫婦”なのかもしれない。

 派手なことは何もない。

 けれど、確かにここにある温もり。


「今夜、少し時間が取れそうだ」


 ふいに、館長が言った。


「夜、時間をくれないか」


 リタは目を見開いた。


(え……)


 今まで、一度もなかったのに。


「……はい」


 それでも、迷いはなかった。


「ありがとう」


 館長は静かに頷いた。


「こちらでは、少しは落ち着ける。やっとリタと話す時間が取れそうだ」


 その言葉に、胸が少しだけ締めつけられる。


「昼間は用事があるが、何か必要なものがあれば買いに行くといい」


「はい」


 本当は、特に欲しいものはない。

 けれど、言われた通り、近くの商店へ出かけることにした。


 ***


 夜の静かな時間が訪れた。

 窓の外には、深い闇と星の光。

 部屋には、柔らかな灯り。


 館長とふたりきり。

 それだけで、どこか息が詰まりそうになる。

 嫌ではないが緊張感がぬぐえない。

 それをまぎらわせるよう、何気ない会話が続く。


 今日のこと。領地のこと。ささいな話。

 その中で――ふと。


「リタ」


 館長が、名前を呼んだ。


「……はい」


 一瞬、空気が変わる。

 そして……


「君が好きだ」


 静かな声だった。

 それなのに、すべてを揺らすような一言。

 衝撃が走る。


「……え」


 息が止まる。頭が真っ白になる。

 何も考えられない。

 ただ、目の前の人を見つめることしかできない。


 こんな言葉をもらえるなんて、思っていなかった。

 ずっと、片思いだと思っていたのに。

 胸の奥に溜まっていた何かすっとおりた。


 けれど、とっさの言葉が出ない。

 何も言えない。

 館長は、それ以上何も言わなかった。

 それから、小さく微笑み、ただ静かに立ち上がる。


「今日はもう休め」


 それだけ言って、部屋を出ていった。


 リタはひとり取り残される。

 静かな部屋に戻る。

 しかし、鼓動は速まったままに。


(……どういうこと)


 好き。

 その言葉が、何度も頭の中で繰り返される。

 嬉しいはずなのに、戸惑いの方が大きい。

 自分の気持ちが、わからない。

 いや、わかっているのに、認められないだけかもしれない。

 思考を整理しよう、そう思って横になる。


 ベッドに入っても、眠れない。

 胸の鼓動が、ずっと早いまま。

 目を閉じても、浮かぶのは彼の顔。


(……わたしは)


 どうしたいのだろう。

 その答えは、まだ見つからないまま。

 リタは長い夜を、ひとりで過ごした。

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