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王立図書館長が突然辞職することになったのですが、なぜか部下の私に求婚してきました  作者: 杜咲凜
第三章 領地での生活

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25.リタ、新しい領地をみる

 早朝、リタは館長とともに馬車で領地へ向かった。


 朝早く出発すれば、最寄りの領地には夕方には到着する予定だ。


 幼いころから王都で暮らしてきたリタにとって、遠出といえば祖母の家くらいのもの。

 こうして長い時間をかけて移動するのは、久しぶりだった。


「今日は天気が良くてよかったですね」


「そうだな。しばらくは安定するらしい。向こうでも予定通り視察ができそうだ」


「それは安心しました」


 馬車の窓から外を眺める。


 ゆるやかに広がる牧草地。

 牛や羊がのんびりと草を食み、そのそばで人が寝転んでいる。


 何気ない光景なのに、胸の奥がほっと緩んだ。


(……こんなふうに外を見るの、久しぶりかもしれない)


 結婚してからというもの、屋敷で過ごす時間がほとんどだった。

 慣れない生活に気を張っていたことに、今さら気づく。


 家族とも離れ、職場もなくなり、居場所が変わった。


 その小さな積み重ねが、思っていた以上に緊張になっていたのかもしれない。


 そんな中で――


 こうして館長と同じ空間にいる。


 それだけで、少し安心する。


 狭い馬車の中。

 それなのに、不思議と落ち着く。


 ふっと視線を向けると、館長はいつの間にか書類を閉じ、眠っていた。


(……寝てる)


 そっと、その寝顔を盗み見る。


 目の下のクマは、やはり変わらない。

 出会ったころからずっとだ。


(ちゃんと寝てるのかな……)


 背は高く、体つきも整っているのに、少し猫背で。

 身だしなみに無頓着なところもあって、目立つ存在ではなかった。


 けれど。


 最近は、髭も整えているし、服装も以前よりきちんとしている気がする。


(……結婚したから?)


 そんなことを考えていた、そのとき。


「どうした」


 目を閉じたまま、館長が口を開いた。


「……っ」


 思わず息をのむ。


 見つめすぎていたらしい。


「い、いえ……」


 慌てて視線を逸らす。


「特には……」


「リタは、相変わらず遠慮がちだな」


 館長はゆっくり目を開いた。


「言いたいことがあれば、言えばいい」


「えっと……」


 言葉に詰まる。


 本当は、聞きたいことがたくさんある。


 最近どう過ごしているのか。

 何を食べたのか。

 どんな本を読んでいるのか。


 ――自分のことを、どう思っているのか。


 けれど、それを口にする勇気がない。


「……領地って、どんなところなのかなって」


 結局、無難な質問しかできなかった。


 館長は少しだけ口元を緩める。


「いいところだよ」


 静かな声だった。


「何もないと言えばそれまでだが、実りは豊かだし、人も穏やかだ。俺は気に入っている」


「そうですか……」


 その横顔を見つめる。


 職場では上司だった人。

 けれど今は――


(……頼もしい)


 自然とそう思えた。


「小さいころは、よくあちらで過ごしていた。王都にも近いし、不便はない。街もそれなりに賑やかだ」


「賑やか……?」


「商人も来るからな。珍しいものが手に入ることもある」


「え、珍しいものですか?」


 思わず身を乗り出す。


 館長が少しだけ笑った。


「興味があるか?」


「あります!」


 ぱっと顔が明るくなる。


 その様子を見て、館長はふっと息をついた。


「……よかった」


「え?」


「最近、あまり笑っていなかっただろう」


「そう……ですか?」


 自分の頬に触れる。


 そんなつもりはなかったのに。


「屋敷の者たちも心配していた。完璧にやろうとしすぎていると」


「そんな……」


「リタは、よくやっている」


 はっきりと言われる。


「少しは力を抜け」


 その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。


 顔が熱くなっていくのがわかった。


 そのとき。


 そっと、館長の手が重なった。


「……っ」


 指先に、体温が伝わる。


 きゅっと、軽く握られる。


 心臓が大きく跳ねた。


 リタも、恐る恐る握り返す。


 ほんの一瞬。


 時間が止まったような感覚。


 館長は小さく笑うと、手を離し――


 代わりに、いつものように頭に手を置いた。


 ぽん、とやさしく撫でる。


(……ああ)


 やっぱり、この人は。


 そういう人だ。


 胸の奥が、少しだけくすぐったくなった。

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