24.リタ、小さな妖精に出会う 4
「リタ、領地での準備もだいぶ整った。お前を迎える支度もできたから、次の休みには一緒に行こう」
「はい。しばらく、あちらに滞在する予定ですか?」
「ああ」
朝食のあと。
紅茶を飲みながら、館長は今後の予定を話してくれた。
「慣れてもらう必要もあるからな。それほど広い土地ではないが、山あいの地域もあって移動が大変な場所もある。全部を一度に見て回るのは難しい。何回かに分けて行くつもりだ」
「はい、わかりました」
素直に頷きながら、リタは少しだけ胸の奥が沈むのを感じていた。
せっかくルークと仲良くなって、午後のお茶の時間も楽しくなってきたのに。
領地へ行くことになれば、しばらくは会えなくなるだろう。
もちろん親戚なのだから、もう二度と会えないわけではない。
またきっと会える。
そう思おうとする。
でも、やっぱり少し寂しかった。
この屋敷での暮らしにも、少しずつ慣れてきた。
レッスンがあり、覚えることがあり、忙しいようでいて、ふと心が空く時間もある。
そんな時に顔を見せてくれる館長のやさしさは感じている。
けれど――
(これって、新婚らしい暮らしなのかな)
ふと思う。
リタの中にある「新婚」のイメージは、前世で見たドラマや恋愛漫画の中のものだ。
もっと甘くて、もっと熱くて、もっと一緒にいるものだと思っていた。
今の自分たちは、違う。
穏やかではある。
でも、それが夫婦らしいのかはわからない。
(もしかして、形だけの夫婦ってことなのかな)
そんな考えがよぎって、すぐに打ち消す。
館長は、そんな回りくどいことをする人ではない。
ただ忙しいだけ。きっとそれだけだ。
「領地にいれば、今よりは時間も取れるはずだ」
館長が静かに言った。
「リタ。それまで、少し待っていてくれ」
「はい」
リタは、また素直に頷いた。
不安がないわけではない。
でも、不満はなかった。
好きな人の顔を見て、朝ごはんを食べて、同じ屋敷で暮らしている。
それだけでも、以前の自分からすれば十分すぎるくらいだった。
*****
「リタ、どうかしたの?」
「え……ルーク?」
気づけば、またぼんやりしていたらしい。
目の前で、ルークが手をひらひら振っている。
意識があるか確かめるみたいに。
「今日は、これで三回目」
ルークが少しだけ眉を寄せた。
「何かあったの?」
「うん……」
リタはティーカップを見つめた。
「今度、領地に行くことになって。しばらく、ルークとお茶会ができなくなるかなと思って」
「そっか……」
ルークも少しだけ寂しそうな顔をした。
「領地っていくつかあるけど、ここからだと馬車で一日くらいの場所だよね」
「そうみたい。もっと遠い場所だと、鉄道を使うこともあるらしいの」
「鉄道、かっこいいよね!」
急に声が明るくなる。
「僕、遠い領地のほうにも長く住んでたから、そこで友達もたくさんできたんだ。王都より不便なところもあるけど、自然はすごくきれいだし、親切な人も多いよ」
「すてきなところね」
「うん。領地のこと、僕も少しは教えられるよ」
「じゃあ、ルーク先生にお願いしようかしら」
リタがそう言うと、ルークは少し照れながら胸を張った。
ルークの話は、どれも本には載っていないことばかりだった。
領民がどんなふうに暮らしているのか。
貴族は口にしないけれど、庶民には身近な食べ物のこと。
季節ごとの風や雨、畑の様子、町の小さな出来事。
文字や資料だけでは見えてこない暮らしが、そこにはあった。
リタは、本を読むのが好きだ。
いろんな知識に触れてきた自負もある。
けれど、それだけでは足りない。
貴族としてどう振る舞うべきか、座学で学ぶことはできる。
でも、領民のことを本当に知るには、実際にその姿を見なければわからないのだろう。
「僕ね」
ルークがふいに真面目な顔になる。
「本当は、医者になりたいんだ」
「医者?」
「うん」
ルークは頷いた。
「領主になるために勉強するのが大事なのはわかる。でも、ミハイル様が領主になるでしょう?僕がそうなるかは、まだわからないし」
「……そうね」
「メイドたちが言ってるんだ」
ルークは少し声を潜めた。
「そのうち、リタに赤ちゃんができたら、その子が次の領主になるんじゃないかって」
リタは、何も言えなかった。
結婚した以上、跡継ぎを期待されるのは当然だ。
頭ではわかっている。
けれど、自分が本当に子どもを産めるのかどうかもわからない。
そもそも今の関係が、本当に夫婦らしいものなのかさえ、まだ自信が持てないのに。
周囲では、もうそんな話になっている。
そのことが少し怖かった。
「わたしも……」
やっと出た声は、少し弱かった。
「貴族の習慣に慣れるだけで、今はいっぱいいっぱいなの。先のことは、まだ全然わからなくて」
「僕だってわからないよ」
ルークはあっさりと言った。
「でも、せっかくなら自分のやりたいことをやりたいなって思う」
その言葉に、リタは少しだけ目を伏せた。
「わたし、小さいころから“これがしたい”って、あんまりなかったの」
ぽつりと零れる本音。
「なんとなく学校に行って、なんとなく就職して。だから、ルークみたいにやりたいことがあるのはすごいと思う。応援したいな」
「リタ、ありがとう」
ルークは嬉しそうに笑った。
まだ小さいのに、大人の事情をわかっていて。
その中で、自分はどう生きたいかをちゃんと考えている。
その姿が、少しだけまぶしい。
それに比べて自分はどうだろう。
流されるままここまで来て、今さら焦っている。
けれど、何をどうすればいいのかは、まだわからない。
そうして、領地へ向かう朝は、思ったより早くやってきた。
リタは初めての領地訪問へ出発することになった。




